第二十八話 そして私はここにいる
主人に歩み寄る悪魔は、その手を掴んで武道場の奥へと歩き始める。主人は何の躊躇いもなく悪魔と共に隣を歩き、しっかりと手を繋いだ。
話を聞けば、なるほどどうして。あれだけの信頼関係を築けたのも納得する。
二度も魂を分け合って、どん底の未来から遡って来た。傷つけ合って道を違えても手と手を取り合って二人はここまで辿り着いたのだ。
『私が記憶を取り戻したのは、すぐだったんだよ。バキバキに壊れたスマホは未来での戦いの跡だった……私はその傷さえも忘れてて、みんなに見せようと思ったの。
あの時。落としたスマホの先に、棚に隠された過去の自分の遺体を見て……記憶を取り戻すまでは』
あんなにいつも通りに振る舞っていたというのに、それは多くの苦しみを抱え、失ったはずの仲間を取り戻した歓喜で入り混じった複雑な頃の虚勢だった。
想像以上の苦難を駆け抜けた少女は、それでも。
それでも、前を見て走り抜いた。
『時間を、戻すだと……? バカな、そんな高度な魔術を悪魔が。いや……悪魔だからこそか?』
その世界のプロである火黒先生と生徒たちはよりこの事態の重さがわかるのか、顔を青くしたかと思えばもう白に近い。
そんな人間たちに気をよくしたのか、たゆたと歩くライムが顔を後ろに向けながらクスリと笑う。
【私を召喚した人間の魂を触媒にする、私の最終奥義ですよ。
今回私は己の半分の魂と魔力をあるだけ込めて魔術を発動しました。……ですが、我が兄弟が分けて下さった魂を消費するのは中々心苦しかった。結局は私が手放した魂を、再び分け与えられたのですがね】
『ライムが未来を変えるチャンスをくれたんだよ。チャンスを与えてくれたライムと、変えてくれたのは……みんなと全学校の皆さん、斉天大聖と……白呪』
そうだ。何よりも変わったのは俺たちを殺すはずだったビーストの白呪が仲間となったこと。
【実は私たち、契約を交わしたのはこの軸が初めてだったんです。私を呼び出した我が兄弟は既に記憶を取り戻し、そのまま行動する決意をしていた。
前回は私が犯した愚かな行動であなた方を殺し、羽降たゆたを殺した。同じ過ちを繰り返すつもりはありません。私は私のために、私が二度と後悔をしない結末を奪ってみせます】
武道場の奥にひっそりと設置された扉がある。それは以前までなら、潜った先には体育館に続く階段があったはずだ。
二人はその扉を無視して、武道場奥の壁に掛けられた一番巨大な赤旗を見上げる。見上げるほど大きな赤旗は、勿論以前はなかった。蚩尤によって設置されたであろうそれの前に立った二人は、頷き合ってからライムがその赤旗に触れる。
【さぁ。
長いゲームも、ここまでですよ。行きましょうか】
ライムの手が触れた場所から徐々に炎が赤旗を燃やしていく。全てを燃やし尽くした先に道はあった。今までの暗がりとは違って明るい道……しっかりと蛍光灯が照らす廊下がその先にはあったのだ。
【話しながら進みましょう。まだ、伝えなくてはならないことがあります。
特にそこの四人。お前たちに関わることですから、良く聞くように】
階段を一段、一段と上がる二人を追いかけるように進む。階段は長く一直線に、どこまで続いているのかと恐ろしくなった。
嫌になるような静寂。それを最初に破ったのは、千之助だった。
『目覚めた時、黒板にあの文章を書いたのもライム……あなたなのか?』
【はい。あなた方は記憶を奪われてますから、簡単に説明めいた文章を書いておこうかと思いまして。何の記憶もなく異界に放り投げたのでは、流石に困るかと。
そこのあなたは、どうやらかなり最初に気付いていたようですね?】
悪魔の言う人物はなんと、ハヤブサだった。
呆けた顔で何のことだと言わんばかりの彼は直後、衝撃的な言葉を発したのだ。
『……俺、言わなかった?
一組と二組の様子が変だって』
言ったよね? と呟く彼に、周りにいた俺たちは大口を開けたまま固まる他ない。
つまり彼は、一組と二組の様子が変だと言ったのは単に教室が荒れているとかそういうのじゃなくて。
黒板に同じ文章がないから変ということをあの時伝えたかったのだ。どこかの部族並みに視覚の冴えたハヤブサにしかあの距離からはわからない。
『わかんないよ!? 全く、全然、伝わってないよぉ!』
『お前……天然じゃ片付けられねーぞ、どう落とし前つけんだコラァ』
みんなに一斉に問い詰められるもハヤブサは早々にその場から自慢の足で抜け出して離れた場所を歩いている火黒先生たちの元へ避難を始めた。
未だ止まない文句の数々に、本人はもうダンマリを決め込むようだ。明後日の方を見て少しも目を合わせやしない。
【話を戻しますよ、全く。
黒板とあなた方の記憶を奪う以外で行った工作は……後はこれくらいでしょうか】
その手に持たれていたのは、黒いスマートフォン。しかしそのスマートフォンは傷がない、新しいもの。
【そう。厳密にはあなた方と時を刻んだ羽降たゆたのものです。兄弟が所持している傷だらけのものは未来の羽降たゆたのもの。
私が所持しているこれは、この軸の彼女のものです。これが便利なことにお互いの名前を登録すると普通に通話出来るのですよ。
私はこれを使って兄弟にそこの四人の居場所を教えたりしていたわけです】
『それであの時……羽降さんはスマホから流れる指示を聞いていたから、通話しているように見えなかったんだ……』
辺りのビーストを片付けながら、俺たちの目の届かない場所でたゆたとのやりとりを続けていた。
当然だ。スマホで会話する姿を見られれば、スマホの持ち主を言わなくてはならない。隠れてやるのが常だろう。
【基本的に、もうあなた方に戦っていただくつもりはありませんでした。もう十分すぎるほどにあなた方は戦い、兄弟を同じように守り、歩んできた。
我々が前に出るのが当然の理。単に順番が回ってきたようなもの】
『だから本当は、何も教えず。何も考えず。何の不安もなくここから出してあげたかった。せめて何もかも忘れて、初めから何もなかったように……帰ってほしかった』
ふざけんな、と。
違うだろ、と。
そう叫びたかったのに、それを言う前にたゆたは楽しそうに階段を登り始める。そんな彼女に合わせるようにライムも駆け足で進み、遊ぶように戯れる二人を見て胸を燻っていた毒気がみるみると引いていくような感じがした。
『バレちゃったね、相棒』
【バラしたの間違いです、兄弟】
たゆたには、闇が似合っていた。
きっともう。彼女には闇が深く馴染み過ぎている。この特殊な環境に慣れ始め、受け入れ始めているのだ。
それは、ヤバいんじゃないだろうか?
【これから向かう最後のステージに、この罪区特殊異界学校を生み出した元凶がいます。いわば、ボスですねラスボスです】
蚩尤なんて序の口ですよ、なんて軽く笑うライムに場は緊張に満たされる。上へ上へと登る階段は、まだ続く。
【もうボロ雑巾で虫の息でしょうが、ここまで話しては仕方ありません。全員最終ステージまでご一緒願います】
『……っ、随分な軽口を叩きやがる。悔しいがこちとらもう力も使い果たしてんだ、あの戦神以上の強者がいるのか?』
【当たり前です、神を前座に据え置くような輩ですよ。こちらの方が厄介に決まっています。巫山戯てるんですか?】
コラ。とたゆたが横からライムの頬を抓る。すぐに離された自分を頬を摩りながら、ライムは懲りずに続ける。
【痛いです、兄弟。
……正直に言えば、私は貴様ら神や獣らの手伝いなど断固拒否。問答無用でバビロンの奥底に捨ててやる所存。
なのですが。例外です、今回だけの特別異例……我が兄弟のケジメのために一度限りの温情を】
【誰も戦って下さらなくて結構。ここから先は私と我が兄弟、そして……白き鬼がお相手致しますので。
良かったですね。寝ててもこの事件は解決されますよ、本当に貴様らは運が良い】
『と言うより、本当に皆さんはもう限界に近いと思うので出来れば私の大切な仲間たちを守る方にいてほしいんです。
そうすれば、私たちは本気で戦いに出れる。安心して前だけ見られるから』
ブレザーを脱いだたゆたは、それをライムに渡す。ライムの腕にあったはずのそれはいつの間にか俺の手に掴まれていた。
ワイシャツの袖を捲り、腹部の一部が破れてしまったそれをギュッと握って縛り付ける。崩れた髪を耳に掛けてからそっと赤く染まった花に触れては、不満げにツンツンとその花弁に触れた。
【赤もお似合いですよ?】
小さく笑いながら花飾りを直すライム。これから最後の決戦に向かうとは思えない、そんな穏やかな空気。
それを切り裂くように叫ぶのは、火黒先生だった。
『人間と悪魔、そして鬼……たったそれだけの手数でこの第十位級の
ふざけるのも大概にしろっ……うちの精鋭が揃っても堕とせるかわかんねー、それほどの
空気が震えるような怒気を孕ませた声に、完全に身も心も縮こまる。
先生に怒られることは何度かあった……だけどこれほどの質量をぶつけられることなど、ありはしなかった。
そしてそんな火黒先生に少しも萎縮していない二人は、小さく内緒話を始めるほどの緩さを兼ねていたのだ。
『ねぇライム。神典って?』
【神によって展開された特殊過ぎる異常。それを奴等は神典と呼びます。この罪区特殊異界学校もそれに該当しますからね、そこまでは推察できているようで安心します。
それと妖者。少し解釈を間違えているようなので訂正を】
その時。
漸く、明かりが途切れる場所に辿り着いた。それは間違いなく俺たちの最初の記憶にある体育館前の廊下で間違いなかった。
【我々はこの事象に喧嘩を売られたのですよ。運命を嗤い、光を奪い、絆を絶った糞野郎に。
負け戦? 冗談でしょう。我が兄弟の命を軽く言うな。
お見せしましょう。我らがどういう存在であるか。私が執着する人間の何たるかを。とくとご覧あれ、力ある者たち】
両開きの、重くて鉄臭い扉が開かれる。以前はそれが開かれるのが少しくらいは楽しみだったのに、今では怖くて仕方ない。
俺たちはこの向こう側で、幸せを失った。
『大丈夫』
『今度は絶対、帰ろうね』
大きく頷き合って、俺たちは体育館へ足を踏み入れた。
帰るため、取り戻すため
最後のステージは、ここにある。
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