第二十七話 望み

Side:羽降たゆた 


 扉が破壊され、扉を守るために積んでいたバリケードも一瞬にして破壊された。そのあまりの衝撃にみんな一斉に起きて、状況を理解すると次々と立ち上がる。今まで戦いを重ねてきた、戦いならば誰よりも経験豊富な斉天大聖から手ほどきを受け、物知りな愚者は様々な知識を与えてくれた。


 教室に入って来たのは、白いオーガ。


 机に椅子、様々な物を使ってオーガを迎撃した。しかしビーストの中でも交戦的で子どもを特に狙うような最悪の相手。何故か目隠しをしたそのオーガは、それがあっても正確に私たちに襲い掛かってくる辺り五感が冴えているらしい。身の丈ほどの巨大な鈍器を振り回して、次々と私たちの教室を破壊していく。


 抵抗し、戦い尽くし、


 一人、また一人と殺された。


『そ、んちゃ、……』


『静かに……ここに入れ、たゆた』


 血の海と化した教室で、私は尊ちゃんに教室の奥にある棚の一番最後の列へと連れてこられた。余った棚は他の部分よりも広く以前は物置きのようにされていたが卒業と共に空っぽにして綺麗に掃除してあった。そこに私は押し込まれた。教室の中央では海我ちゃんがオーガによって投げ付けられ、ロッカーにその身を強打する。そのまま彼に鈍器を振り被るのを……見せないようにと尊ちゃんによって視界は覆われた。


『っ、ぅあっ……』


 ドシン、ドシンと巨体がこちらに向かって来る。抱きしめる尊ちゃんを退かそうと、逃げてくれとその胸を押すのに彼は全く動こうとしない。泣きながら嗚咽を漏らし、やめてくれと無駄な祈りを捧げる。



『……泣くなよ、たゆた』


 何故。何故、私を守るの?


『大丈夫……、きっと痛くないから』


 ドン、と尊ちゃんの体が大きく揺れる。悲鳴を上げる彼に目を見開き、その胸から手が離れてしまった。何度も何度も体に衝撃が与えられ、遂には頬に何か温かなものが飛びかかった。


 棚に上半身を入れ、その腕でずっと抱きしめてくれていた腕が解かれる。代わりに私の全身を覆うのは彼から出た血だ。私に寄りかかり、もう少しも動かない尊ちゃんを抱きしめながら……外にいるオーガを見た。


 彼は、何故かその隠された両目から涙を流していたのだ。何故、と思う前に再び鈍器を振り上げた。それを見つめ、最後は自分かとやけに冷静な感想を思ったのに……それは力なく下ろされ、引き摺ったままオーガは教室を出て行った。





 棚の中で、ずっと尊ちゃんの遺体を抱えて啜り泣いていた。どうして良いのか、わからない。もう、自分には何もない。守りたいものも望む未来も。


【お前っ……生きて、いたのか】


 だから、彼が帰って来た瞬間……彼だけが私の生きる理由になった。


【……っ、出してやる、友人を離せ。いや、恋人、か?】


 力なく首を横に振ると、ずっと抱きしめていた尊ちゃんから手を離す。何かが制服に引っかかり、悪魔が丁寧にそれを外してから尊ちゃんを床に横にする。続けて私の両脇を持つと棚から引っ張り出してくれた。そのまま抱えられ、教室から出て廊下へ降ろされる。しかしどうしたことか、悪魔まで倒れるように床に転がってしまった。私が慌てて彼に触れた瞬間……床に、血が広がっていくのを見て息を飲む。


『なんで、血が……』


【……ヘマをした。全く、お前が弱いから俺まで弱体化してるらしい。しかも、近くにいないと更に力は弱まる。


 は。俺が消えたところでお前は何一つ困らないがな】


 消える……?


 その言葉の意味を理解したと同時にどうしようもない悲しみから悪魔の服の裾を握りしめ、大声で泣き喚いた。周りのことなんて気にせず一番大きな声で泣いたような気がする。そんな私を見て唖然とした悪魔はすぐに正気を取り戻して私を泣き止ませるべく必死にあやした。


【バカか!? 俺の状態が目に入らないのか、今襲われたらっ……あー、あー!! わかった、悪かった!! 悪かったから、泣き止め!!


 の、望みを聞いてやるから、今すぐに泣き止め!】


『ひぐ、うぅ……の、ぞみ……?』


 そんなものは一つしかない。それは私がずっと願い続けて、求め続けていたであろうものだから。


『一緒にいて……お願い、一人にしないで。ひとりぼっちは、もう嫌だよぉっ……』


【……それを叶えるには、お前の魂を奪わなければならない。忌まわしいことに俺は神に魂を砕かれた。なんとか魔術で誤魔化しているが、消滅は時間の問題。


 お前が、魂を半分俺に寄越すと言うなら。俺はお前の望みを叶えてやる】


 悪魔の持ち掛けたそれに、私は迷うことなく頷いた。私は彼に半分魂を渡して、その後はきっと長くはないと言われたが気にしなかった。



 この時はただ、自分の欲で動いた愚かな行為だったと自分を責めたこともあったけど……私がここで彼と共に歩み出したこの結果が、重大な分岐点だったと気付くのはこれからすぐの未来。



【魂の譲渡が完了しました。体に不調はありませんね?】


 なんてことはない、魂の譲渡なんて物騒な言葉だが私はただ目を閉じていただけ。


 むしろ。目の前の悪魔の口調の変化の方が著しいような気がしてならない。ジッと見つめる私に、彼は私の心臓のある辺りを指差した。


【魂を分けた者に、無礼な態度は致しません。むしろこの性格と口調は持ち主であるあなたに寄せられたのですよ。


 魂を分けたよ。生き残りを賭けて精々悪足掻きをしてみせましょう】


 それから私は彼と共に、打倒蚩尤を目指して戦いに行くことを決めた。生かされた最後の者として戦い抜くことになんの躊躇いもない。消滅していった獣器たちと、死んでしまった仲間たちの意志を継ぐためにも。


【もうここには戻って来ることはないでしょうから、友人たちの遺品でも持って来てはどうです?


 ……大切な人間たちなのでしょう? あなたの魂が、泣き叫んで止まないほど】


 悪魔に手を繋いでもらいながら、教室に入ってみんなの遺体を綺麗に整える。絶えず零れる涙をそのままに、床に安置した。悪魔の言うように何かみんなを感じられる物が欲しくて何気なく海我ちゃんの手を見た。


『あ、れ……?』


 みんなの遺体からそれぞれ遺品を回収すると、私はそれを足元に落ちていたポーチの中身を出してからそれを仕舞った。悪魔が適当な紐を持ってきてそれをポーチに繋ぐと、無くさないようにと首にかけて制服の中に入れてくれた。


 そして私たちは戦いに出た。二人で襲い掛かるビーストと戦い、時には協力して。たまに休憩する時に悪魔が私に戦い方を教えてくれて、沢山のことを習った。色んな失敗をして、彼を何度も怒らせたし、数え切れないくらい泣いたと思う。でも……悪魔は決して、私を見捨てるようなことをしなかった。


『どうしたの?』


 ある時。どこか遠くを見つめる悪魔と同じ方を見たけど、そこには何もなくいつもの闇が広がるばかり。不思議に思っていると、何でもないようにまた悪魔が歩き始める。


【部外者が侵入したようです。ですが、期待するだけ無駄でしょう……ああいった類の連中には関わったら最後です。進みましょう】



 決戦の時。突然異界が武道場に繋がり、私たちはそこに飛び込んだ。お互い一度目は敗北した相手。だけど経験を積み、絆を深めた今ならと挑んだのだ。



【……はっ、無様ですね……】


 敵わなかった。私たちの力を最大限ぶつけ、戦い尽くした。だけど、ダメだった。


 早々に勝利を諦めた悪魔は脱出のために再び抜け穴を作って逃走を図るも、同じ手が二度も通用する相手ではなかった。魔法を行使する隙も与えない猛攻に、私を乗せた悪魔は逃げ回るしかなかった。そして武道場の最奥にあった、扉を見付けたのだ。それが出口だと判断した私たちは扉を破壊してそのままそこに飛び込む。


【愚かなり】


 それは、出口などではなかった。


【っ……、しまった!! 人間!】


 扉の向こうに入った瞬間、地面に設置されていた魔法陣が光り出す。烏の姿をしていた悪魔がその姿を解いて人の姿になった瞬間、彼が庇うように私を抱きしめたが。


 私たちは共に四方から飛び出した凶器に貫かれた。


【っ、にん、げん……】


『悪魔、さん……ダメ、だったね』


 残念、と笑った瞬間、体の奥底から溢れるように血を吐いた。どこかわからない暗い階段に、二人並んで倒れる。


【く、っそ……この程度、っ……】


 体を引き摺りながら、彼は私を起こして抱える。フラつく体に鞭を打つように、一歩、また一歩と階段を上がる。


 朦朧とする意識の中、諦めずに進み続ける悪魔を眺めていた。歯を噛み締めすぎたのか、体の中を貫かれたせいか、ボタボタと流れる血が雨のように降り掛かる。


『ねぇ……』


【話す、な!! 傷に障るっ】


 同じ傷を負っているのに。私は泣き叫びたいくらい痛いのに、体を動かす君は地獄のようなものだろう。


『名前……なんて、いうの? 私はね……羽降。羽降、たゆた』


 思えばお互い名前すら呼び合わなかった。“悪魔さん”と“人間”、私たちはそれだけで繋がっていたらしい。


【……ラウムか、ライムと……あなた方人間は私を呼びます。好きな方で、呼びなさい】


 ラウムか、ライムか。


 少しだけ悩んだ後で私は後者の呼び方を選んだ。いつだったか、テレビで見たのだ。ライムの実は海外で魔除けとされる。悪魔である彼だけど、私にとってライムは様々な怖いものから私を守ってくれる。


『らいむ』


『ライム』


 痛む傷のことなど、気にしないで彼の名前を呼ぶ。名前を呼ぶことが、とても大切なような気がしたから。何度も何度も名前を呼んでいると、ふとまた何かが頬に落ちた。


 ああ。またライムが血を流してるのかな?


『ら、いむ……約束、守ってくれて……ありがとう』


 最後に見上げた彼が、泣いていたような気がした。そんなはずはない。彼は悪魔なのだから私の死を悲しむような……。


 私は、お別れが悲しいな。


【待ちなさい、たゆた……死んではなりません、死ぬな!!


 っくそ!! 何故、こんな……こんな気持ちを人間にっ……。


 ……いいえ。認めます、認めましょう……あなたは、私の唯一の主人となる資格がある。こんな、こんなところで終わらせて、なるものか!!】


 眩しい赤に、ぼんやりと目を開いた。やっぱり彼は泣いていたのだ。優しい悪魔に手を伸ばすと、彼は自分の血で描いた魔法陣を描き切った。


【召喚者よ、答えよ】


【誇りを奪われた者よ。


 その誇りを取り戻したいか、失われし生者としての権利を。この異界を生み出した、召喚者たる汝の全てを奪い去った者の尊厳を貶める覚悟があるのならば】


 そっと、ポーチを握りしめる。


【我が手を取れ!! 我が命に代えても、汝の願いを叶えよう!!】


 ポーチを握りしめていない方の手で、私はその手を取るべく手を伸ばした。上手く握れない手を、彼がしっかりと拾って握りしめてくれる。


 私に、まだ。出来ることがあるのなら。



【ソロモン72柱 序列40番目 ライムが契約により、魔法を行使する】


【“誇りある者の復権プライド・アウトを”】









 夢を、見ているのだろうか?


 廊下に座る、もう一人の私。私は今、ライムに抱えられているのに。何故、私がもう一人いるのか。


『そう。それで……一番凄い魔法を使って、んだね。悪魔ってそんなことまで出来るんだ』


【ええ……しかし、私が現れた時間にしかこの魔法は有効ではない。ですが。このタイミングで私が、いなくならなければ……教室の生徒たちは、助かります。……まだ、何もわからない過去のあなたがこれからの戦いに臨むのは不安かと思います、ですが】


 過去に、戻った?


 まだ、みんなが生きている?


『ねぇ。私は、魂を半分にして悪魔さんにあげたんだよね?』


『なら。私の魂をもう一度あなたたち二人に分ければ、あなたたちが戦える?』


 私は、何を言ってるんだろうか?


『だって、ならそれは私でも良いよね。それに戦い慣れた未来の私の方がよっぽど頼りになる。あなたたちが、とても仲が良さそうで私は嬉しいよ』


『みんなを、助けてあげて。私は良いよ……ちゃんと未来の私が、私の分まで頑張ってくれるなら。沢山頑張ったのにまた頑張れなんて言って、ごめんね』


 誰かに、頭を撫でられた。小さな手が離れてしまうとその温もりが感じられなくてどうしようもなく悲しくなる。


『気にしないで。むしろ、あなたたちの力になれるんだもん。嬉しいくらい。


 ……ねぇ。みんなの記憶を消してほしいの。そうじゃないと、多分……ダメなんだよ。出来るかな?』


【……可能です。あれのこと、ですね。……そのためにはかなり大幅に記憶を奪う必要があります。矛盾に気付けば混乱を招き、疑心暗鬼に陥る可能性も】


 それでも、そう彼女は強く願った。そしてそれをライムが了承すると彼女は喜び、もう望みは何もないと言った。





『さようなら。辛い道を歩かせること、未来の私に謝っておいてくれる? 代わりに私のスマホと、そのボロボロな制服と私のを交換して良いから。


 なんなら、そっちの私の今の記憶は消しちゃって良いよ。足枷には、なりたくない』


 言葉を交わすことなく、過去の私はライムに魂を全て渡して死んだ。ライムはその魂を使って瀕死の私たちの延命に使い、遺言を守ってみんなの記憶は消し、私の記憶を消すのではなく封じた。



 過去の私の存在を、私はすぐに思い出したけども。







 

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