第二十六話 大敗の理由
Side:羽降たゆた
体育館を抜け出した私たちは、追って来るビーストを振り切るために全力で走り続けた。既に体育館で見た化け物の多くが校内を暴れ回っている状態で、何の力もない私たちに抗う手段などなくただ逃げるだけで精一杯な中……彼は、最初の光となってくれた。
『俺は!! この学校の全ての人を守りたいって思ってんだよっ、当然だろ!! 同じ人間なら、例えそれが知らない人でも血塗れになって倒れて、それを誰かが嘆いて泣いてるなんて最悪だ!
思うのは自由だ、全部救うなんて多分無理だろうけどこの気持ちは偽りない俺の本心だよ。だから、この状況を見て君が少しでも俺たちに同情するなら力を、貸して下さいッ!!』
ゴツンと、廊下で何か硬いものが当たったような音が響いた。柱の影に海我ちゃんに引っ張られて隠れながら様子を見ていれば、そこにいたのは先程まで一緒にいた尊ちゃん。そして彼が額をぶつけ、所謂頭突きを繰り出していたのはなんと猿だった。成人男性と同じほどの体躯に、金の髪。お尻から覗いた金の尻尾。正に、猿。
そんな二人に飛び掛かるのは小さな体の、しかし異質な見た目をした鬼のような生き物。棍棒を振り回す小鬼に危険を知らせようと柱から出て駆け寄る。
『尊ちゃん!! 尊ちゃん、逃げてっ』
後ろから海我ちゃんの罵声を受けながらも、走り出さずにはいられなかった。脳裏に浮かぶのは同じように私たちを庇って死んでしまった銀落先生の姿。
だって、もう失うのは嫌なんだ。
痛みに耐えようと固く閉じた瞳。いつまで経っても背中には痛みが襲ってこないので、可笑しいと思って恐る恐る視界を広げると……途端に誰かに首根っこを掴まれた。
【だーっはっはっは!!
あー……面白ぇ。この斉天大聖孫悟空様に頭突きを食らわせるわ、挙句は庇うように人間の小娘が突っ込んで来やがった。こりゃ、良い暇つぶしが出来たなァ】
そのまま尊ちゃん目掛けて投げ出された私は無事キャッチされて、二人でいつの間にか床に倒れる小鬼とそれ目掛けて赤いバトン程の棒を向けた猿を見る。床に倒れても未だ起き上がり、醜い悲鳴を上げるそれに黄金の猿は一言だけこう呟く。
【伸びろ】
グン、と伸びた赤い棒はそのままその先にいた小鬼の体を簡単に貫いてしまった。小鬼の絶命する悲鳴を聞きながら、なんでもないように棒の長さを更に小さくして己の耳に収納する猿を見てお互いにギュッと腕を握る。
【雑魚が。この俺様に歯向かうなど、哀れな小鬼だなァ】
『強ぉっ!? す、凄いな斉天大聖……』
腕を組んで、ニヤリとこちらを見て笑った斉天大聖。
この時。初めて“獣器”を出して戦ったのは尊ちゃんだった。校内の各所で同じように自らの危機に瀕した者が獣器を召喚した……あの、黒いスマートフォンから。それから私たち四人は三組のメンバーを探し出して合計十人が集まることが出来た。
そして、その中で唯一獣器を召喚出来なかったのが……私だった。
『そんなに落ち込むんじゃない。こんなヘンテコな生き物、出せなくて普通だろ。出して戦ってる俺たちの方が余程異質だ』
リーダーである千之助君に頭を撫でられながらも、私は黒いスマホを握り締める他なかった。握りしめすぎた右手を心配するように、彼の獣器であるガルムにツンと腕を鼻で突かれた。
私たちには、唯一この可笑しくなった学校で戦う術がある。それがみんなの黒いスマートフォンに登録された獣器。その獣器は、比較的友好的で校内の化け物とも戦ってくれる。だからみんなそれぞれの獣器と力を合わせて戦う中、私だけはそれが出せない。
『でも……私だって、みんなを守りたいのに……。一緒に戦いたい……』
どんなに願おうと、どれだけ声を掛けても私の獣器は姿を見せてくれない。だから私は戦うことが出来ずただ、守られるだけ。
『いてくれるだけで、いい』
獣器である
私の獣器“悪魔”は、沈黙を守るばかりで姿を現すことはなかった。
【多分、獣器が出現を拒んでるのよ。よっぽど捻くれた奴じゃないかしら? だってよりにもよって、お嬢ちゃんの獣器ってあの悪魔なんでしょう?
数は多くても、大半の悪魔は性悪よ。私が言うのもあれだけどね〜】
きぐねちゃんの獣器であるダンピールが、そう教えてくれた。セクシーな女性の見た目だけどダンピールはこの中の獣器でも一二を争うほどの実力の持ち主。濃い桃色の髪を払いながらウインクを投げるダンピールに、頷く。
諦めろと、そう言われたようなものだった。
【あ、あの。あのあのあの。そんなに落ち込まないで……? ほら、制服のボタンが取れかけてるわ。直してあげます】
『本当、たゆたちゃん針女さんに直してもらって? 顔色も悪いし少し休憩しなきゃ』
九人のクラスメートと、九体の獣器たちは優しかった。最初はみんなぎこちない関係だったけど戦いを繰り返すことで絆を育み、強い力となっていく。それを側で見ていた私は悔しかったけど、そんな逞しい仲間たちが誇らしくて堪らなかった。
だから、良いんだと思っていた。それに入れない自分は仕方ないから。甘えていても良いのではと。
それが大きな間違いであり、それが大敗の理由だと気付いた時には全て遅かった。
『っ、ゴーレム!!』
戦いを重ね、ミッションを熟し、私たちはミッションにあった武道場へと足を運んだ。そしてそこで待ち受けていた最凶の敵である蚩尤によって私たちは……。
砕かれるゴーレムの体に、芽々ちゃんが言葉を失う。既に蚩尤によってガルムとダンピールは倒されてしまった。崩れたゴーレムは消え去り、止まない攻撃からみんなを守ろうと飛び出た針女に戦斧が降り掛かる。
『そんな……』
入り口近くで一人、専也君の獣器である目目連の目の一つと共に戦いを見守っていた。次々と倒される獣器たちを見つめ、それでも祈り続けた。
祈りなど、戦いにはなんの役にも立たない。力ない祈りなど。
【惰弱なり】
無数の矢を受けて、蚩尤の雨を止めていた速さが自慢の魃さえ倒された。何人かはサブ獣器がいたものの、悉くを蚩尤に倒され全く歯が立たない。斉天大聖と、新食君の獣器である愚者が必死にみんなを守るために防御に入る。海我ちゃんの獣器であるケルピーが走り回って次々とみんなを避難させようと背に乗せて行く。
降り始めた雨と霧によって、巨人は背後に無数の武器を配置する。その光景はまるでここに来た時と同じ……半分以上の獣器を失ったのに、振り出しへ戻ったのだ。
【散れ。それが、定めよ】
体の傍を、矢が掠めた。即座にその矢が射られた場所を見れば目目連の目に、それが深々と刺さっていた。周りの壁に配置された全ての目に、その矢は刺さっていて……また一体、獣器が消えた。
【小娘ェッ!!】
ハッとして、恐らく私を呼んだであろう斉天大聖の方を振り向く。幾度となく蚩尤に挑み続けて既にボロボロとなった斉天大聖が、やはりこちらを見ていた。
【撤退だ!! 今から愚者が扉を開く! それを開けろォ!!】
扉へと駆け出して、愚者の魔法が届くのを待つ。愚者は魔法が不得意で、物知りで楽観的な自由な青年のような容姿をしている。自分の身長よりも大きく立派な杖は主に魔法ではなく殴るシーンの方が多く見られたが……閉ざされていた扉は、開けることが出来た。
【斉天大聖サン。子供らをお願いできますかね? ボク、アイツの攻撃止めとくんで後よろしくね】
ケルピーがすぐに扉まで来てみんなを降ろすと、私のこともグイグイと押して武道場から出す。扉の向こうから絶えず降り注がれる武器の数々に応戦すべく、ケルピーはまた武道場へと戻ってしまう。
『ケルピー……っ』
振り返ることなく戦場に留まる愚者とケルピーは、最後までこちら側に帰って来ることはなかった。觔斗雲に乗って扉を抜けた斉天大聖を見送って、ヒラヒラと手を振りながら愚者が笑顔を見せる。ケルピーが迫り来る戟を足元から出現させた水の壁で防いでくれた僅かな合間に、扉は閉ざされた。
武器を失った私たちは、アテもなく彷徨うしかなかった。唯一残った斉天大聖が襲い掛かるビーストを次々と倒してくれるが、蚩尤との戦いで最も傷付いた彼は限界を迎えて……いや、とっくに限界なんか超えてる。ずっと戦いっぱなしで常に守るものがある状態だったから疲労は募るばかり。遂に地に膝をついて血を吐く斉天大聖に、尊ちゃんは何度も謝罪を繰り返す。
限界を悟った斉天大聖は、虚な目で尊ちゃんに初めてお願いをしたのだ。
【悪ィ……、不死身が売りの俺様だがっ、ここじゃダメらしーわ。
小僧。この斉天大聖、そこらの雑魚に命をくれてやるつもりは微塵もねェ。お前が俺様を倒せ。このまま消えてやるのも癪だしな……頼む】
斉天大聖の最後の願いを、尊ちゃんは叶えた。如意棒に貫かれた斉天大聖は光に包まれ……消えたのだ。泣き叫ぶ尊ちゃんを支えながら私たちは、目の前に現れた三年三組の教室へと入った。空間が捩れたこの学校で何度か自分たちのクラスを探したのに見つからなかった。
今更、見つけたところで……。
獣器は全て失った。みんなは無事だけど、既に精神的に追い詰められた彼らの瞳に……光はなかった。何度も励まし、声を掛けた。だけど、誰もその声に答えてくれなくて。混乱し、泣き叫び、不安を吐露して疲れたように眠ってしまった。
『なんで……』
廊下に出て、扉に背を預けて座り込む。ポケットから取り出したスマホを見つめては、それを壁に投げ付ける。
『どうして!! どうして、私は!! わたしはっ、どうしたらっ……』
私はどうしたら良かった? こんな結末を迎えたのは、何が悪かった?
『嫌だっ、嫌!! こんなところでみんなを死なせたくない! 斉天大聖たちが頑張って繋いでくれた、今を』
私が、戦えたなら。
『取り戻したいっ……、私たちの日常を返してよ……』
私の黒いスマートフォンが、赤い魔法陣を出現させる。今までビーストの詳細とミッションを確認するくらいしか使い道がなく、みんなのように扱えなかったのに。ビーストを倒せない私はアイテムもプレゼントもないから。
黒い羽が辺りを覆い、大きな烏が姿を現したかと思えばそれはすぐに人の形に変化する。シルクハットを取り、丁寧に腰を折ってお辞儀をする高身長の赤と黒の瞳を持った男……じゃない、これは、悪魔。
【お初にお目に掛かります。醜い主人の叫びに起こされ、参上しました】
【なんて言うと思ったか? 喧しいんだよ、何故この俺を呼び出せる。
しかも召喚者がこんな貧相な人間の小娘だと? 全く……小物風情が。知恵を付けるとすぐにこれだ、面倒な】
優しげな表情は一瞬にして崩れ、こちらに向ける視線は冷たくて体の芯から震えるほど相手から殺意を向けられた。心底面倒そうに私を見た後、キョロキョロと周りの様子を見てから背中から翼を取り出す。
【ふん、異界か。丁度いい、肩慣らしにそこらの雑魚を潰してくるとするか。
ああ。勘違いするなよ、人間。俺は貴様に協力するつもりはない。精々ここで醜く死に絶えろ】
『ま、って……待って! ここは危険なんです、一人でなんて』
漸く現れてくれた、私の獣器。死なせたくはない。彼がどれだけ強いのかわからないけど、同じように強かった斉天大聖やダンピールですら死んでしまった。
そんな私の言葉に、彼は酷く顔を歪めてから翼で宙を飛んだ。どこからか取り出した杖を喉に突き付けられ、言葉を遮られる。
【黙れ。貴様のような弱者とこれ以上語る気はない。俺の心配などしている場合か? 貴様はこれから、汚いビースト共に蹂躙されその身を貪られるのだぞ】
『……そう、だね』
もう、戦う手段はない。唯一の獣器である彼にも協力してもらえない……引き止める術を、私は持たない。
『でも、私……君に会えて良かった。私にも獣器がいるんだって、凄く……嬉しい。
ありがとう。気を付けてね』
不安に押し潰されそうな心の内を悟られないようにと、下を向く。その間に獣器は翼を動かして暗い闇の向こうへと去ってしまった。
行ってしまった。
恐怖で震える体を抱きしめながら、私は静かに取っ手を掴んで教室へと入った。眠るみんなを見つめながら、扉の前にバリケードを作っておく。強いビーストには無意味だろうが、ないよりはマシだろうから。
彼は、大丈夫だろうか?
少し休もうと床に座って膝を抱える。目を閉じて、最後に見た私の獣器を思い出しながら眠る。
廊下の向こうから聞こえる足音に気付くことなく、私たちは束の間の休息に浸っていた。
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