第二十五話 終わりの始まりを
Side:羽降たゆた
私たちの高校生活が、今日……終わりを迎える。夜は中々寝付けず折角の晴れ舞台だというのに寝不足という他ないけど不思議と眠気は皆無で。いつもよりも冴えた頭でマンションの一室を出た。
『羽降! すまないすまない、準備に手間取ってな』
マンション前の植木の近くに設置されたベンチに座っていれば、同じマンションから担任の銀落先生が慌ただしく駆けて来た。小さな島で暮らし、本土で一人暮らしを始めた私のサポートをしたいと言ってくれた先生の言葉に甘えて同じマンションに住んでいる。最初の頃は殆ど私生活で関わることもなかったし、こうして登校も一緒ではなかったのだけど。
『おはようございます、銀落先生。謝るのは私の方ですよ。二年間一緒に登校してくれてありがとうございました、先生と一緒に学校に行くのも今日で最後ですね』
『何言ってるんだ。受け持ちの生徒が不審者に二度も声を掛けられたんだ、こうして朝くらい一緒にいてやらないと俺が不安でどうにかなりそうだ』
本土での生活に舞い上がり過ぎたのか、それとも私がよっぽど田舎者に見えたのか……何度か不審者らしき人に声を掛けられたり跡をつけられたことがあって警察沙汰になってしまった。それからは同じマンションに住む先生が朝の登校を、下校は海我ちゃんがずっと一緒にいてくれた。
わざわざ先生を付き合わせるのは悪いと言ったのに、銀落先生は二年間殆ど欠かさず私と登校してくれたのだ。
『先生なんかと登校で、あまり楽しくはなかっただろ?』
『いいえ。私、夢だったんです……誰かと登下校するのが。毎日が誰かと関われる夢みたいな日々だったから。
だから、ありがとうございました。あの日に先生と尊ちゃん、新食君が迎えに来てくれたから今の私がいる。先生の生徒になれて良かった、幸せ者です』
それが今日で終わりだなんて、悲しくて寂しくて仕方ないけど。また会えると自分に言い聞かせて終わりを受け入れるのだ。
黒縁の眼鏡を外し、あまり見たことのない新品のキッチリとしたスーツの袖でそっと目元を擦り出す先生をギョッと見るとすぐにハンカチを差し出す。まさか卒業式のためのハンカチを先生に最初に貸してあげることになるとは思わず、その背中を摩ってあげながら笑った。
『銀落先生、泣かないでー! 私が最初に先生を泣かせたなんて皆に知られたらまた揶揄われちゃうよー!!』
『生徒が素直で無垢なまま巣立つのが辛い、寂しすぎるだろ……ああ、そうだ。
羽降。お誕生日おめでとう。誕生日プレゼントもあるから、後のお楽しみだな』
学校に着くと、既に何人かのクラスメートが来ていた。先生に合わせて登校したからかなり早く着いたのに、それでも今日という日のせいか顔ぶれが多い。
親戚であり、小さな頃に交流があった海我ちゃんとは普段からよく一緒にいる。教室に入ってすれ違うクラスメートと声を交わしながら席につけば、鞄を置いてそっと窓際へと移動する。いつもはチャイムが鳴るギリギリまで登校しない彼が、何故か今日はそこにいたから。
『おはよう、海我ちゃん』
『……はよ』
窓際にあるロッカーに腰掛け、外を眺めていた海我ちゃんがこちらを向く。トントン、と座る場所の隣を叩くから私もそこに座ろうとするがロッカーが高くて中々上手くいかない。胸元まであるロッカーに悪戦苦闘しながら、やっとの思いで乗り上げることに成功する。
そんな私を見て、可哀想なものを見るような眼差しを向ける意地悪な幼馴染。
『スカートだろ、ちょっとは恥じらうとか遠慮するとかしろよ』
『スパッツ履いてるよ?』
もう良い、と言う海我ちゃんは頬杖をつきながら外を見る。三階である三組からはグラウンドが見えるし、大きな桜の木も木の先まで見えるほどだ。今年はまだ寒いから桜は咲いていないのが残念。
海我ちゃんと会ったのも、桜の咲き始めたまだ寒い春だった気がする。古い日本家屋の庭にそびえる桜の大木を背に……私を抱き抱えた父と、幼い海我ちゃん。昔の記憶を殆ど忘れてしまった私が唯一覚えている光景。
『見てみろ、たゆた』
昔の記憶に浸っていると、海我ちゃんが外を指差すのでそれを追って外を見る。
今日、卒業式には父兄は参加出来ない。それなのに何台かグラウンドの端に止まる黒塗りの車。
『……丹小櫓だ』
『なんで、……海我ちゃんが早く来たのもそのせい?』
丹小櫓家とは、この辺りでは有名な名家であり海我ちゃんの実家。私はその遠い親戚の血筋に当たる。海我ちゃんはその丹小櫓の本家の末息子だ。
この不良っぽい出立ちからはあまり想像出来ないけど、かなりの御坊ちゃま。でもそう言うと凄く怒るから喧嘩した時くらいしか言わないようにしている。
『……俺が卒業する、なんてことで騒ぐような奴等じゃねーよ。だから別の何かがあるんだろうが……本家はかなり慌ただしかった。
安心しろよ、どうせ裏でコソコソしてやがるだけだ。
島を出てから、一度だけ丹小櫓家に出向いたことがあった。
大きな日本家屋の立派なお屋敷。静かで、それが不気味なほど……そちらに引っ張られるような静寂。だと言うのに、そこかしこから見張られているような息苦しさを感じた。でも、誰もいない。ずっと海我ちゃんに引っ付いていた私を、一度だけ誰かが見てこう言った。
【あの父親にそっくりだ】
それが誉め言葉なのか悪口だったのか、父親を覚えていない私にはわからなかった。
『……丹小櫓のお家が動くようなことが近くで起きたってこと? 大丈夫かな……。海我ちゃん、卒業式の後はすぐ帰っちゃう? 送別会は出ない?』
きっとみんなは、卒業式の後もお祭り騒ぎを計画しているに違いない。大好きなクラスメートとの最後のお祭りは当然参加一択。だけど、目の前の彼は騒がしいことを嫌い、それに巻き込まれるのは更に嫌いだ。
学校を辞めるはずだった海我ちゃんが二年生から学校に来始めたのも、幼馴染の私が心配だったからだろう。来る理由がなかった彼に、無知な幼馴染が迷い込んで来たから世話を焼くような。なんだかんだで懐に入れた人間にはとことん甘いから。
『お前は出たいんだろ。最後だしな……いや、お前とは大学も同じか。
高校最後まで、ちゃんと付き合ってやる』
『お! じゃあ、海我も参加で決定だな。言質取ったぞー?』
突然の声に驚くと、目の前には尊ちゃんと新食君がいた。お互いに挨拶をした後で小脇に抱えていたチェック表に何かを記入している。多分送別会の参加表だろう。
記入し終えた尊ちゃんは、それを満足気に見てからいつもの優しい笑みで私たちを見やる。
『うんうん。全員参加で俺は嬉しいぞ。詳細は後で千之助が伝えてくれるだろうから、ちゃんと話を聞いておくようにな』
『ふふっ、尊ちゃん先生みたい』
しっかり者の尊ちゃんは、いつもクラス一の問題児の新食君の手綱を握っている。本人はあまり自覚していないけど、多分新食君はそういうタイプだと思う……誰かが近くで話していてあげないと、一人で大丈夫だからと何も話さなくなる。飽き性で面倒臭がりが過ぎるせいか、一人でいることが多いから。孤独にだけは、彼は飽きないようだし。
そんな新食君を気にかけるのは尊ちゃん。世話焼きで一人一人をしっかりと見ている尊ちゃんは、そんな新食君を三年間このクラスに留めた凄い人なのだ。
『よーし、じゃあ尊先生からたゆたに生徒指導だ。
女の子がスカートでそんなところに座るんじゃありません。せめてズボンを履くか、もう少し横を向きなさい』
『ねぇーこの先生ポンコツじゃなーい? 普通そこは、降りなさいでしょー』
いつの間にか大半が集まっていたらしい教室が、ドッと笑いに包まれた。私たちのやりとりを見てみんなが色んな感情を乗せて言葉を出す。呆れる声や楽しむ声、いっぱいある。
いつもの教室でのやりとり。
いつもの私たち。三年三組の三十三人が集まって、無事に今日を迎えた。銀落先生から貰った卒業生の花を胸に飾って、一緒に体育館に足を運んだ。
だけど。
『みんな、この黒いスマートフォンを持ってくれるか? 先生もさっき初めて校長先生からこれを預かってな……。学校側のちょっとした卒業式の実験……だそうだ。自分のスマートフォンと交換してくれ、卒業式が終わり次第すぐ返されるそうだから。各自自分の名前の物を取ってくれ』
あの、黒いスマートフォンを渡された。みんな新しいスマホにはしゃいで、実験という学生には心躍る単語にすっかり気を良くしてそれを受け取り自分のスマホを預ける。どうせ式の間は使えないし、何の支障もなかった。
私も、何の躊躇いもなく受け取った。
【卒業生が入場します。在校生の皆さんは、拍手で迎えましょう】
体育館に揃った私たちを待っていましたとばかりに、それは始まった。教頭先生の話の途中だった……ステージの脇から飛び出して来た無数のビーストによって突如としてその地獄は始まったのだ。
生徒たちの悲鳴と、襲われて絶命する者の断末魔。
何がなんだかわからずも、逃げ出す生徒たち。そんな私たちを嘲笑うように床に出現したのはマンホールよりも一回りほど大きな穴だった。何人もそれに吸い込まれ、消えてしまったのだ。逃げ出す中で私の手を取って逃げていた海我ちゃんの足元にもそれが現れた。
『海我ちゃんっ!! や、やだ!!』
ガタイが良くても自分よりも大きなその穴には抵抗する間もなく穴に落ちる寸前だった。私は必死になって彼にしがみ付き、下半身にありったけの力を入れて耐えた。
『っ馬鹿! 離せ、お前まで……!』
返す言葉の余裕もない。ただただ、彼を離さないように腕にしがみ付くしかなかった。落ちた先のことを考えては、最悪の結末に思い至って仕方ない。周りで同じように穴に落ちて行く人を見ては、ビーストに襲われる人々の脚に蹴られたり体当たりをされても耐え続けた。
『たゆた!! 落ちかけてるのは……海我か、今行くから!』
学校の方針で、あまり名前を呼ばないのだと言っていた。
銀落先生は、私たちを見付けて血相を変えて駆け付けてくれたのだ。名前を呼ばれて、我慢していた涙が流れてしまう。銀落先生に引っ張り上げられた海我ちゃんは、無事に地上に足をつけた。
『っー、海我ちゃん!!』
ワッと泣きながら、体当たりする勢いで飛び込んできた私を簡単に抱き止めてくれる温かな体に心底安心した。
『二人とも、逃げるぞ! 他のみんなも心配だろうが今はとにか、く……
あぶないっ!!』
鮮血が、宙を舞う。
銀落先生の胸から飛び出た、見たこともない……剣。そこから飛び散る血が……大好きな先生を染めていく。剣が抜かれると、先生の横から現れた一メートルほどある盾がその体に乱暴にぶつかる。ドサリと床に倒れた体から、次々と溢れる血。
『見るなっ!!』
無意識に伸びた手ごと、海我ちゃんに抱え込まれた。銀落先生の向こうには全身を鎧で固めた騎士が立っていて、その手には血塗れの剣が握られていた。
そこで初めて、そいつに銀落先生が殺されたのだと気付く。もう先生は……ピクリとも動かなくて……うわ言のように呟く私の呼び声にも反応してくれない。瞳は見開かれたまま、絶命している。
『せんせ、い……』
ポケットの中で、スマホが揺れる。それに構うことなく海我ちゃんの腕から逃れて銀落先生に駆け寄ろうとするも、彼がそれを許すわけがなかった。
『行くぞ、舌噛むなよ!!』
俵担ぎにされ、床に倒れる先生を最後まで見ていた。こちらに走って来る謎の騎士に……体育館中を埋め尽くす死体の山。気付けば室内は暗くて、先程までの日照りはどこに行ったのかと意識の端っこで疑問に思った気がする。
遠くなる大好きな担任の先生の変わり果てた姿に……何故か涙は出なかった。
【ゲームの始まり、始まり】
ステージの上で、何かが現れたのを見た。卒業式の始まった時には確かになかったはずの十字の、巨大なアートのような。それが三個。
そしてそれらを眺める何者かと目が合った瞬間、海我ちゃんが体育館から抜け出したまま走り出した。
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