第二十四話 忘れて
大聖が消えた。跡形もなく彼がいた痕跡がなくなり、先程まで言葉を交わしていたのにもうどこにもいない。その現実が、ただ悲しくて、ただただ胸が苦しい。
『大聖っ……』
何故こんなにも悲しいのか、わかっている。わからないけど、気付いてしまったんだから……知らない振りはもう出来ない。
止めどなく溢れる涙に溺れる俺を見て、ライムの腕の中から抜け出して来たたゆたが走って来た勢いのまま俺を腕の中に閉じ込めた。頭を抱えられ、血の匂いが包むも嫌な気持ちはない。情けなく泣き声を上げ続ける俺を、たゆたはずっと離さなかった。
『……ライム、みんなの』
『ストップ』
ライムに何かを話していたたゆたの声を遮ったのは、新食だった。落ちていた矢を拾い上げた新食は、その先端をたゆたに向けるとライムに視線だけを向ける。
『何もしないでね? 魔法もなし、君が何もしなければ俺もたゆたんを傷付けないで済むんだよ』
【貴様……】
ライムの舌打ちを聞いた後、彼はいつものように胡散臭い笑みを浮かべながら鼻歌を歌う。突然のことに誰もが押し黙る中で一人異質な空気を放つ、それは別に今に始まったことじゃない。
兵児新食は、常にそういう男だ。
『たゆたん。ダメだよ、いくら俺たちが傷付こうとそれを奪うようなことしちゃ。
ま。君のことだ、俺たちのことだーい好きな君は必要以上に守りたがる。でも……それに甘えなきゃいけないほど、俺たちはここで追い込まれたんだね?』
彼は恐るべき頭脳と、年齢に似合わない価値観を身に付けている。そんな彼がこんなありふれた学校でありふれた三年間を享受したのは単に、面倒臭いからだ。
新食は面倒なことが大嫌い、楽しいことが大好き。彼という人間をまとめるにはこれに尽きる。そして何よりも新食は、面倒臭くて投げやりに入学したこの学校で最も欲していたものを手にしたのだと言った。
“手放し難いもの”
彼の心を満たし、彩るもの。兵児新食はそれをこの三年間で得られた。
『教えてよ。たゆたんは、知ってるんだよね? 俺たちが忘れてしまった全てを君は覚えてる……
ねぇ、教えて? 俺たちのクラスを壊した糞野郎は、だぁれ?』
三分の二を失い、担任の先生をも亡くしてしまった。俺たちはどういうことかその過程を知らずにいたが……恐らく違う。
知らないのではない。
忘れたのだ。
『変なんだよね、まず獣器が現れないことが一番最初。そして既に校内では溢れるほど死体が転がってる。彼らはどうして死に、何に襲われたのか。
一番はライムじゃない? 会って数時間の悪魔と、こんなに息を合わせて戦えるものなのかな? そんなに大切にされる理由も、勿論あるよね。だから答え合わせをしようよ、たゆた。だからまずは、この答えから』
新食の示す先には、火黒先生と生徒たち。漸く目覚めた火黒先生は座り込んだままだがしっかりとした目付きで俺たちを観察していた。座り込んだ火黒先生の周りにいる生徒たちは、この異様な雰囲気に口を出すことなく、静かに先生の後ろで様子を見ている。
『ねぇ。アンタたちがこの異界学校に入ったのは、いつの話? まさか異界になって間もない頃なわけないよね。
……羽ヶ者学園高等学校が異界となって、それから何時間後に侵入した?』
そうだ。火黒先生たちは、異界と化したこの学校に調査のために入って来た。ならばそれ相応の時間が経過してからここに来たと考えるのが普通だ。
そして俺たちは、彼の答えに耳を疑うこととなる。
『報告では、午前十一時過ぎにこの学校が罪区特殊異界学校として認定された。観測したのはこの地域一帯を仕切る一族からの確かな情報だ。
……認定されたのが十一時なら、恐らく異界に呑まれたのは十時頃。俺たちがそれからここに到着して、異界に入ったのは午後五時。異界と外では時の流れが異なるのが殆どだが、今回は然程変わらないだろう。
だから俺は最初に驚いただろ? 既に七時間以上も経過した第十位級っつー最悪レベルの異界と化したここで。お前らがほぼ無傷で、十人も生き残ってることにな』
七時間?
そんなバカな。だって俺たちは卒業式を間近に控えていた……廊下で待機していたんだ、みんなそう言ってた。
『そこから調査を重ねたのが一時間程度、そして現在まで更に数時間。つまり外はもう夜中だ。
お前たちは既に十二時間はここにいる計算だぞ』
誰もが、言葉を失う他ない。
そんなに時間が過ぎていた……それだけの時間、ここに閉じ込められていた?
『うわ、想像以上にいるね。にしても現地入りが遅くない?』
『……仕方ねーだろ。同時に同レベルの案件が湧いて来たんだよ、第十位級がポンポンと……人手不足に決まってんだろ』
『ふーん?
これでわかったでしょう? 俺たちは多分前半以上の記憶を丸ごとなくしてるんだよ。そしてそれをしたのも……さっき、悲しみに押し潰されそうだった哀れで大切で仕方ない仲間のためにそれをしようとしたのも、
たゆただ。いや、正しくはたゆたに命じられたライムかな?』
みんなの視線が、一斉にたゆたに集まる。そっと俺から体を離したたゆたは、その視線を受け入れてゆっくりと頷いた。
『そうだよ』
簡単にそれを肯定した彼女に、周りが一気に騒がしくなる。疑う声に悲しむ声、沢山の想いをぶつけられながらもたゆたは真っ直ぐと前を向いていた。俯くことはなく、胸を張ってしっかりと。
『私が、ライムにみんなの記憶を消してもらったの』
『たゆた、なんで……』
きぐねの言葉に、たゆたは首を横に振る。ギュッと閉じた口は答えを拒むように固く閉ざされたまま開くことはない。みんなが声をかけるも、頑として声を出すことはない。
【話せないのですよ。
話せない、話してしまえば再び私があなた方の記憶を奪わなければならなくなる。申し訳ありません。断片的に記憶を奪うことが出来なかったので、ゴッソリ奪ってしまったのです。
結果、出会いも別れも……良い記憶も悪い記憶も全て、ということになってしまいました。謝罪を、そして我が兄弟を許してあげて下さい】
『納得出来るわけないでしょ? さっさと記憶を返してくれないかな、尊にとってはその記憶の中に良い出会いがあって忘れちゃいけないものだった。
俺たちもそうさ。俺たちにも獣器がいたんじゃない? 大切な記憶だってあるんだ、勝手に奪うなよ』
一歩も譲らない新食の様子に、暫くは低姿勢のままやり取りを繰り返していた。そんな押し問答が続き、中々決着がつかないままだったが……先に変化を起こしたのはライムの方だった。
スッと両の眼が細められ、赤と黒の瞳が温度のない冷ややかなものへと変じたことに一部の者が気付く。
『やめて、ライム!!』
新食の足元に現れた赤い魔法陣が輝き、彼の手にしていた矢がいつの間にかライムの手の中に移動していた。片手でそれを折ると、コツリ、コツリと木靴を鳴らして新食の前に立つ。
【あまり図に乗らないでいただけますか? 私は、羽降たゆたの武器、悪魔なのですよ。貴様らが生きているのは我が兄弟の望み故に。その命が生かされてたのは、散って行った貴様らの獣器たちの賜物……それを簡単に手放すような真似をしてはいけませんね。
死にました。あなた方の獣器は全て、あなた方を守るために死んだのです】
『……まあ、そんなとこだろうとは思ったさ』
ごめんね、とたゆたに謝って頭を下げる新食を……たゆたは何度も首を横に振る。ボロボロのスカートを握りしめ、悔しそうに震える彼女を見て新食も笑う。
『あらら。その様子だと、俺らの記憶を消したのは別の理由があるんだ?』
『……新食君、嫌い……』
『は?!』
泣きながらきぐねの背に隠れたたゆたに、きぐねがかつて無いほどのキレ顔で新食を睨み付ける。身長のさほど変わらないたゆたをしっかりと抱きしめながら、完全なる擁護体制だ。これには流石の新食も身を引っ込める以外に道はない。
『泣かせたわね……、あんなに必死に頑張るたゆたになんてことするのよ。私はまだたゆたに謝ってないし、お礼も言ってない。
だって許してほしいもの。酷いこと言って、よく……わからないけど、たゆたはきっと大変な思いをしてここにいるのよ。見てればわかるわよ、ずっと私たちに縋り付くような目で。怖いのかと思った、不安なのかなって。
でも違うわ、違うのよ。この子、私たちが死なないか、ずっと心配で仕方ないの』
小さな体に縋り付く瞳が揺れた。そっと自分を守るようにするきぐねを見上げて、制服を握る手を控えめに自分の方に寄せる。それを当然のように受け入れるきぐねに、安心したように息を漏らす。
『たゆた。あなたの許せる限りでいいから、話してくれない? 私たちは尊が約束したもんだからここでの記憶は消えるらしいわ。だから教えてもらっても結局は忘れちゃうのよ。
だから、あなたが話せるまででいいの。それがわからないと私たち……多分、先に進めないの』
そっときぐねから目を離したたゆたは、そのままそれを火黒先生へと移す。彼はそれに頷いた。
三組のみんなを順番に見た後で、たゆたは真っ赤になった袖でゴシゴシと涙を拭く。慌てて既に使い物にならなくなったブレザーを脱がせると、サイズがかなり合わないが俺のものを着せてあげた。きぐねが余った袖を捲ってあげるのを見ながら、たゆたは小さな声で話し出した。
『……話せない、ところは……どうしても、話せないよ。
辛い、話だよ……悲しくて、怖くて、忘れた方が良かったって思うかも。だってみんな何度も泣いてた……たくさん、喧嘩もした』
『教えてくれ、たゆた。それを知って進みたい。たゆたにだけ押し付けるのは嫌なんだ。一緒に背負わせてくれ』
それは、明けない闇の始まり。
悲鳴と恐怖と、血の惨劇。突如として奪われた卒業式を永遠に迎えられない俺たちの今と、救われない人々の未来。
『……私を、嫌いにならないで』
一人の少女の、残酷な物語の始まりでもあった。
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