第十六話 暴君降臨

【いつ俺様を出すのかと思えば。なんだ、貴様この俺様を退屈で殺す気か? いやこれは分身体だから殺しても意味なんてねーけどな!!】


 がはは、と赤い眼を細めて大層愉快な様子で大口を開けて笑う猿。ただの猿ではない。デカイ……典型的なヤンキー座りのせいで身長はわからないが、窮屈そうに曲げられた足にダラリと伸ばされた長い腕。立ち上がればきっと二メートルはいくのではないだろうか。


 この猿はなんなんだ?


【どうした。何故黙っている、いや待て……


 は? オイ、貴様どういうことだ。何故貴様はなどと無礼極まりないことを考えている】


 視界いっぱいに広がる、猿のイケメンは心底不機嫌そうな顔を向けた。しかしそんなことに構っている場合ではない、俺は心臓が飛び出る思いをしている。


 なんで、心を読んでるんだ!?


『あ、の……もしかしてあなたは』


【なんだ? 俺様の名前などその貧相な脳に散々刷り込んでやったつもりだったがな。


 我が名は斉天大聖せいてんたいせい孫悟空そんごくう様だ。二度と忘れるな、次に忘れたらタダじゃ済まさねーぞ】


 鼻を一つ鳴らすと、彼は右腕を上げた。無意識にその腕を目で追っていくとそれは俺の頭の上まで伸びて、最後に頭に置かれた。ポンポン、と軽く叩かれる。知らない猿に気軽に頭を触られているというのに不思議と嫌悪感などなく、むしろ。何故かどうしようもなく……胸が締め付けられる思いがした。赤い眼と、目が合う。ムスリとしていた顔が、ふと柔らかな雰囲気に変わった。


【随分とわっぱらしい顔持ちになったなァ。なるほどな、こういうことを望むとは……人間は本当によくわからん。


 ふむ。にと手土産を置いたつもりだったが、良いだろう! 小僧。気分が良い、貴様の望みを言え。考えるな、何も考えなくて良い。ただ無遠慮に。ただ貪欲に。


 貴様の望みを俺様に言え】


 頭に乗った手に、手を重ねる。想像以上に大きくて無骨な……冷たい手。だけど、よくわからないけど、俺はこの手を信頼出来る気がした。


 だって彼は、俺の心から欲した唯一の武器なのだから。


『力を、貸してほしい……。仲間たちを守れるように。


 神に勝てる力を、貸してくれ』


【上等!!


 良い。良いぞ、そうでなくちゃな!! この俺様が選んだのだから。最後に神を下して退場するのなら納得してやる!】


 片手一本で倒立したかと思えば、そのまま腕の力だけで飛んで宙返り。音一つ立てずに着地してグンと背中を伸ばしている。立ち上がった彼はやはり長身で歩くたびに尻から出た尻尾がゆらゆらと動き回っていた。


【やっぱ蚩尤か。あ? 面子が違うぞ……なんだ、あの三人は。


 オイ小僧。あのあやかし混じりと、神の混じった童共はなんだ】


 立ち上がった彼に、頭を膝掛けのように扱われる。それに抗議するように腕を何度か叩いてみるもビクともしない。諦めて彼の言う方を見れば、そこには火黒先生たち三人の姿があった。


『異界にされたこの学校の調査に来た、えっと……なんとか全学校の先生と生徒だよ、


 なんの違和感もなく、そう呼んだ。だから彼が気を悪くしたかと思って口を覆ってからそっと様子を窺った。だが、こちらの心配を他所に何事か考えているのか額に指を当てている大聖は何の反応もなかった。


 なんで大聖、なんて呼んだんだろう? 普通は悟空……とかだろ。


『大聖』


【なんだ? いや少し待て。オイ、そこの餓鬼。この小僧が重要なことを濁すから代わりに話せ。なんとか全学校とはなんだ?】


『あー……確か、国立第三柱器学園全学校……だったかな?』


 俺たちの後ろで静かにしていたらしい二人は、突然現れた大聖に警戒してか障壁の隅の方にいた、俺を置いて。抗議の意味も込めて見るも、答えたらすぐに明後日の方を見やがった。


【第三、器……。ほー、介入してきたのか奴等。珍しいこともあるじゃねーか。妖混じりは置いておくとして、神がここに転がっているのも含めて三柱。なるほどなるほど。


 そして……奴がいるか】


 空中で三人の様子を見るライム。その右手にある剣を振るうことなく、彼はただ静観する。蚩尤の圧倒的な攻撃力を前に、なんとかそれを押し留める彼らを助太刀することなく。


『彼はライム、たゆたの獣器だよ。たゆたがいないからライムもイマイチ力が出ないみたいで……』


【それもあるが、違うな。あれは半ば諦めてやがるんだよ】


 やれやれと言って周りを見渡す大聖は、遥か後方へと眼を向ける。徐々に力が入る腕に、更に抗議するように叩く、というかほぼ殴ってやった。そんな様も面白いとばかりに彼はゲラゲラと下品に笑うのだ。


 ああ……なんだろう。理不尽だなぁ。


【主人はどうした。ライムとかいう悪魔の主人は】


 たゆたのことか。


 大聖にたゆたの状態を話すと、彼は途中からやっと腕を退かしたかと思えば思いっきり頭を殴られた。あまりの痛みに殴られた箇所を押さえながら唸っていると仕上げとばかりに尻尾でケツまで打たれた。


【戯け。あの娘なくして、この戦いに勝てると思ってんのか? 俺様が万全であれば勝機も見えるが、この身は分身体。一度でも攻撃を受ければ消え失せ、時が来ても同様のこと。


 あの娘を戦線に送れ。蚩尤に勝つためには、それが最低条件だ】


 記憶に蘇る、彼女の小さな背中。あんなか弱い女の子がいることがこの戦いの最低条件?


 なんで。なんで、たゆたなんだ。


【何故だァ? 当然だ。あの娘の中にある意志に勝るものなどない。あの娘には闘志があり、勝利を誰よりも願う心を持つ。そんな者が戦わず、誰が戦う?


 大いなる力を持つことに、成体か幼体かの差はなく男か女かの差もない。個人がどれだけ強くあり、それを望むかだ。今、ここで一番強いのがあの娘。ならばそれを活かして戦うのが定石だろォ?】


 勝つ。


 そしてそれは、帰るための一歩。


 暗闇が支配するこの地獄から出て、それぞれの道へ向かうために。死んでしまった多くの人々の無念を背負って。もう闇はうんざりだ、明るい太陽の元へ。


 勝って、帰るんだ。


『俺たちも……力になれるよな』


【……当然だ。むしろ……、いや。野暮だな。今度こそ勝利を手にするぞ】


 大聖はライムのように多くのことを知っていた。むしろ、ライムは主人同様に俺たちに隠しておきたいことがあったんだ。


 通話の機能を、大聖は知っていた。


【知っている。そのフレンドとやらを押して、名前が出るだろう? その名前を長く押せば通話が出来る】


 専也の名前を長押ししていると、すぐに通話画面へと移った。三人でその画面を唖然として見ていれば、大聖は小首を傾げてこう言ったのだ。


【本当に貴様ら、何もかものか。滑稽なものだ】


 その言葉に、出しかけた言葉を飲み込んだ。不意に顔を背けた大聖が、その先を聞いてくれるなと言っているようで。言葉の中に込められた、寂しさのような何かを感じながら通話は始まった。


「こちら、専也です……どうぞ」


 よく聞いた声が、スマホ越しに聞こえた。だけど様子が変だった……置いて行ってしまったから、怒っているのだろうかと思ったがそれは違った。


 見なくてもわかる。彼はきっと、下を向いている。


『もしもし、専也? なんか電話なんて機能があったみたいだからさ……ちょっと話そうぜ。


 お前はよくゲームをしてたよな。俺たちもゲームとか漫画とか好きだけど、お前は好きが溢れてたよ』


 授業中ですらその続きをしているものだから、何度もゲーム機や漫画本を先生に没収されていた。やってはいけないことだから、怒られるのは当然なんだけど、俺たちにとってはそれが専也だった。


 ゲームではルールを理解するのも早く、作戦を練ることに長けている。それが現実世界となると途端に上手くいかなくなるのだと嘆いていた彼は、それが現実の壁だとよく落ち込んでいた。運動は苦手だから、どうやったら勝てるかはわかるけど行動することは出来ない……ならば、出来るやつにやってもらえば良いだけだ。一人では出来ないことは、みんなでやって勝てば良い。


『言ってたじゃないか。高校に入って、出来る様になったことが沢山あったって。


 また、出来たことを増やそう。アイツを倒すのはみんなで力を出し合わないと無理だ。お前の力を、知恵を貸してくれ』


 誰かと協力する喜びを知る彼ならば、必ず立ち上がれる。長い長い沈黙の中で向こうから鼻水を啜る音がした。


「尊君っ……死にたくない、死にたくないよ。まだ未プレイのゲームも今期のアニメも撮り溜めてるし……お父さんと、お母さんにも会いたいっ……。


 ずっと、怖くて……でも、怖くて嫌で仕方なくて、本当は何もしたくない。だけど、だけど!! 僕は、現実では何も出来ないヘタレだけど……大切なみんなを、頼ってくれる仲間をっ


 裏切る真似だけはっ……しだくないよぉっ!!」


 そうだ。


 そうだよな。何度も何度もその恐怖と戦って、彼はやはり勝ったのだ。


「ど、どこにいるかな? こっちも大分クールダウン出来たし他のみんな大丈夫そう。そっちは怪我とか……ないよね?」


『俺たちは大丈夫だが、四人はかなりヤバい。勝命君が負傷してるし蚩尤にはまだ全然ダメージを与えられない……』


 動き回り彼らは、もう息も絶え絶え。早く何かしらの手を打たなければ取り返しがつかなくなる。


「……わかった。合流しよう、目印になるものがないから……こっちに来れそう?」


 それが現状一番の問題だ。


 バシバシと叩くも、障壁はうんともすんともいわない。何度この壁に助けられて悩まされるのかと頭を抱えていたところで、あの時とは違うのだと閃く。


『大聖……!!』


 耳からスマホを外し、欠伸をしていた大聖を呼び掛ける。欠伸を殺して近付いてきた大聖の前で障壁を叩く。それを見ただけで伝わったのか、彼は徐に耳に指を突っ込むと何かを取り出した。


【伸びろ】


 大聖の一言で、それは瞬く間に伸びた。二メートルほどのそれ……棍棒をクルリと片手で操るとそばにいた芽々がすぐに逃げ出した。無理はない……大聖がそれを振り回すたびに物凄い風が巻き起こるのだ。


『すご。あれが噂の伸縮自在の如意棒ってやつかなー?』


 赤い本体に、両橋には金の細工が施された大聖の武器。最初はマッチ棒ほどもなかったはずなのに、まるで魔法のようだ。


 金の冠に、金の胸当て……そして如意棒。まさに俺たちのよく知る暴れん坊、いや……暴君。


【屈んでな、テメェら!!


 伸びろ如意棒!! 伸び続けろ!】


 大聖の命ずるまま、如意棒はどこまでも伸びた。直に障壁に当たるも命令のまま伸び続ける如意棒と障壁のぶつかり合いが続いたものの、拮抗は破られた。


【伸びろ伸びろォ!!】


 赤い障壁の欠片が辺りに舞う中で、高らかに叫ぶ彼はとても楽しそうだった。心底暴れるのが好きらしい。僅かに残った残骸も如意棒を振り回して壊しまくり、全てを粉々にした。


『獣器ってさ……主人に似てるんだよね』


 隣で何かを言われたような気がしたが、俺は何も聞いていない。何も。聞いてない。


 バリン、バリンと足元に散らばる欠片を踏み付けてわざと音が出るように歩いている大聖を見ては只管心を無にする他ない。


【壊してやったぜェ? あースカッとした。俺様はな、閉じ込められるとか封じ込められるとか大っ嫌いだからな】


『大聖……出られたのは大変有り難いけど、音がデカい。ここで蚩尤にバレたら一貫の終わりだぞ』


 あ、というような表情をした彼に思わず俺たちは顔を引き攣らせる他ない。バツが悪そうに顔を背けた彼はポツリと一言呟いた。


【悪ィ……。あー……、代わりにほら、なんだ……。


 あ! どっか行くんだろォ? だったらこの俺様が連れてってやるよ。最速でな!】




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