第十五話 金色の獣

 人の形をしたそれは、形こそは人に近いものがあるが当たり前のように違う。頭に生えた二本の角は牛を思わせるもの。足は鶏と同じ、だが大きさが桁違いだ。纏う衣服は、赤で固められ着物の上衣も袴も。まるで血を被ったような不気味な出立ち。両手両足に付けられた赤い枷と、赤い髪が中でも印象的で更に恐怖を倍増させる。ざんばらな前髪の向こうにある金色の瞳が、こちらを見たかと思えばすぐに異変が起こる。


【つまらぬ。貧弱なり、惰弱なり】


 再び構えられた矢が、こちらを向く。確実に蚩尤によって視認された俺たちを射殺すために。先程よりも多くの矢が……必中を思わせた。


【消えよ。遠く及ばぬ、故に散れ】


 その言葉の終わりと共に放たれた矢が、俺たち三人に向かって押し寄せる。隠れられる障害物もなく、今度は身を伏せても無駄だ。全方向どこに逃げたとしても捕まる。


 目を閉じ、せめて矢が僅かに急所を外れるようにと願うが……必要はなかった。


【つまらない? つまらないと言うのはですね、お前ら神のことを言うのですよ】


 上空から急降下して来たライムが、翼をしならせて床ギリギリまで低空飛行をしながら俺たちに向けてステッキを振る。いつか見た赤い障壁が即座に展開されるとすぐにライムも上昇して行く。放たれた矢は全て障壁によって防がれ、その魔法による効果か障壁に触れたものから火が出て燃え尽きていった。


【いつまで寝ているのですか? 私は後衛向きなので、貴様に前に出ていただかなければ困るのですが。


 うちの最強の前衛を自ら潰したのですから、しっかりその身で盾になっていただけますか?】


 上空で停滞するライムが、苛立たしげに武道場の一箇所を睨み付ける。そこから派手な破壊音を上げながら現れたのは壁に突っ込んだまま出てこなかった、火黒先生だった。あの様だったから相当の傷を負ったのかと思われたが彼は意外と軽症に見える。しっかりと受け身を取れたようで肩を回しながら歩き、上空にいるライムを確認した瞬間怒鳴り声が響き渡った。


『うるっせぇわ、このクソ悪魔!! ほとんど上で様子見してたお前だけにゃ言われたくねぇ! ていうか、俺だってそこまで前衛寄りじゃねぇよ!!』


【見ていればわかります。それでも盾になれと言ってるんですよ、愚かにも真正面から向かっていく考えなしさんに】


 醜い言い争いに、思わず頭が痛くなった。火黒先生は悪魔であるライムを嫌っているしライムも今までの戦いの切れがまるでない。恐らくライムの方は、たゆたが不在であることが主な原因だろうが。今までもたゆたがいなかったが、この戦いをたゆたはライムに命じていない。


 、それがたゆたがライムに与えた命令だから。


『あの二人……混ぜるな危険、って感じだね』


『わかるわかる。一人一人なら確実に強いけど、混ぜた瞬間劇薬〜みたいなね』


 同感だが、そんな流暢なことを言っている場合ではない。兎に角、戦いの邪魔にならない移動しようとすればまたしても障壁に行く手を阻まれる。


 またかよ!!


『ライム!!』


 障壁の中からライムを呼ぶが、ライムは大量の矢に集中攻撃を受けている最中だった。翼を操り華麗に矢を避けてはいるものの、数が数だ。百を躱しても、千の矢が追って来る。流石のライムも逃げるので手一杯だが、一方では火黒先生も追い詰められているのだ。どんなに炎の攻撃を繰り出しても、硬い盾がその全てを防ぎ切りまるで攻撃が通らず、むしろ盾によって圧されてきている。


 まだ、蚩尤は最初の位置から一歩も動いていない。


『網前。俺たちも行くぞ』


『っ……ああ』


 少し離れた場所で、勝命君を治療していた二人がその場から離れて行く。横たわる勝命君は未だ意識があるようで、離れていく二人を見送った後でこちらに気が付くと地を這って移動を始めた。


『勝命君っ!? 動いちゃ駄目だよ、そこにいて!』


 動くたびに、床には血がこびり付く。腕の力だけで五十メートルほど這ってきた彼は、酷い息切れを起こしていた。何度も咳をして苦しげに顔を歪める姿に、何度も声を掛けた。むしろ、声援を送ることくらいしか出来なかった。


『ごめんね、まだ……始まって間もないのに、僕って本当に役立たず……』


『何言ってるんだよ! 俺たちだって同じだよ……勇気出して、ここまで来ても……こうやって守られてる』


 抜け出せない障壁を叩きながら、その向こう側にいる少年に情けない顔を向ける。年下の彼らでさえ、一人で戦うというのに。


『スマホ……』


 ポツリと、勝命君が呟いた。そっと指差した彼の意図する場所には俺のスマホが落ちていた。勝命君と話すために身を屈めた時に落ちたらしい。


『そういえば、あの時……』


 遠くで、爆発音が響いた。それを確認することも忘れて俺は彼が発した言葉をもう一度頭で再生した。








?』






 俺たちは、ここに来てから一度も通話なんてしていない。みるみると体温が下がるような感覚がした。どれだけ記憶を探っても誰かが誰かと通話してたような記憶などない。そもそも、このスマホに通話なんて機能はなかったはずだ。ゆっくりと後ろを振り返れば、二人も同じことを考えていたのか首を横に振るばかりで。


 通話……? たゆた、君は一体。……何かを、隠してる?


『あの子は、凄いよね……。ただの学生さんだったのに悪魔と、オーガだけで……使役ってね、凄く難しいんだ。


 誠実な心と、偽りない魂……。あんなに強いなら、全学校でもやって行けるかも、なぁ……。強かった……強くて、格好良かった……凄く、羨ましかった』


 ぼたぼたと床に落ちる涙を拭いながら、彼は噛み締めるように言葉を吐き出した。まるで俺たちと同じ気持ちを。


『僕、は……まだ神様と完全に一致してない不完全な神様で……。勝利のニケ神が宿ってるんだ、強い……強い神様なのに、僕は全然力を出せなくてっ。ただ勝利を呼び寄せる力が……たまに発揮される程度の権能しかなくて……


 くや、しいなぁ……、僕も……仲間たちを守りたいのにっ』


 一言一言が、胸に突き刺さる。彼の言葉の全てが自分に当てはまるから。俺は守りたい、俺だって支えたい……俺にも、戦う力があれば。


 拾い上げたスマホを握りしめて、それを持ったまま大きく右腕を振り被る。何度も何度もスマホで障壁を叩き、破壊を試みるも結局は無駄だった。何十回と叩き付けたスマホが床に落ちた時……ふと蘇る記憶が、また彼女を疑わせる。


 何十回と障壁に叩き付けたスマホは、傷一つ付いてなかった。


『な、んで……? だって教室でたゆたが、あの時……』

 

 最初に教室で起きてから暫くして、落としたスマホを膝で飛ばして壁にぶつけたことで彼女のスマホは傷だらけになった。それなのに、何故俺の手にあるスマホは何度も同じように壁にぶつけたようなものなのに、何の傷もないのか。


 崩れるように床に座り込む。震えが止まらず、掌からスマホが床に落ちた音が……まるで俺たちの何か違うものが壊れてしまった音のように聞こえた。


『しっかりしなよ』


 肩を掴まれ、押し退けられたかと思えば芽々は俺のスマホを拾って数度埃を払うようにしてから差し出してくれた。


『たゆたが隠し事をしてるなんて、今は考えてもどうしようもないでしょ? 直接聞いてみなきゃわからない。ならそれは、ここを出てからゆっくり話してもらう、僕間違ってる?』


 間違ってないと首を横に振れば、芽々はその答えに満足気に笑う。彼はもう花がなくなった俺の胸ポケットをバシバシ、と結構強い力で叩いてきた。


『あんなに大切に、君から預かった花を持ってる子が悪いことすると思うの? あのたゆただよ。泣き虫であがり症、図星をついたらすぐに赤くなるような子が?


 一番信じてあげなきゃ、だって君たちがたゆたを迎えに行って僕らの仲間にしてくれたんだから』


 責任取ってよね、と悪戯の真っ最中のように最高に楽しそうな顔で。そんな芽々の隣に来た新食が手を差し伸べてくれる。何度も、色んな人が助けてくれた。手を貸してくれるみんなに、同じように手を差し出せるように。一番最初にその手を伸べてくれた彼女に、またあの時のように……まるで自分から一人になろうとするバカな彼女に再び手を握ってもらえるように。


 何度だって、見付けて迎えに行くから。


『ごめん、俺……らしくないよな。うん、やってやるか。


 一致団結だけが、俺たちの強みだもんな』


 スマホを起動し、すぐに表示された情報に目を通す。ミッションと敵の情報があるがまずはミッションについてだ。


【ミッション:クリア! 

 武道場に入ることが出来た。中には強力なビーストがいる、みんなで倒そう!


 ミッション報酬:なし】


『入ってからこんなん見る余裕あるわけないじゃん……』


『しかも報酬? ってのないしね、超ケチんぼ』


 入るだけで成功するような低レベルなミッションかと思えば、中の蚩尤を倒すことはミッションになっていないらしい。ページを閉じてまたミッションをタップするが、もう中は【ミッション なし】の文字のみ。本当にそれでおしまい。肩透かしを食らった気分で次は蚩尤についての情報だ。


【接触 反乱の神蚩尤

 詳細 中国神話の神。“反乱”を初めて行った存在とされ、その性格は凶暴にして貪欲。数多の魑魅魍魎を味方とし、風や霧、煙をも起こす。赤は蚩尤の色であり赤旗はその威勢を象徴とした】


 神、あれはやはり神という存在なのだ。今までのゾンビや悪魔といった存在から更にランクアップしている。スマホから顔を上げるとまずは二人と話し合うことにした。


『神様……ねぇ。それって絶対敵わない、ってこれは言っちゃダメかー』


『言ったら潰す。どうしたって倒さなきゃいけないんだから、そんなん言っても仕方ないけど……。現状の最大戦力をぶつけても、アイツ一歩も動いてないよ』


 休むことなく攻撃を続ける四人は、蚩尤の操る武器の対処が精一杯で本体には傷一つどころか一歩すら動かせない。むしろこちらは消耗し、一人でも欠けたらどうなるかわからない。


 しかし、彼らには圧倒的に欠落しているものがある。


『どうにかあの四人を協力させないと……』


 三人は連携して攻撃することもあるが、ライムだけは空から攻撃するばかりで全く協力なんてしていない。あんなに強大な敵に向かって行くのに、バラバラで戦っていいものなのか。


 否、絶対にダメだろう。


『仮に協力しても、作戦がない。立ち位置もバラバラだし役割も決めないと』


 ああ、こんな時にアイツが側にいないだなんて。


 専也ならば、この状況を打開する策を練られる。母上専也は、そういった作戦や計画を練ることを誰よりも得意とする一面を持つ。ゲームが好きな彼は幅広いジャンルのそれを熟すが中でも、こうした“戦い”を題材としたものを好んでいた。それは現実でも生かされ、様々な行事で彼の才能に救われてきた。だが、今彼はここにいない。


『電話か』


 もしも、勝命君の言っていたことが本当ならば。


 そっと障壁の向こう側を見れば意識を失う少年の姿。彼を早く安全な場所に運ぶためにも誰かを呼ばなければならない。再びスマホに目を落として、隈なく“通話”の二文字を探すがどこにも見当たらない。


 どうなってるんだ? やっぱり、勝命君の見間違い……?


『あーっ!! わっからん!!』


 ピコン、とスマホから何かの音がした。慌てて何かと思って画面を見ればそこに表示された文字に驚愕する。


【・斉天大聖の毛 ←取り出し】

 

『は?』


 叫んだ時に、開いていたプレゼントの画面を長押ししていたらしい。そして丁度指が触れていたのが、唯一あったそれに当たっていた。


 なんだ、長押しか……。確かにやったことなかったな……。なんて分かり辛いシステムなんだ。


『どうなるんだろう』


 そして俺は、それを取り出した。途端に目の前に現れた金色の一本の毛。本当に具現化した事実に驚いて手を伸ばした瞬間、それは白い煙に包まれた。一気に障壁の中を覆い尽くす煙に慌てるも、それはすぐに消えてしまった。


 目の前にあった毛は消えて、そこには……金色の毛に覆われた……猿がいた。





【よォ。おっせーじゃねーの。



 





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