第八話 嗤う

 一年一組の教室に入ると、ライムは周囲のビーストの対処をしてから帰ると足早に俺たちの前から姿を消した。残ったのは、たゆたを除いた九人の三組のメンバー。真っ先に適当な席に座る新食に、部屋を警戒して回るハヤブサ。千之助ももう少し休憩をすることにしたのか前列の椅子に座る。芽々は教室の奥にある棚に腰掛け、専也もその近くで窓の向こうを見ている。海我は、たゆたのことが気になるのか扉の近くから離れようとしない。


 ずっと俯いたままでいるきぐねと、彼女を気遣うように励ます笑。俺はと言えば暫く二人の側にいたものの、やはり考えが纏まらなくて新食の隣に腰掛けた。


 今頃、彼女は何をしているのだろうか。


『……ごめん、空気……悪くした』


 ポツリと、きぐねが一言謝罪を口にした。しかし、誰も彼女を咎める者はいない。こんな時に気が触れてしまうのは当然と言えば当然だし……きぐねが言わなくてもいずれ、誰かが口にしてしまっただろう。


『きぐねが言いたいことも、わかる。みんなこんなことに巻き込まれて参ってるし、怖くて仕方ない』


 でも、それを押し込んで笑顔を浮かべて頑張っている奴がいる。


『でもな。あれは、酷い言い方だ。たゆたは、たゆただって俺たちと一緒だ。怖がってただろ? 泣いていたぞ、アイツは。きぐねと同じように怖くて、怯えて……。自分の気持ちと相手の気持ちを同じ物差しで測るな。たゆたは、みんなを守りたくて頑張ってた。むしろ力になれない俺たちが全面的に悪い、最悪だ。


 ……だけど、きぐね。言ってくれてありがとう。怒ってくれて、ありがとな。言い方が酷すぎるけど、お前が言葉にしてくれると物事の整理が早く済むんだ』


 俺たちが悪い、たゆたは悪くない。ならば謝らなければならない。酷いことを言って、あんな風に笑わせてしまったことを謝罪する。いくらでも頭を下げて、言えば良い。


『一緒に帰るんだぞ。喧嘩なんてしてたら、帰ってからなんて言ってたゆたを誘うんだ?』


『……許してくれると思う? 私、あの子が……一人にしないでって言ったたゆたを、一人にしたのよ。


 こんなっ……こんな、怖い場所でひとりぼっちに』


 この中の誰もが、そんなことになれば正気を保てない。悪魔に守られたこの教室で待機しているだけでも、こんなにも心細いのに。常に扉を警戒し、窓の向こうを確かめなければ不安は拭えない。


 泣きながらその場に立ち尽くすきぐねを慰めていれば、タイミングを見計らったようにライムが帰ってきた。歩きながら何かを記入するライムは、千之助の前に立った。


『兄弟に命じられたので、後は貴方にお任せします。生徒会というものに所属していた貴方であれば、ここを脱した後に必ず役立てると。名前がわかる限りは記入しました。遺体の配置も、異界が戻れば同じ場所に安置されているはずです』


 全く、人間の容姿など観察するのに苦労しましたと肩を回すライムは混乱している千之助に半ば押し付けるように紙を渡した。みんなで千之助の元に集まり、内容を確認する。


【印刷室 二年生二人 男女 男は黒髪、顔の右側に黒子五つと右手首に大きな古傷あり。損傷大。女は黒髪、二つ結びに金の髪紐。下半身欠損】


【二年一組 三年生四人 全て男 遺体は全て足のみ。内履きの色及び筋肉の質、肉付きより学年と年齢を判断。教卓に四つに分けた袋有り】


 それは、亡くなった生徒たちの痕跡。近くの教室を回っては調査して来てくれたのだ。凄惨な内容に思わず口を覆ってしまったがこれは、自分たちでは絶対に調べることの出来ないことだ。


 悪魔である彼は、なんでもないようにケロリとした表情でまた必要になるであろう用紙を調達している。


『何枚も……本当に、みんな死んじゃったの……?』


 専也が握りしめる一枚の紙には、よく知った教師の名前が刻まれていた。いつも賑やかでお喋りが大好きな数学の先生、厳しくてすぐに生徒に雷を落とす熱血漢の体育の先生……。言葉を失い、悲しみに暮れる中でライムの言ったことを思い出して顔を上げると丁度彼と目が合った。まるで俺の言わんとしていることを理解しているかのように、こちらを振り返っていた。


 命じられていた……たゆたに? 


 ふと思い出す、彼女の言葉を。生きて伝えなければならないと言った。生きている自分たちが、死んでしまった仲間たちの無念を背負って……進まなければ。


『……でもさ、たゆた』


 書き記された名前の列。死者の列。名前もわからない、骸となった者の全てが小さな紙に書き殴られている。


『こんなにいっぱい……俺たちだけで、背負えんのかな……』


 とっくの昔に覚悟を決めているから、あんなにも迷いなく進めるのだろうか。ならば続かなければならない。共に支え合い、生き延びたいから。



【……っ、ここにいて下さい!!】


 ハッとしたようにライムがそう叫ぶと、背中から翼を出して扉を突き破り外に出た。走ることにすら時間をかけたくなかったのか、一瞬の出来事だった。ライムが指を鳴らせば、廊下の電気が灯る。


 ライムが廊下に出たのと、ほぼ同時。久しぶりの明かりに目を回す寸前のところで、それを見た。


『が、あッ……!』


 廊下を、まるで飛んできたように何かが通り過ぎた。それは地面に落ちると苦しげな声を上げて、咳き込んだのだ。その声に誰もが覚えがあった。だからライムの言いつけを破ってみんなが廊下を教室の窓から見た時だった。


【ああ】


 廊下の中央に、右肩を押さえながらもふらつく足で立ち上がるのは……よく知った生徒だ。額を切ったのか、頭から流れる血はおびただしくて。制服は所々が燃えたような、焦げた跡が残っていて。


 それでも両の目は、眼前の敵から一時も離れない。


【っ……我が、兄弟にっ……!! いい、度胸がおありで】


『たゆたッ!!』


 ボロボロになったたゆたは、少しだけ俺たちを見ると心配ないと言わんばかりに口元で弧を描いた。しっかりとした動きで立ち上がると、両手で武器を構える。


『ライム。君への命令は続いてる。引き続き、みんなを守って』


【っ全く、この期に及んでまだ私を出さないと? いいでしょう、ええ。あと一撃です。あと一撃でも兄弟が傷付けば、もうは終わりです】


 ステッキを取り出したライムは、俺たちには聞き取れない言語で何かを発したかと思えば赤い障壁が辺りを覆った。それに興奮した専也がきっと結界みたいなものを張ったのだと教えてくれた。


『……へぇ。コイツは驚いたぜ』


 そして、新たな勢力が姿を現した。二人の男、しかも一人はかなり若い。俺たちと同じくらいだろうか。


『まさか、こんなに生存者がいたか。しかもあの悪魔までテメェのもんか?


 ……はぁ。子どもを痛ぶるのは趣味じゃねぇ、うちの教え子の前でもある。だが、悪くない。ああ、悪くねぇよ。


 お前はだ。ならば、下すことになんの躊躇いもいらねぇ』


 黒いシャツに、白いベスト。白と黒のチェックの派手なズボンに腕に持った上着は黒。その上着を側にいた少年に押し付けると、男はゆらりと上半身を前へと傾ける。それを目にした瞬間、たゆたは走り出す。


『オーガも仕舞って、悪魔も出さねぇ。そんなんで勝てるほど柔じゃねぇぜ?』


 熱い。なんだか息苦しさを感じて周りを見ればみんなもそれを感じていたのか、手でパタパタと顔に風を送る者もいる。冷や汗ならわかるが額から流れるのは暑さ故に、一体どこからこんな熱がと思っていれば遂に元凶がわかった。


 男の足元が、溶け出していたのだ。煙を出して廊下の床がみるみると溶ける。熱を帯びた体をそのままに、男は走り出し目にも止まらぬスピードでたゆたに向かっていく。腹を狙った一撃を、なんとか鈍器で防いでみせる。しかし、なんとその武器すらを男の足から発する炎が燃やし、溶け始める。耐え切れずに消えてしまったオーガの武器に、その目が見開かれる。


『っ……』


 そして、悪夢のような蹴りがたゆたの腹部を捉えた。


 周りで聞こえるみんなの悲鳴が、どこか遠く聞こえる。男の蹴りによって制服は燃え、彼女の白い素肌を無遠慮に焼いていく。嗤う男に、崩れる仲間。


『たゆ、』


 しかし、終わらなかった。走ってきたことで勢いがあった、それは全てこの瞬間のためだけに。両腕で男の足をしっかりと掴む。焼ける腕のことなど構いもせず、グンと自分の方に引っ張れば男も想像もしなかった反撃に興を突かれている。


『……武継、分通、っ……!!』


 空中に現れた、オーガとの武継分通である鈍器の一つ。その場で飛び上がり、男の足を軸に背中と床が平行になるほど浮かぶと足でそれを掴み落ちる勢いのまま男の頭部に見事先端が強打したのだ。あまりの衝撃に男は白目を剥き、たゆたもそのまま床に体を投げ出した。


『ぁ、ぅうっ……』


 腹部と両手に負った火傷で、痛みに悶える背中。それでも隙を見せまいと男から距離を取ろうと這いずるたゆたに、覆う影。


『いっ、てぇな……。なんて無謀な戦い方しやがんだ』


 男が気絶していたのは、ほんの僅かな間だった。それでも頭部からはかなりの出血がある。流石に捨て身で挑んだたゆたもこれには驚いたのか、暫く硬直した。


 やがて、まだ逃げ出せないたゆたに男が手を伸ばす。


【ふふっ。……ぁはっ】


【あ、ははははははははははっ!! 最高だ、なんて素晴らしい!! ああ、やはりこちらで正解だ!!


 ああ。動かないで下さい。首、刎ねますよ?】


 伸ばされた魔の手は、悪魔の言葉で止める他なかった。男の手がたゆたに辿り着くよりも悪魔が背後を取る方が早かった。男の背後でステッキの先端を首につけたライムの動きに、誰も気付くことは出来なかった。


 シルクハットに手を付けたライムは、静かに帽子を取ると背中から翼を広げて嗤う。口元に指を這わせ、爛々と輝く赤黒い瞳があまりにも不気味。


【気を悪くしないで下さい、兄弟。私は確かに先程宣告したので。いつまでも待てばかりさせられては、我慢出来ません】



【構い倒して差し上げましょう?】



 カン、とステッキが床に突き立てられるとそこを中心に巨大な魔法陣が展開される。その範囲内にいる男は何かを感じ取ったのか、すぐにその場から離れようとするがライムはそれを許さない。男の退路に立つと、再び炎を帯びた蹴りがライムを襲うが当たることはなかった。当たったように見えたが、ライムの体をすり抜けて黒い羽が辺りに散らばる。ライムが消えたため男が走り出そうとした時、遂に魔法陣が時を満たしたらしく赤い光を生みながら徐々に広がる。


【我が兄弟を、随分と可愛がっていただいたようで。ですが気に入りません。兄弟の一番は、この私ですよ?】


 赤い花弁が、辺り一帯に散らばった。赤い光を帯びた花の中を飛び、拳を振り上げたライムに続き男も炎を帯びた足技を繰り出すために再度膝を上げた時だ。


『っ……!? なにっ』


 その足に、先程までの猛き炎は宿らなかった。男が咄嗟にライムの方を見ればどうしたことか、ライムの拳に男のものと同様の炎が宿っていた。


 拳は、男の腹部を捉えて遥か後方へとその身を、


 ぶっ飛ばした。


【情けないですね。兄弟ですらオリジナルを受けても耐えて見せたというのに、大の成体がその有様とは。


 笑わせます】


 今度こそ倒れた男の姿に、悪魔は赤い花びらと黒い羽が舞う中で静かに嗤う。右手から、どこからともなく取り出したシルクハットをかぶって礼をした後にもう一人の少年を見やるがすっかり戦意を喪失させて座り込む姿に興が削がれたのか大袈裟に肩を落として見せた。




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