第六話 異界からの洗礼

 この学校が異界と呼ばれていた理由が、漸く理解出来た。廊下を走って、走って、走り続けているのにも関わらず先がない。教室も、階段も……まるで構造が違う。


『ライム!! こっちは私と白呪でなんとかするから、みんなの先導をしてあげて! 戦わずに済みそうなら、それで! 戦っても離れないで』


【こちらの台詞です、兄弟。躊躇ためらってはなりません。直ぐに追い付いて下さい。また異界が開いたら、再び接触出来るのは遠い未来ですよ】


 喋る暇もないくらい、走って走って。それなのにたゆたは俺たちの列から離れるとスマホを取り出して、二体目の獣器を喚び出す。現れたオーガに抱えられ、俺たちを追い掛ける異形の化け物に果敢に立ち向かって行くのだ。


 会議室での出来事の後、やるべきことが決まった。この学校のどこかにいるある人物たちを探し、学校から脱出する術を聞き出す。そして道中、生存者を探す。固まった目的。俺たちが意気揚々と会議室を出て、まだ数分。


 既に、俺たちは難局を迎えていた。


【こちらへ。兄弟と白呪がゾンビを倒す間に、退路を確保しなければ……全く。あのような塵芥にまで苦戦をするとは。やはり荷物が多すぎますね】


 先頭を走るライムの両脇には、既に走ることに限界を迎えたきぐねと専也が抱えられていた。きぐねはもう息をするのも苦しいほどに咳き込み、専也は先程派手に転んでしまい有無を言わせずそのままライムに抱えられた。他のみんなも、もう既に限界を迎えている。体力底なしのハヤブサでさえ、何度か囮役を買ってくれたりと動き回り疲れ果てている。


 それでも、みんなが足を止めない、泣き言を言わないのは。


『白呪、お願いします!』


【あぁああああああぁあーっ!!!】


 ゾンビの群れに突っ込み、両手の身の丈ほどの鈍器を振るってそれらを力の限り粉砕するオーガと。そのすぐ側で、同じようにオーガと同じ形状をしたサイズの小さい鈍器を振り回すたゆた。近づくゾンビに向かって振り回し、なんとか牽制を続けていればすぐにオーガが彼女の元に駆け付けて残ったゾンビを瞬殺して回る。


 あれが、獣器の力を借りた形。獣器の特性の一部が宿った武器を、主人へと提供する“武継分通ぶつぶつう”というものらしい。


『っ……ごめん、なさいっ!!』


 屍に違いないのに。ゾンビとは、動く死体。


 その正体は、俺たちのよく知る者たちだった。


【憐れみなど捨てなさい。あれらを殺したのは、他のビーストたちであり兄弟でも白呪でもありません。


 捨てなさい、無理だとしても。今だけはその心を捨てなければあなた方は生きていけない】


 一年生に、二年生。ああ。あの顔を知っている。


 大切な、後輩に……三年の時を共にした仲間たち。


【諦めなさい。


 ゾンビとなっては、体を壊す他ありません。刺しても、抉っても、首を切っても動きます。一番適切なのは燃やすことですが……燃やせば、欠片も残りません。


 泣いてはなりません。あなた方に、その資格はない。少なくとも今は、その感情は邪魔以外の何でもない。ただ、足を動かしなさい】


 人間が、化け物になる。


 死んだら最後、さっきまで友だちだった奴でも襲い掛かり、その命を奪うのか。ゾンビは全員、生徒だった。血塗れで、手足が千切れながらも襲い掛かる。しかし服装や靴の色、胸元に飾られた花。


 ああ。誰か。夢だと、幻だと言ってくれ。


『なんっ、なんだよぉっ……!!』


 振り返れば、目を覆いたくなるような現実と向き合って、立ち向かうクラスメートがいる。鬼と悪魔を従えて、俺たちを守るために必死になって戦う、その姿が。戦えない俺たちに文句一つ言うことなく、走り出した背中が妙に大人びていて。


『白呪。絶対に負けないよ、一人も通さないで。せめて……ここで死んでしまったことを、私たちが覚えていなきゃ。


 生きている人が、伝えないと』



【戦闘終了 完全勝利

 死獣 ゾンビ(複数)の討伐に成功しました。羽降たゆたの獣器、及びサブ獣器に経験値が加算されました】


 階段の踊り場で、みんなで崩れるように寝転がった。誰かの頭に手が当たったとか、肘がぶつかったとか、関係ない。どうでもいい。


『キツすぎんだろっ……』


 吐き出された海我のその言葉は、果たしてどちらの意味だろう。きっと、どちらも。体も、心も。


 新食と背中合わせに座って、取り敢えず呼吸を整える。汗が張り付き、体の中で炎が燃えているのかと錯覚するほど暑い。だけど、背中にある生きている誰かの気配が、それがあるだけで救われる。


『階段だし、白呪は戻した方が良いよね。ライム、引き続き警戒をお願いしてもいい? みんなを休ませてあげたいし、流石に走りすぎて限界だよ』


【人間は変わらず脆いですね。いいでしょう、休息は必要。


 兄弟。先程は素晴らしい勇姿でした。ですが、あまり無理をしないように。私は服を直すことも、傷を塞ぐことも出来ません。兄弟が死ねば、全て終わりです。今の我らには、足りないものが多すぎる】


 一切呼吸を乱していないライムが、階段の上段に佇むたゆたの服装を正しながら小言を漏らす。先程の戦闘で制服が汚れ、足には慣れない鈍器を振り回したせいで誤って出来たのか痛々しい痣が出来ている。それでも、それを気にすることなく辺りの警戒に気を回して、自分にしか出来ないことを熟そうとしてくれているのだ。


『ありがとう、ライム。うん……私も、もう少し筋力とかあればなぁ。白呪に沢山助けてもらったんだよ。ライムも、みんなを助けてくれてありがとう。足りないものがいっぱいあるかもしれないけど、今あるものを溢さず抱えて大切にしたいんだ。


 さて? 休憩時間はどれくらい許されそうかな』


 悪魔と共に笑いながら、拙いながらも支え合い始める姿には目を見張ってしまった。あの人見知りの激しいたゆたが、だ。今さっき会ったばかりの怪しい存在にここまで心を許している。


『やんなっちゃうよねー』


 背中に響く声。驚いて背筋を伸ばしてしまえば、後ろの背中との間に隙間が生まれる。が、構わずこちらに一層寄りかかるように迫ってきた背中がドンとぶつかる。


『たゆたんにばっかり負担回しちゃってさー。オレらの獣器さんってば、どうしちゃったわけかね。それとも、たゆたんの悪魔が人懐っこいだけー?』


 嘘だろー、と頭までぶつけてくる新食に負けじと頭を押しこくる。地味に痛かったためすぐに元に戻す。


 同じことを考えていた。見知らぬスマホに刻まれた、俺の獣器“斉天大聖”の名前を眺める。


『新食。お前の獣器ってなんだ?』


『んー? なんか変なのだよ。“愚者”って書いてある。あんまり強そうじゃないね』


 愚者……?


 はて、と思考を巡らせてみるが何も思い浮かばない。そもそもそれが名前なのかと疑いたくなるような感じもする。悪口みたいだなと思っていると、また頭をぐいぐいと押し付けられ始める。


『俺は“斉天大聖”だ。多分、最遊記の孫悟空だと思うんだが……』


『あーなるほど。なんか強そうだね、いいじゃん。


 ……もしかして、“尊”だから孫悟空なんじゃないのー? っ、ぷくくっ…』


 今度は俺が頭を押し付ける番だった。笑いのツボが浅すぎる男だ、兵児新食という男は。ゲラゲラと笑い始める新食に、みんなが唖然とこちらを見やる。


 やめてくれ。不謹慎なのはわかる、でも俺のせいじゃない。


『よく、笑ってられるわね……アンタら』


 暫く笑い転がる新食を放っておけば、不意に声が聞こえた。踊り場で膝を抱えたまま座り込み、壁際でその身を寄りかけていたきぐね。


 やばいと、彼女を知る誰もがそう思った。


『可笑しいんじゃないの、アンタたちッ!! こんな時に! こんな場所で! ゲラゲラ笑って、悪魔ですって!? そんな奴となんで笑い合えるわけよ、ねぇ?


 ……っ人を、殺したのよ……! アンタはさっき、鬼と一緒に人間を殺した!! なのに、どうして……どうしてそんなへらへらしてられるの!! わたしが変? ねぇ、どっちが可笑しい? 答えなさいよ、たゆたっ……!!』


 立ち上がって、泣きながらそう叫んだきぐねの指差す先には階段の上に立つたゆた。すぐにきぐねを止めようとするが、その一歩が踏み出せなくて足踏みしてしまう。


 一体、なんと声を掛ける? 二人に一体、どんな言葉を使えば正解なのか。一歩間違えば火に油を注いでしまうのは明白。


『気持ち悪いのよっ……、そんな風に助けられたくないわ!! 足手纏いなんでしょ、さっさと置いていきなさいよっ……』


 顔を覆って、その場に泣き崩れるきぐねに誰も何も言えなかった。


 きぐねは、運動が苦手だ。今だって苦しくて仕方ないし、まだ走り続けなくてはならない。それに、この状況だ。体育の授業とは違う。常に恐怖と隣り合わせ、死が間近に迫ってくる。とてもじゃないが耐えられない。そしてそれは、俺たち全員に当て嵌まる事実だ。


『……やだ』


 赤い炎が、沢山たゆたの周りに集まった。


『やだ』


 悪魔は、沈黙を守る。


『だって、置いていきたくない』


『一人は、寂しい』


『だけど』


 ボロボロのスマホを持って、答えを得たようにたゆたは一つ、頷いた。


『じゃあ、一番手っ取り早い方法でいこう』


 白の魔法陣が光り輝き、再びオーガが召喚される。突然のことにみんなが驚く中、同じように彼女の行動を理解出来ていないらしいもう一体の獣器が慌てている。


 真っ白なオーガの腕に抱えられたたゆたは、なんでもないようにライムへと指示を出す。


『ずっと考えてたんだ! 何も、みんなで移動する必要はないんじゃないかなって。だって、どうしたって効率悪そう。私とライム、白呪が戦えるならさ。


 全部、倒しちゃえばいいんじゃないかって!』


【兄弟っ……あなたまさかっ!】


 笑いながらそう語るたゆたに、いよいよ彼女はどこか可笑しくなってしまったんじゃないかと……そう思わずにはいられなかった。言っている意味がわからず、混乱する俺たちは置いてけぼりで。


『ライムを置いて行く。ライム、君は全身全霊でみんなを守って。近くの教室に立て籠って、待っていて。


 折角獣器が二人いるんだから、分担したらいいと思うんだよね』


【待ちなさい!! 無茶です、何を言ってるかわかっているんですか!? 異界なんです、元いた場所に戻れる保証はない! 例え籠城が上手くいったとして、兄弟が帰って来れなければ意味がないんですよ?】


 それでも、たゆたは首を横に振る。何が起こっているのか理解が出来ない。だけど、必死になって追い付こうと話をなんとか整理する。


『帰るよ。大丈夫、必ず全部終わらせる』


『怖いことは、全部追い払うよ』


 もしかして、たゆた。


 君は、まさかとは思う。だけどそういう結末にしか収まらない会話だった。


『おい、たゆた……』


 海我がたゆたに声を掛けるも帰ってくる言葉はない。ただ、俺たちを見て笑いかけてくれるだけで。その笑顔が、どんな言葉よりも残酷に思えた。


【っ……この、馬鹿兄弟っ!!】


 初めて聞いた悪魔の悪態と共に、オーガがその太い両足を折り、ギリギリまで膝を地面に近付けた。そして次の瞬間、一気に跳躍した。跳躍、なんて生温いものではなく飛んで行ったと言っていいのではないだろうか。その様に慌てた悪魔は、初めて召喚された時のように背中から翼を出した。


 だが、まるでその後の挙動を止めろと言わんばかりにオーガの咆哮が降ってきた。その一瞬。その一瞬に怯んだライムは、飛び立つことなく終わった。


 そして、一人と一体を欠いた俺たちは異界階段から抜け出してすぐ近くにあった一年一組の教室へと逃げ込んだ。



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