第五話 語る悪魔と育つ鬼
【おや。これはこれは、どうやら戦闘の用向きではないご様子。残念ながらこちらは控えさせていただきましょう】
シルクハットから顔を覗かせ、いの一番に召喚主であるたゆたを見付けた悪魔は大層ご機嫌な様子で右手に握っていたステッキを消して、彼女の背後でニコニコと笑っている。両肩に手を置いて、ここにいる全ての人間の視線を向けられているのにも関わらず涼しげで。
薄っすらと開いた瞳の色は、赤と黒の異形のもの。
『ライム。みんなに今の状況をわかる範囲で教えてほしいんだけど、いいかな?』
【お喋りですね、承知しました。なんなりとお聞き下さい。兄弟の問いかけには真摯に答えなくては】
それはつまり、“たゆた以外には嘘を吐く”そう告げているのかと。
それを聞くほどの勇気は持ち合わせていない。
『えーっと、まずは……何々?』
しかし、そんなことは既に対策済み。作戦通りだと千之助と新食に向けて大きく頷く。
ライムを呼び出したのは、学校の異変について教えてもらうこと。少しでも多く情報が欲しい、だからこそそれは全てたゆたに聞かせる。予め渡していたメモに目を通すたゆたの様子を、ライムは子どもを慈しむ親のような顔で見ていた。
ライムという悪魔は、どうみてもたゆたを特別視している。
『まず、ライム。あなたは今この学校で何が起こってるか知ってる?』
【はい。概ね、把握しています。
それでは、ご説明しましょうか。兄弟以外の人間にも特別にタダで。質問にも答えて差し上げます】
その悪魔は、聡い悪魔だった。
【まず。
諦めなさい。大変残念なことですが、もう元の世界に帰ることは不可能。これは戦争。それもかなり手の込んだ、儀式の上に成り立つ呪われたもの。
哀れな人の子たち。きっとあなた方は、何も知らずに殺されることを望まれている。こちらをご覧下さい】
悪魔の目には、一人の人間の姿だけが囚われていた。
ステップを踏むように会議室を歩き出すとそこに設置されたホワイトボードの前で足を止めた。
【見ましたね? あのオーガを。そう、あれは異形の化け物。オーガだけではありません。この学校中にあれ以上の化け物の気配が、ゴロゴロと。
あれに襲われたら、どうなりますか?】
『どうって……死ぬ、のでは』
悪魔に指差された千之助がそう答えれば、悪魔はそれに深く頷いた。次に悪魔が指差したのは、ハヤブサ。
【何故、あなた方はあれらに狙われると思います?】
『……本能』
会議室に、パチパチと悪魔が拍手をする音が響く。それに思わず気が立ってしまいそうになるほど、今は感覚が研ぎ澄まされている。
【ええ。弱いから、逃げるから、敵だから。理由は様々ですがやはり元は本能です。あれらはあなた方を
しかし、先程はそうならなかった。何故です?】
『何故って……あなたが、助けてくれたからじゃないの……』
ハットを脱いだ悪魔は、それを宙に消し去ると思ったよりも短髪の赤髪を揺らしながら彼女の元に歩き出す。
【そう、私は羽降たゆたが獣。羽降たゆたの器に相応しいとされた武器。
獣器と言うものは、あなた方に充てがわれた唯一の対抗手段なのです。では、あなた方の獣器は?】
『……何も、出て来てないです』
そう。そうなのだ。
みんなが不思議に思う、二人を見る。たゆたとライムを。みんなに訪れた危機なのに声を上げたのはライムだけ、たゆたの獣器とされるライムただ一人。笑を始めとするみんなが自分のスマホに目を落とす。
きっと俺なら、彼なのだろう。
【まあ、いつか時が訪れるのでは? 私は他の獣器の事情を知りません。何故出てこないのか、までは力になれません。シンプルに力を貸したくない、拒絶という選択も彼らにはあります】
『え? 協力してくれないと、出て来てくれない……強制力はないってこと?』
芽々の言葉に、悪魔は頷く。
『で、ででではっ! ずっと出てくれない可能性もあると、そ、そういうことですかっ!?』
また一つ、頷く。
『……アンタは、なんでたゆたに協力する? 悪魔なんてそれこそ、俺たちが苦しむのを高みの見物でもしてそうだが』
悪魔は、静かに首を横に振る。
【……私たちは。悪魔ってやつはですね。契約や、約束事には
そう呟いた悪魔がどんな顔をしていたかは、よくわからなかった。笑みを含んだその顔に、誰もが息を呑む。
『……他の人間の行方は、知ってる?』
【みんなここにいますよ、学校にいた者は例外なく。
大半が死体です。遺体が残っていれば万々歳でしょう】
ええ。
もう、死の気配は腐るほどしていますよ。
新食の質問に、悪魔はそう答えた。それに誰もが絶望し、心の底にあった僅かな希望も消えた。
誰かが助けに来てくれる。そんな、淡い希望が。
【君は?】
ライムが目を向けたのは、俺だった。みんやが下を向いてしまう中で……暗闇の中に立つ者に声を上げた。
『本当に、ないのかな』
まだ、わからない。
『諦めたくないんだ』
だってまだ、俺たち
『卒業、してないんだ。みんなで生きて帰って、卒業式をしたい。
ライム。本当に、道はないか? 俺たちはお前の戯れに助けられた? 拾った命を、無駄にしたくない』
膝の上で握られた手が、汗で滑る。緊張のせいか心臓が人生最速スピードで働いている。そんな不調を押しこらえながら、目の前の“壁”をしっかりと見た。
家族にも会いたい。
クラスメートは?
先生は、どこに?
今日、まだやりたいことがある。
『私も、知りたい』
兄弟、兄弟と呼びかける存在に後押しされて、遂に悪魔は語るのだ。
【……良いでしょう。
あります。脱出する方法は、確かに存在します。ただし、これも限りなくゼロに近い勝率。申し訳ありませんが、現状の戦力ではとてもじゃありませんが不可能に近い。それでも、お聞きになりますか?】
会議室に、火が灯された。まるで人魂のような拳ほどの炎が宙を漂い、ライムの周りを照らす。ライムは俺たちに背を向けてホワイトボードに文字を刻んでいく。自らの手ではなく、何らかの力で一人でに動く黒いペン。
ライムの背をよく見るが、あの時見た翼はない。むしろ今は体躯の良い男性にしか見えない。丁寧な言葉遣いに、長身で整った顔。言われても悪魔だなんて誰も気付かない。
【そうですねぇ。まず、やるべきはこの異界にいる力ある人間を見付けること。
この異界を作り出した元凶は、私にもわかりません。人間か悪魔か、天使なのか神なのか……それ以外の者、なのか。つまりこの異界には、贄であるあなた方と元凶とモンスターと、あともう一つの派閥があるのです。離れていてもわかります。それらの気配を、私は知っています。
勘違いしてはいけませんよ。それらは、人間です。中にはあなた方と齢が似た者もいます。ですが、違います。あなた方を助ける目的はない。恐らく、それらにとってもあなた方はここで死んでもらった方が都合が良い】
炎に纏われる、仁王立ちの悪魔は心底不快だと言わんばかりに溜息を吐いた。そんな姿すらも絵になるような。立ち振る舞いからして、只者ではない……いや、悪魔だけど。悪魔だとわかっても、ちょっとした動作から伝わるオーラのような。
こんな悪魔が、下級だなんて。とてもじゃないが信じたくない。
【しかし、私には都合が悪い】
それは、実にシンプルな動機。
【疑ってくれないで下さい。私も、慣れない感覚なのですよ。悪魔なんですけどねぇ……子守に人助け。笑えますよ、笑えませんが。
ですが、構いません。我が兄弟と認めた器が望むのであれば契約です。
私、ライムは羽降たゆたの命がある限りあなた方の助けとなります。良かったですね、悪魔が一匹仲間に加わっただけですが事態は中々の好転ぶりですよ】
ああ、もう一人いました。
そう言ったライムの指差した先には、たゆたのスマホがあった。椅子に座ったままのたゆたの前に歩いて来ると、ライムは指でトントンとそれを叩く。
【出して下さい、兄弟】
『……わかった。みんな、ちょっと下がってて?』
その遣りとりだけでわかってしまった。誰も口を挟めないまま、ライムに誘導されてたゆた以外の俺たちは会議室の隅へと固まった。入り口付近には、スマホを握りしめたたゆたが立っている。
『たゆた……』
『ねぇ、まさかとは思うけど……』
【今からオーガを召喚します。先程襲われたばかりで不安かとは思いますが、慣れて下さい。こんなものは序の口です】
口に出すことも憚れたようなことを、ライムはあっさりと言い退けた。それを聞けば誰もが顔を青くせざるを得ない。
俺たちを殺そうとした化け物を、また出すと言うのだから。
【心配無用です。サブ獣器は、どんなモンスターでもなれるわけではありません。兄弟の器に相応しい、二番目だと判定された。突然襲ってくるような真似はしないでしょう】
たゆたに相応しい、二番目の獣器。
『大丈夫かな……』
『遠くで見てる俺たちでも、怖いんだけどな……』
向き合うべく立っている彼女は、どんな気持ちなんだろうか。戦えるのはたゆたの獣器だけ。何故、たゆたにだけこんな負担を強いなければならないのか。
『……新食』
すぐ隣にいた友人に声を掛ければ、そいつは何かを察したようにいつもの笑顔でグッと親指を立てた。二人で並んで、口に両手を近付けて。小さく、小さく。
『たゆた! 頑張ろう!』
『たゆたん! 可愛いよー!!』
頑張るクラスメートには、声援を。いつもと変わらない。何かに頑張る、クラス一丸。誰かが努力していたら、寄り添って力になる。困っていたら、力を貸す。
変わらない、それだけは変わってはいけない。
『バカ、お前それ声援じゃなくて茶化してんだろ!?』
『はは、いやー口が勝手にさ〜』
新食の頬を捻っていれば、周りのみんなはやれやれと言わんばかりの呆れ顔。やらかした犯人は、まるで反省の色なしで変顔になっていてもイケメンに変わりない。
少しでもたゆたが、笑顔になれば良い。ただそんな思いだった。
『みんな……』
たゆたの表情は、見えなかった。ライムの炎がたゆたの手元付近にしかいなくて、どんな顔をしていたかわからない。だから更に声を掛けようかと思ったが、それは叶わなかった。
スマホから浮かぶ、白の魔法陣。後ろにいる専也の興奮する声が聞こえたかと思えば、次の瞬間には何もかもが吹き飛びそうな咆哮が響き渡る。
『……っ』
会議室の天井に届くほどの巨体は、不気味なほど白くて。同じように白い髪と白い目隠し。腰布だけが、茶色。武器はない、だけど。その拳を振り下ろすだけで、目の前の女の子を容易く殺せる。
目隠しをした鬼は、静かにたゆたを見ていた。その目に彼女がどう映るのか。思わず叫び、駆け寄って彼女の手を引いて逃げ出したかった。
けれど。
『っ……ぅ、うぅ』
会議室に、
『ぅあっ、ああぁ……っ』
たゆたは、その場に蹲って泣いていた。ぼたぼたと流れる涙を必死に拭いながらも、一向に止まない。
泣き崩れるたゆたを前に、鬼はただ、ただ……それを見ていた。
【ぁ、……わ、こ……う】
暫くして、泣き声以外の声がした。
【わ、こう……た、ゆた。わこ、う。わこ、わこ……わこう】
【わこう】
【わこう、おれ……の、あ、るじ】
それは、鬼が初めて発した言葉だった。上手く発声が出来ないのか何度も言葉を重ねて、漸くまともな言葉となる。
鬼は、小さく蹲ったたゆたを気遣うように大きな手を出した。
【あ、るじ】
【いっ、しょ】
たゆたが、顔を上げた。目の前にある鬼の手に、震える右手を添えて立ち上がった。やがてその手に縋るように。片手で簡単にたゆたを握り潰せるほどの、大きな手はもう彼女を傷付けるためのものではない。
【……素晴らしい。オーガが知恵をつけるなど、聞いたことがありません。これは、予想以上の成果です。
さぁ、兄弟。そのオーガに名を刻んで下さい。それで契約は結ばれます】
『あなたの、名前は』
真っ白な鬼に、彼女は告げた。
『はくじゅ』
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