第37話 記憶は薄れる。記録は残される。

 あの後、ガオちゃんが自転車を取りに行った。

 母の車はなかったと言う。

 家に電気もついてなかったそうなので、きっと家に入らず去って行ったのだろう。

 ガオちゃんと出くわしたら大変なことになっただろうし、去ってくれてて良かったと思う。

 

 さて、戻って来たガオちゃんと合流した僕らは移動することにした。

 道の端でこのままいては、再び起きてしまった連続殺人事件でピリピリしている草蒲署の警察官に補導されかねない。


「とりあえず行こうぜ。乗れよ健太郎」


 ガオちゃんが自分の自転車の後ろに、僕を誘う。

 ようするに二人乗りである。

 それこそ警察に見つかる話になりそうなので断りたかったのだけれど、それでも「早く乗れって」とかすガオちゃんの圧力に、僕は屈してしまった。


「オレの家に行くぞ。良いな?」


 僕は返事をしながら頷く。

 異論は無い。

 正直、ガオちゃんと一緒ならどこに行っても良かった。

 居場所すらない今の僕には、行きたい場所も無いのだ。


「酷い日だっただろ、健太郎。大丈夫だからな。オレがついててやるからな」


 自転車を漕ぐガオちゃんの言葉に泣きそうになったが、同時に怖くもあった。

 僕がガオちゃんの手を取ってしまったせいで、僕が今いる酷い状況にガオちゃんを巻き込んでしまったのだと言う実感のせいだ。

 僕にとって一番の友達を、自分がいる地獄のような状況に引きずり込んでしまったのだ。


「ガオちゃん」

「何だよ」

「ごめん」


 僕が言うと、ガオちゃんは「謝ってんじゃねぇよ、バカ」と言った。


「オレは後悔なんてしないからな。間違ってんのはお前の母ちゃんだ。絶対におかしいよ。親ってのは、子供の事をもっと大事にするもんだよ」


 母がおかしいと言うのは、多分、その通りだ。

 そもそも教育方針を理由にほとんど顔も見せない親なんて、普通じゃないとは思うけれども。


「それにさ。オレ達、死体を見てるんだ。殺人事件なんだぞ? こんなもん、大人だってビビるのが普通だ。だったら、子供が親に助けて欲しかったなんて考えるのは、何にもおかしくない。だからお前は少しも悪くないんだ」

「それは」


 そうかもしれない。が、それでも言い淀んでしまった。

 僕はあの時、母の「助けて欲しかったのか」と言う問いに頷いたのだけれど、あれは、本当に僕の本心だったのだろうか。

 甘ったれて親に頼るな、なんて母の言葉は正論にも聞こえる。

 煮え切らない僕の様子に、ガオちゃんが少しイラついた声で言う。


「じゃあ、あれが正しいって言うのか?」

「そうとは言わないけど」

「けどじゃねぇ。正しさなんて一切あるもんか。あんなのが正しくあってたまるかよ」


 ガオちゃんは強い。

 自分が信じる『正しさ』に迷いなんか無いし、正しさに反するものがあれば戦う事も躊躇わない。

 今まで僕が見聞きしたように。そしてこれからも。


 と、その時、視線を感じた。

 十字路の左方向。少し遠く、街灯の無い場所からこっちを見ていた人間がいる。

 距離のせいなのか、それとも暗いせいなのか。体のシルエットも良く分からないけれど、そいつと確かに目が合った。

 そして気が付いた瞬間、僕は、戦慄していた。

 そいつの目は、明確なのようなものを感じさせていたのだ。


「が、ガオちゃん」


 呼び止めたが、自転車は止まらない。

 自転車は人影が見える範囲を通り過ぎて、僕はそれが誰だったのかを確認できなくなっていた。


「何だよ、健太郎」


 どう答えようか迷ったが、どう言えば良いのか分からない。

 考えた末、僕はガオちゃんには何も伝えないことにした。

 今のは僕の気のせいである可能性が高い上に、戻って確認するなんて事をする程の事でもないように思えたからだ。

 人がいたと言う事実すらも無かった事の様に思える。

 いや、人がいたのだとしても、こっちを見ていたと言うのは僕の気のせいだ。

 気のせいに違いない。


「ごめん、なんでもない」

「ん? まぁ、いいや。ちょっとスピード上げるぞ。もっとしっかり掴まっとけ。腰とかも掴んで良いぞ」


 ガオちゃんはそう言って、「でもケツに触ったら殴るからな」と笑った。


――――――


 ガオちゃんの家は、僕の最寄り駅から二駅ほど、学校とは反対方向に走った方にあった。

 学校には自転車で行けない事もないそうだけれど、正直5駅分を自転車で毎日は大変だとのことで、電車通学にしたらしい。

 ともかく、僕らはガオちゃんの家に到着した。


 ガオちゃんの家は、平屋の一軒家で、そんなに大きく無い。

 夜勤で工場に働きに出ている母親と二人暮らしだと言ったガオちゃんは、僕を家にあげると、居間のテーブルで待つように言った。


「悪いな、散らかってて。飯、簡単なので良いよな。すぐ作るからよ」


 ガオちゃんが台所に消えていき、暇を持て余した僕は、居間を見渡してみた。

 物が詰められている棚やら、チラシが積まれている隅のテーブルなど、確かに一見散らかっているようにも見えるけれど、そこまで気になる程でもない。

 ブラウン管の小さなテレビの下には、テレビ台に収納されているVHSのビデオデッキがあり、近くには、ガオちゃんが録画したのか、黒いビデオカテープが積まれている。

 近くにはCDコンポと共に僕には馴染みの薄いMDディスクとやらが、積んであった。


「健太郎、お前、嫌いな野菜とかあったっけ? キノコとかは?」

「食べれるよ。何でも食べれる」


 台所から聞こえて来たガオちゃんの声に返事をして、僕は、心の底から安心している自分に気づいた。

 今まで僕が触れてこなかったものが、確かにここにある。

 家族。家庭。生活感。 

 ガオちゃんが家族と言うのは想像もしていなかったのだけれど、ガオちゃんみたいな人が僕の母だったなら、僕の抱えているこの心の苦しさは、きっと別のものになっていたのだろう。


 しかし、そこまで考えた僕は、自分があまりにも変な事を考えているのに気づき、笑った。

 ガオちゃんが僕のお母さん?

 ガオちゃんになんて事を思っているのだ、僕は。

 いや、ガオちゃんの旦那さんになる人は想像もつかないけれど、良いお母さんにはなりそうだ。

 と、ここまで考えて、僕は首を振った。


 今の僕はあまりにも疲れている。

 あまりにも、酷い事が起きすぎた。明るい部屋で落ち着けた今、それらがドッと僕の中に流れ込んで来たのだ。

 警察や教師ら大人たちの傲慢さや、心無い同級生たちの言葉。母の態度。そして何よりも、殺人事件の、非日常的な光景。

 森の中で腐って、カラスに散らかされていた薬師谷先輩。

 切断された四肢が転がり、切られた首が反転して質の悪い芸術作品の様になっていた伊藤巻。

 大人の男に乱暴された後、殺されて、小川の流れの中でうつろな目をしていた笹山村さん。

 そして、新郷禄先輩の死。


 僕は大切な人たちの顔を思い出そうとする度に、それが彼女たちの死に塗りつぶされて行っているのを感じた。

 それはここ数日、顕著に感じていたもので、死んでしまったみんなの顔が、おぼろげになりつつあるのだ。

 伊藤巻は、どんな顔だったか。

 笹山村さんは? どんな声で笑っていた?

 ……覚えている。まだ、多分。

 だけど、少しずつ僕の中で、彼女達が薄れてしまっている気がしてならない。

 新郷禄先輩の事も、いずれ薄れてしまうのだろうか。


 涙が出そうになって、僕は目をこすった。

 負けてはいけない。きっと、何年たっても思い出せる。いつだって、どこでだって。

 と、顔を上げた僕だったが、ビデオデッキのすぐそばに8mmフィルムのハンディビデオカメラが棚にあるのに気づいた。

 これは、思い出を映像と言う記録に残すための機械だ。

 その機械そのものを見慣れていないので、珍しくも思う。

 ガオちゃんがビデオで何を撮影するのかなんて思いつきもしないけれど、もしかするとこのビデオカメラはガオちゃんのお母さんのものかもしれない。

 近くには『1990年 4月 お花見』などと文字が記載されている8mmフィルムの小さなビデオテープがあったので、その可能性も高い気がした。


 だが、視線を隣に移した瞬間、心臓がドクリと脈打った。

 台所から、ガオちゃんの鼻歌が聞こえたがそのせいではない。

 ビデオカメラとビデオデッキの間にあった、ビデオテープに張られてるシールに書かれた文字、恐らくタイトルのそれが、酷く気になったのだ。


 そこには『2000年 6月9日 殺し』と言う、手書きの文字が記載されていた。

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