~2000年 6月8日 木曜日

第23話 いつか、ずっと、君のそばに

 いったい、どれだけそうしていただろうか。


 僕は笹山村さんの前で、茫然と立ち尽くしていた。

 その間も笹山村さんの携帯電話が定期的にメールの着信を知らせている。


 いったい、誰から?

 音の出る方角を見ると、どうやら用水路脇の草地からのようだった。


 僕は、笹山村さんの携帯電話を探そうと、手を伸ばす。

 果たして、草の間にそれは合った。


「誰から?」


 僕は、何も考えずに、メールの画面を開く。


――――――――――――――――――

件名 なし

本文 なんで、電話に出ないんだ?

   誰かに言うつもりなら、

   撮った写真をバラまくぞ?

   良いのか?

――――――――――――――――――


 何だこれは、と思う。

 差出人は……竹川儀先生と書いてあるが、これは、僕が知っている、あの竹川儀先生なのだろうか。


 写真?

 いったい何の写真だろうか。


 他のメールも見てみたが、全て件名はなし。

 本文はどれも似たり寄ったりで、全てが脅しめいた口調で電話に出ろだの、連絡を返せだのと言った内容だった。


 そして、周囲は暗くなる。

 運営時間が過ぎて、自動的にグラウンドの照明が落ちたのだ。


 僕は笹山村さんの携帯電話をしばらく調べていたが、竹川儀先生からのメール以外はほとんど無い。

 ただ、送信ボックスのボタンを押したとき、未送信の状態で保存してあるメールを発見した。

 良く機能も把握はしていないのだけれど、日本語から察するに、まだ送信していない、誰かに送るためのメールを見るものなのだろう。


 そして、あて先は宝田健太郎だった。

 僕である。


――――――――――――――――――

件名 宝田君へ

本文 今日は、ごめんなさい。

   いきなり、好きだなんて言って

   困らせたと思います。

   でも、私は、宝田君のことが

   ずっと、好きでした。


   宝田君は、私の王子様です。

   助けてくれて、ありがとう。


   いつも、誰かのために頑張れる、

   あなたの事が好きです。

   あなたは私の特別な人です。

   大好きです。


   どうか、いつまでも、ずっと私の

   そばにいてください。


   今日は、放課後、竹川儀先生に呼

   ばれているので、それが終わった

   ら、このメールを送りたいと思っ

   ています。

   このメールを読んだら、電話をく

   ださい。


   宝田君とお話がしたいです。

――――――――――――――――――


 それは、ラブレターだった。

 僕にあてた、愛の告白の手紙だった。


 やはり、笹山村さんは僕のことが好きだったのだ。

 あの時いた言葉は幻でもなく、実際の声だったのだ。

 でも、笹山村さんは今も動かずに、変なトカゲのオブジェに座っている。


「なあ、笹山村さん。俺も、言いたいことがあったんだ」


 言っては見たが、返事はない。

 もう、二度と僕の名前を呼ぶことも出来ない。

 笑ってくれることもない。


 涙はいつの間にか止まり、もう、この後の人生で流すだけの涙は流し切ってしまったのではないかとも思える。

 少しも動く気になれない。

 蒸し暑くて、喉も乾いていたが、どうしようもない底冷えのようなものが、僕の心の中にあるのだ。


 そうして静かに時間は流れていったが、それでも、僕は放っておかれなかった。

 警察である。

 多分、暗い闇に携帯電話の明かりが目立っていたために、居場所が分かったのだろう。


「君は、宝田君か?」


 眼鏡の警察官が僕にそう言うと、駆け寄って来た。

 そして、多分、警察の権力によるものだろうか。照明がついて、周囲が明るくなった。

 僕は用水路の奥を指し示すと、警官に言う。


「……そこに、笹山村さんがいます」

「笹山村るる、か?」

「はい」


 警官は草をかき分け、用水路の様子を見た後、帰って来た。


「宝田君。しっかりするんだ」

「……あなた、誰です?」

「一条だ。夢川田葵の叔父だよ。遅くなってすまなかった」


 眼鏡の警官はそう言うと、自身の携帯電話を取り出し、どこぞに連絡をかけている。

 それがどこにかけたものだろうと、もう、僕には関係ない。

 もう、何も。



 西暦2000年。6月2日。


 僕は再び保護された警察署で、草蒲市における連続殺人事件の容疑者が拘束されたと聞いた。

 容疑者の名前は竹川儀たけかわぎ慎也しんや

 竹川儀先生である。

 最初はまさかと思った。


 だが、有力な証拠として扱われたのは、やはりメールらしい。

 自宅からは、メールにばら撒くと書いていた写真を撮影したカメラも発見された。

 それは、竹川儀先生が笹山村さんを暴行している写真だったらしい。


 事情聴取の結果、竹川儀先生は4月末に笹山村さんがラブホテルから成人男性と出てくるところを目撃し、それをネタに笹山村さんを脅して自宅であるアパートに連行、性的暴行を加えたと言う。

 ホテルで目撃されたと言うのは、歌玉と伊藤巻にさせられていたと言う時期とちょうど重なり、暴行したのは5月31日。

 それは笹山村さんが僕に告白の言葉を囁いた日であり、未送信だったメールで竹川儀先生に呼ばれていると書いてあった日である。

 竹川儀先生は脅迫と暴行は認めたが、殺害に関しては否認している。


 が、もちろん、警察はそれを信じていない。


 笹山村さんの死亡推定時刻は31日の午後9時ごろだ。

 暴行の後、笹山村さんは竹川儀先生に殺害され、深夜、八木須間グラウンドの用水路に遺棄され、翌日の6月1日に僕によって発見されたと言うのが、警察の描いたシナリオである


 だが、これはにわかには信じられない。

 なら、いったい誰が笹山村さんの携帯電話で、僕の携帯電話にメールを送ったと言うのか。

 教師である竹川儀が笹山村さんの携帯電話でメールを送り、僕より先に学校から八木須間グラウンドに先回りして、あの場所に放棄したとでも言うのだろうか。

 そもそも、被害者の携帯電話をいつまでも持っているなんてことがあり得るのか?

 それに、そんなフットワークの軽い事を、勤務中の教師が出来るものなのだろうか。


 だけど、僕のそんな疑問は無視されていた。

 竹川儀慎也は殺人の容疑を否認し続けているのだけれど、自宅からは薬師谷や伊藤巻の血が付いたナイフやノコギリなどの凶器も発見されたらしいので、もはや逮捕は確実なものとなるのだろう。


 そうして僕は、前回とは違い、すぐに解放されたが、もう、どうでも良くなっていた。

 草蒲南高校は何日間か休校になるらしい。


 ただ、僕は笹山村さんが死んだと言う事実を受け入れることが出来ない。


 彼女は、僕という人間にとってどれだけ大切な人だったのか。

 想えば想うほどに悲しみは僕の体を無気力にさせていく。


 笹山村さんを殺していないとは思いつつも、彼女を傷つけた竹川儀が憎かった。

 いつか、ガオちゃんが言っていた言葉。


『上手く隠してるけど、生徒をエロい目で見てる』


 確かにそうだった。

 それに、新郷禄先輩と夢川田も言っていた。


『あれは人に知られれば、ていのいい玩具にされる。弱みにされかねない』

『ええ。世の中には、人を好機の目で見て、平気で指をさす人たちがいますからね。その人に欠点があれば何をしても良いと思う人は、どこにでもいますから』


 笹山村さんに「事情聴取された女なんて誰が信じるんだ」と言い放った外貝のニヤニヤ顔も思い出して、思う。

 僕が生きている世界は、こんなにも酷い人間たちでいっぱいなのか。

 それでも、笹山村さんがいてくれれば生きていける気がしていたのに、彼女は失われてしまった。


 僕は、彼女を助けられなかった。

 彼女は傷つけられて、いろんな人によってたかって踏みにじられて、最後には殺されてしまったのだ。

 どれだけ悲しかっただろう。

 どれだけ苦しかっただろう。

 どれだけ辛かったのだろう。

 それを想うたびに、死んでしまいたくもなった。


 そうしてそれからの数日間。

 僕は心の底から何もする気が起きなくなり、ひたすら寝ていた。

 食事も、トイレも回数が減り、ほとんど、引きこもりになっていたと言っていいだろう。


 ただ、笹山村さんの死体を発見した一週間後のその日。6月8日。

 僕の携帯電話に電話が来た。

 着信通知に現れた名前は、僕が両親と笹山村さん以外で登録している、唯一の人間。

 新郷禄先輩である。


『健太郎? 私よ。新郷禄香苗』

「はい。どうしました?」

『どうしましたですって? 健太郎。あなた、このままで良いの?』


 何がだろうか。


『竹川儀は犯人ではないってこと。彼は、用意された身代わりスケープゴートよ』


 やはり、新郷禄先輩も疑問だらけだったらしい。


「……分かってますよ。でも、証拠があるんじゃどうしようもないじゃないですか」

『証拠? あんなもの、どうとでもなるわ』


 新郷禄先輩は言う。


『凶器何て、自宅さえ把握して、こっそり中に置いてしまえれば、有力な証拠になるでしょう? もちろん、それが出来ればだけど』


 もちろん、そうだろう。

 草蒲警察署の無能さなら、僕が良く知っている。


「じゃあ、犯人は誰なんですか?」

『それをこれから調べるのよ。私は、薬師谷悦子が顧客にしてた連中が怪しいと思ってる』

「顧客?」

『援助交際の客よ。薬師谷悦子が斡旋し、歌玉紗枝や伊藤巻信子にさせていた。笹山村るるも、させられていたのでしょう? だったら、繋がりはそこにしかない』


 なるほど、と思う。

 確かに説得力はありそうだ。


「だけど、その顧客と言うのが誰かは、分かるんですか?」

『とりあえず、紗枝に聞くわ』

「歌玉に? でも、歌玉は」

『とりあえず、出て来なさい。一時間あれば良い? 集合は八束駅で。 それじゃあ、また』


 新郷禄先輩は電話を切った。

 断る隙も無い。

 やれやれと思う。


 本当に強引な人だ。

 ある意味、ガオちゃんと同じくらい人の話を聞かない。


 僕は起き上がると、身支度を整えた。

 僅かに生え始めた髭を髭剃りで剃り、シャワーを浴びて服を着替える。

 久しぶりに食べたご飯は喉につっかえて、ほとんど通らないかとも思ったけれど、良く噛んで水と一緒に飲み込めば、難なく胃に落ちていった。


 僕は靴を履き、心の中で笹山村さんを思う。

 やるからには、絶対に仇を取る。

 例え、敵が何者であったとしても、今の僕には笹山村さんの仇を討つ以外の事は考えられない。


 僕は玄関を開ける。

 だが、思わぬ客がいたことで、僕はその場で固まった。


「こんにちは、健太郎君」


 田中々だった。

 自転車に乗った田中々が、待ち伏せしていたかのように、家の前で待っていた。


「お出かけですか?」

「あ、うん。新郷禄先輩に呼ばれて」

「犯人捜しですね?」

「何で、そのことを?」


 僕が聞くと、田中々は僕と新郷禄先輩のやり取りを見ていたかのように言う。


「私なりに推理して、そろそろ動くのでないかと思っていました。それだけです」


 話が早いと言えばそうなのだけれど、少し不気味に思う時もある。

 と言うか、よく考えれば、僕の自宅を知っていると言う時点で、十分怖い。


「私もお手伝いします。良いですよね? 健太郎君?」

「あ、ああ。分かった」


 田中々がいてくれるのはありがたい気もするけれど、正直言って今回は危険だと思う。

 新郷禄先輩は顧客を調べると言っていたが、その顧客と言うのは十中八九、大人の男だ。

 何かあっても腕力で来られたらきっと勝てないし、そうなれば女の子である新郷禄先輩や田中々に、酷いことをしないとも思えない。


 だから、一応言った。


「危険かもしれないぞ?」

「分かっています」


 本当に分かっているのかどうかは、その眠そうね顔からは判別付かない。

 いっそのこと着いてくるなと言ってしまった方が良かったのかもしれないけれど、もはやそれを言うことも、僕には出来そうもない。


 それに、時間もなさそうだ。


「じゃあ、八束駅に行くよ」

「はい」


 僕らは自転車に乗り、約束された場所へ向かった。

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