2000年 6月1日 木曜日
第22話 告白の行方は消えて
翌日の6月の1日、木曜日。
暦はついに6月に突入したが、地獄の季節は終わったわけではなかった。
殺人事件の犯人は未だ捕まっておらず、学校の雰囲気は暗いままなのだ。
町には警戒の目が光り、警察官の姿や、パトカーを多く見ることが多くなっている。
人々は出歩かなくなり、僕ら学生も、授業が終われば、真っ直ぐに家に帰ることを命じられてた。
しかし、僕は能天気に過ごしてしまっていた。
辛いことが多すぎた反動なのか、5月の最後の日に起きたことが、僕の心を前向きにさせていたのだ。
『私、宝田君のこと好きだよ』
それは夢だったのだろうか。
僕だけに、ひっそりと告げられた言葉。
僕は、それを考えるたびに、笹山村さんと会えるのが楽しみだと、そんな事しか考えられなくなっていた。
さて、6月と言えば梅雨である。
最後に雨が降ったのはいつだろうかと思い出そうとしたが、良く思い出せない。
5月の半ば頃だったとは思うけれど、いつだったか。
もし雨が降っても、傘をさして笹山村さんと二人で歩くのも楽しいかもしれない、なんてことを思ってしまう。
……いや、そんなことは良い。
6月1日は少し曇っていた。
雨は降りそうもなく、午後には晴れるだろう。
この日。登校した僕は、つい笹山村さんを探してしまっていた。
昨日、電話に出なかったので、少しだけ心配なのだ。
もっとも、僕自身、電話の使い方が良く分かっていないので、ちゃんとかけられたかどうかの不安もある。
だが、笹山村さんは、朝のホームルームが開始されても学校に来なかった。
珍しく遅刻なのかとも思ったが、昼になっても笹山村さんは学校に来ない。
昼休みになり、ガオちゃんたちとお弁当を食べたが、その間も来なかった。
流石におかしいと思い、仲の良い無範なら何か知ってるかもと図書室に向かったが、意外なことに無範智恵理もいない。
入れ違いになったかと思い、教室に戻ったけれど、そう言うわけでもなかった。
そして、放課後である。
結局、笹山村さんは学校に来なかった。
電話をかけてみようかとも思ったが、もし、風邪を引いていたらと思うと、なかなか通話のボタンも押せない。
その日は一日はガオちゃんも大人しく、また、新郷禄先輩も顔を出さない。
外貝もこちらに関わって来ようとはせず、武雅まつりもいつも通り、ツンツンしていた。
「帰るか」
僕はガオちゃんと田中々に声をかけ、帰り支度を始める。
と、夢川田がやって来て、僕に言った。
「宝田君。昨日、叔父さんから電話行った?」
「ああ、来たよ。一条さんだよね」
「そう。剣叔父さん。私が宝田君の話をしたら、会ってみたいって」
どんな紹介をしたら、姪の同級生と会ってみたいだなんて思うのだろうか。
いや、警察官なら、僕の知っている情報で、何か有益な物がないかを確認するために、回りくどい方法を取っている可能性もある。
とりあえず僕らは下駄箱に向かい、歩きながら話した。
「一条さんって、どんな人なの?」
「もともとは上星市で警察官だったんだ。転勤って言うのかな。配属が変わったらしくて、それで草蒲市に。もう、何年も前の事だけど」
上星市。
草蒲市から西へ向かい、いくつかの町を超えた先にある、大きな町である。
「じゃあ、都会の人なんだね」
「ここだって、言う程、田舎じゃないじゃない」
「まぁ、同じ首都圏だけどさ」
他愛のない話ではある。
それが、同級生の叔父さんの話題と言うことを考えなければだけれど。
「それで、叔父さんと会う、日時なんだけど」
夢川田が、そう言った時だった。
その時、僕らは下駄箱で靴を履き替えており、ガオちゃんも田中々も一緒にいた。
そこへ走ってやって来たのだ。
無範智恵理が。
「た、宝田」
汗だくだった。
どこから走って来たのか。
「何だよ、無範。今日は、休みだと思ったけど来てたのか?」
「い、今、学校に来たんだ」
なるほど。
よく見ると、無範は制服を着ていなかった。
ずる休みと言う奴だろうか。
そして、違和感があった。
息も絶え絶えの無範だったが、どうも、様子がおかしい。
ハイパー無範でもないのに、普通に喋れている。
「どうしたんだよ、無範」
「大変なんだ。ルルちゃんが」
嫌な予感がした。
無範の顔が、今まで見たことのないくらい必死なのだ。
走り続けて息も絶え絶えのようだったけれど、それとは別に、気迫のような物さえ感じてしまう。
「笹山村さんが、どうしたの?」
僕が聞くと、無範は顔を歪めて、ボロリと涙がこぼす。
「ルルちゃんが、昨日、家に帰ってないって。朝から一日中、探してたのに、どこにもいなくて」
聞いた瞬間、血の気が引いた。
そんな馬鹿なと思う。
笹山村さんが、家に帰らないなんて、そんなことがあるのか?
家出する理由は無いはずだ。
一つ。僕を苦しめ始めたのは、あってはならないの想像だった。
頭の中を、凄惨な光景が回り始める。
林の中の薬師谷先輩や、男子トイレで見た、伊藤巻の遺体がある光景だ。
彼女たちも、いなくなった。
いなくなって、そして……
「探そう」
僕はそう言ったが、どう探す?
僕はダメもとで携帯電話を取り出すと、笹山村さんにかけた。
しかし、やはりと言うべきか出ない。
ふと、アドレス帳に新郷禄先輩の番号があることに気づいた。
「新郷禄先輩に電話しよう。力を貸してくれるはずだ」
僕は通話のボタンを押す。
数コールで、先輩は電話に出て「さっそく電話をかけてくれたのね。で、どうしたの?」と聞いてくる。
事情を話すと、先輩はすぐに今僕がいる下駄箱に来ると言った。
。
言葉の通り、新郷禄先輩はすぐに来た。
無範智恵理が先輩に「ルルちゃんを助けてください」と必死に言う。
その様子を見ると、僕の不安はますます大きくなっていった。
「無範。笹山村さんが行きそうな場所は?」
「そんなの、わかんないよ。家に帰らない時に行きそうな場所なんて。いなくなったことなんて、一回も無いし」
それもそうだ。
だがしかし、今は無範からの情報だけが頼りなのだ。
「普段、行ってたところは?」
「もう回った。地元の駅と八束駅の方は全部。本屋に、たこ焼き屋さんに、ハンバーガーショップに、レンタルビデオ屋さんに、ゲーム屋も」
無範はグズグズと泣いている。
きっと、朝からずっと走り回っていたのだろう。
ふと、携帯電話がピカピカと光る。
何だろうと、画面を付けてみると、どうやら、メールが届いたらしい。
差出人は、笹山村るるだった。
「無範、笹山村さんからメールだ。何だ、大丈夫なのか?」
「え?」
「ほら、これ」
メールの画面を見せる。
――――――――――――――――――
件名 どうしたの?
本文 電話くれた?
今、電話できないからメールする
ね。
――――――――――――――――――
無範が「え? え?」と混乱している。
僕だってそうだ。
家に帰ってないと聞いて、心配してしまったのだ。
でも、安心した。
僕の最悪の想像は杞憂に終わったらしい。
続けてメールが着信し、僕はそれを読む。
――――――――――――――――――
件名 宝田君
本文 私はここにいるよ。
探してみてね。
住所 草蒲市 八木須間町
○○-××
八木須間グラウンド
待ってるからね。
※ ヒントは、水。
――――――――――――――――――
意味が分からなかった。
がく然とメール画面を見ていると、ガオちゃんが僕に言う。
「おい、どうした健太郎。なんか、顔色悪いぞ?」
「い、いや、なんか意味わからないメールが来て」
本当に良く分からなかった。
八木須間グラウンド? 探してみてね?
笹山村さんは何を言っているんだ?
だけど、この得体の知れない不安は何なのだろう。
ふと見ると、僕の携帯電話を覗き込んでいた夢川田さんも顔を青くしている。
「宝田君。それは……」
それはなんだよと思った。
だが、夢川田からの返事を聞く前に、同じく覗き込んでいた新郷禄先輩が、真剣な顔で言う。
「八木須間グラウンドなら、場所は知ってる。だけど、どうする?」
「ど、どうするって?」
「警察に連絡するかどうかよ」
何を馬鹿なことを言っているんだよと、僕は笑った。
全くふざけてる。
警察に連絡しなくちゃいけないようなことが、どこにあると言うのか。
「健太郎?」
「ね、ねぇ、みんな。これさ、笹山村さんは、ただのジョークでこんなメールを俺に送っているんだよ。きっと、かくれんぼしたくて、俺と、さ」
絶対にそうだ。
「だ、だって、そうなんだ。俺、笹山村さんに、まだ、何も伝えてないだろ? 昨日、笹村山さんが俺を庇ってくれて嬉しかったし、その後だって、俺に」
「落ち着いて、健太郎。……夢川田さん、お願い。警察に連絡を」
「分かりました」
夢川田が新郷禄さんから携帯を受け取る。
やめろよ、みんな。
何をそんなに慌てているんだよ。
「お、俺、その八木須間グラウンドってとこ、行ってみるよ。笹山村さんが待っているかもしれないし」
「待ちなさい! 健太郎!」
「い、嫌だ。嫌だよ、俺」
目から涙があふれてくる。
本当は、なんとなく理解出来ていた。
多分、メールを送って来たのは、笹山村さんじゃない。
だけど、そんなわけはないんだ。
絶対に違う。
きっと、笹山村さんは、僕とグラウンドでかくれんぼをするのを楽しみに待っている。
たまらなくなった僕は駐輪場まで走ると、自転車に飛び乗った。
だが、たどり着けるだろうか。
八木須間グラウンド? 住所は八木須間町か?
通学路途中のドラッグストアが八木須間町と言う住所だった気がするけれど、合っているだろうか。
まぁ、良い。
僕は自転車をこぎ始めた。
笹山村さんが待っているんだ。
校門でガオちゃんたちが止まれと叫んでいたけど、構うものか。
急いでいかないといけない。
笹村山さんに、僕は会いたいんだ。
。
八木須間グラウンドは広い。
公園も併設され、釣りができるような大きな池もあり、敷地をぐるりと巡っているマラソンコースや、野球場やサッカー場などのグラウンドがあるらしい。
まさにスポーツをする人の憩いの場所の様だった。
もちろん、真っ直ぐに到着できたわけではないけれど、途中のコンビニで道を聞くと、すぐに教えてくれた。
僕はグラウンドに入る。
殺人事件の影響からか、今日の利用者はだいぶ少ないようだ。
しかし、笹山村さんはどこにいるのだろう。
開けた場所に姿は見えないけど……。
ああ、きっと、物陰にいるんだ。
かくれんぼだし。
そう思った僕は、自転車のままグラウンドを探し回った。
建物の裏から、木の陰まで。
しかし、見つからない。
「笹山村さん。出て来てよ。もう、降参だから」
僕は電話の通話ボタンを押す。
もしかすると、出てくれるかもしれないと言う期待を込めて。
そして、かすかに風の中に紛れて、着信のメロディが聞こえるのを感じた。
本当に小さな音だった。
僕は電話を手に、走る。
音色は、どうやら池に続く用水路の近くから聞こえてきているようだった。
ヒントは、水……。そうか。
僕はこの近くに笹山村さんがいると確信した。
用水路の脇は背の高い草が生い茂り、隠れるのに最適なのだ。
小さな虫の音や、一足早いカエルの鳴き声なんかに紛れて、まだメロディが聞こえている。
僕は用水路に沿って、池側へと進む。
そして、携帯電話の着信メロディが再び聞こえると、僕は走った。
元気でいるはずだ。
きっと、「みつかっちゃった」と笑いながら出てくるはずだ。
ふと、僕がかけた電話は切れていて、聞こえている着信の電子音が、僕が鳴らしているものではないと知る。
だが、短く切られたメロディを聞き、メールの受信メロディなのかもしれないと気づいた。
誰かが、笹山村さんにメールを送っているんだ。
僕は草をかき分けて、その音の発信源を探す。
「笹山村さん! ねぇ、どこにいるんだよ!」
そして、草地に入り込み、数分。
笹山村さんは、いた。
虚ろな目をした笹山村さんが、座っていた。
どうして、そんなトカゲのような変な張りぼてに座っているのか。
はだけたシャツの間から笹村山さんの胸がチラリと見えて、僕は目をそらす。
「さ、笹山村さん。風邪ひくよ。ちゃんと服を着ようよ。かくれんぼは止めてさ。もう帰ろう? 俺、笹村山さんに、伝えたいことがあるんだ。聞いてくれるよね?」
笹村山さんは動かない。
風が、嫌な臭いを僕に運んでくる。
それでもその中に、いつか嗅いだ笹村山さんの髪の臭いが混ざっていた。
『……宝田君って、優しい人ですよね』
ふいに、記憶が逆流してきた。
かつて聞いたことのある笹村山さんの言葉が、脳裏に蘇って来ている。
『あの、宝田君。急にこんなこと聞くと、変な子だって思うかもしれないけど……。運命って信じますか?』
『例えば未来で起きる事とか、将来結婚する人とか、生涯の友達とかもあらかじめ決まっていて、それはもう、すでにどこかで出会ってたりするんです』
『今の宝田君には、そういう事を感じたりする人、いますか?』
――助けてくれてありがとう。
。
。
夜が降りてくる。
涙が止まらないのは何故だろう。
笹山村さんは、そこにいると言うのに。
見つけられたと言うのに。
どうして、僕はこんなにも悲しい気分になっているのだろうか。
「笹山村さん……! 笹山村さん……! 何で、何も言ってくれないんだよ。返事してくれよ!」
近寄ってよく見ると、笹山村さんの手が無かった。
赤黒い断面が見えていて、外国にある有名なヴィーナス像のようにも見える。
手は、近くの水の中に落ちていた。
肩は残っていたが、その両肩に小さな装飾品のようなものが乗っている。それが何なのかは、良く見えない。
背もたれのある、トカゲのような生き物を模した張りぼてに、跨るように座らされていた笹山村さんは、虚ろな目で空を見つめたまま少しも動かなかった。
ふと、近くに、ビニールに入れられた紙が落ちていることに気づく。
中には、またあの切り抜きで作られた文章の書かれた紙が入れられていた。
『あなたは姦淫してはならない』
「……なんだよ、それ。なんでなんだよ!」
理解せざるを得ない。
笹山村さんは、死んだ。
薬師谷先輩や伊藤巻を殺した誰かに、殺されてしまったのだ。
僕は流れる涙をそのままに、ただ泣くことしか出来なかった。
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