第11話 楽しかった日々は、終わる

 正直、勇気が必要であったと言わざるを得ない。


 さっさと田中々を見つけて脱出しなければ、まだ残っているかもしれない敵たちに見つかってしまう。

 そうなれば、僕の命は無い。

 今度こそ心がストレスでボロ雑巾のズタボロボンボンになってしまうだろう。


 しかし、警戒しつつ図書室に再び足を踏み入れた僕は、とんでもない光景を見てしまった。


「へぇ、無範さんって、物知りなのね」

「そ、そそ、それほどでもないですが。ひひひ」

「誇ってもいいと思いますよ、無範さん。……遅かったですね、健太郎君」


 何故だ。

 何故、夢川田ゆめかわだ無範むはん智恵理ちえり、それから田中々が同じ机に座って、本を読みながら仲良く語らっているのだろうか。

 呆気に取られていると、田中々が僕に言う。


「立ったままでどうしました?」

「い、いや。ちょっと面食らってしまって。田中々は何で、その」

「宝田君、とりあえ座ったら?」

「あ、はい」


 夢川田に言われるまま席に着き、座ってから後悔した。

 今すぐ逃げた方が良いのではとも思うが、座ってしまった今、立ち上がるのも不自然だ。

 しかし、どういう事だろうか。

 夢川田からは、先ほど感じていたトゲをほとんど感じない。


 しかも無範智恵理にいたっては、まるで人が変わったかのようになっている。

 と言うか、笑い方がちょっと気持ち悪い。

 先ほど誇っていいと田中々に言われたからか、無範は下を向いたままニヤニヤと笑っている。


「ふひ、ふひひ。昔、何かの本で読んだことあるだけで。全然、すごく無いですよ」


 ……こいつ、こんなキャラだっけ?

 まぁ、気にしなくてもいいか、と机の上を見ると、ギターの教訓本があった。

 田中々が見つけてくれたのかと思ったが、それ以外にも実に様々な本が並んでいる。


「田中々、その本は?」

「ちょっと色々調べなくてはならない事がありまして。時間の有効活用です。どれも知りたいことと違いましたが」


 調べる事?

 それにしたって、本のバリエーションが多過ぎる。

 パッと見ただけでも、『古代ギリシャの英雄とその名言』『伝承から都市伝説まで 世界の妖怪大全集』『罪と罰と精神と時間』『すぐ使える素敵な花言葉』『映画の名言とそのキャラクター』『漫画徹底分析シリーズ 奇妙な冒険から分析する人間賛歌の物語』『決定版 昭和歌謡曲の有名フレーズ』……。

 いったい何を調べていたのだろうか。


 ふと、無範智恵理がジッと僕を見ていることに気づく。


「何?」

「うっ、あ、あの、その、さっきは、その」


 まるで落ち着きがない。

 先ほど僕を罵倒し、陥れていたあの勢いはいったいどこに言ったと言うのか。

 と思いつつも、笹山村さんの言葉を思い出す。

 先ほどの話だ。確か、『私が男子といると人が変わるって言うか。普段はもっと、喋りやすいんですけど』とか言っていたか?

 しかし、これは話しやすいと言うか、ちょっと……


「ふ、ふひひ、あの、あのね。その、宝田君に、謝りたくて。さっきは、色々失礼なことして、すみませんでしたなって」

「え? あ、うん」

「ボ、ボク、るるちゃ……笹山村さんといると、頭に血が上りやすくなっちゃって」

「ああ。笹山村さんから聞いたよ。本当は悪い子じゃないって、フォローしてたし」

「あ、う」


 固まる無範智恵理。

 ぼさぼさの髪の毛から覗いてる顔が、本当に罪悪感でいっぱいな感じになっていて、ちょっとだけ気の毒にも思える。

 しかし、無範智恵理のイメージが本当に全然違くてびっくりした。

 一人称がボクか、と、昔テレビで見てたアニメのキャラを思い出す。

 ふひひって笑うところを見たら、ちょっと面白い奴じゃないか、なんてことも思ってしまった。


「大丈夫。気にしてないよ、無範さん」

「い、良いの? 許してくれるの?」

「大切なんだろ? 笹山村さんの事」

「う、うん。あ、ありがと。親友だから。私の、たった一人の友達。ふひ、ひひ」


 悲しくなってきた。

 こいつも苦労してる人間なんだなぁと思う。

 特に友達がいそうに無いところとかなんかは、親近感すら湧いてしまった。


 ……ついでに今日、頑張ってお昼ご飯を誘ったのに外貝君に断られたことも思い出して、さらに悲しい。

 と、その時、夢川田がため息をついたので視線がそっちに向いた。


「私も、本当はもっと宝田君に言いたいことがあったんだよね」

「な、何?」


 緊張が走る。

 が、夢川田は回りくどい話し方が好きなようだ。


「それより田中々さんから詳しく聞いたけど、昨日、大学生と殴り合いの喧嘩したって嘘だったんでしょ?」

「あ、うん。って言うか、誰が言ってたの? それ」

「外貝君」


 ――あいつ!

 適当なことを言うなよ、外貝君。

 今度会ったら文句を言っておこう。言う前に避けられる気もするけれど。

 と、夢川田さんが再びため息をついた。


「人の言うこと、鵜呑みにしちゃだめね。クラスメイトだし、簡単に信じちゃった。あのね、私が言いたいことって言うのはね」

「な、何?」

「無茶しないでってこと。たまたま良い結果になったみたいだけど、怪我したり、お金取られたら大変でしょ? 警察呼んだりしなきゃ。近くにいたら、私に言ってくれても良いけど」

「いや、あの時はちょっと切羽詰まってたし。って、夢川田さんに言うの?」

「え? そうよ。当り前じゃない」


 何だか知らないけれど、自信いっぱいの夢川田葵。


「そ、それこそ無茶じゃない?」

「どうして?」

「だって、夢川田さんも女の子だろ? もし、怪我とかしたら」

「あのね、宝田君。私が殴り合いとかするわけないでしょ?」


 いや、それはそうだけれど、一方的に殴られることもあるんじゃないか?

 それともまさか、実は夢川田は超能力者で、どんな悪党も手を触れずにやっつけられるとか?

 まぁ、それは冗談にしても、夢川田葵と言う女の子には特殊な能力があるに違いない。

 僕が期待を込めて夢川田を見つめていると、彼女はフフンと胸を張って言う。


「私ね。叔父さんが警察官なの」


 ……完全に虎の威を借りる狐じゃないか。


 。


――――――――――


――――――


――この後、和解を果たした僕らはそれぞれの家に帰り、4月13日の木曜日は、その日付を変えていった。


 それからの日々は、しばらく安息が続く。

 安息と言っても、僕らにとっての日常は目まぐるしい出来事の連続で、楽しいことがたくさん起きていたとも感じていた。

 ガオちゃんとカラオケに行ったら、ガオちゃんがあまりにも音痴過ぎて、笑ってしまった僕がボコボコに殴られたりもしたけれど、楽しく青春と言う日々を過ごせていたと思う。


 ただ、人間関係はそうした日々の中でも確実に変化していく。


 まず、伊藤巻と歌玉だが、翌日の金曜日には登校していた。

 見るからに暗い表情をしていたのだけれど、何が起きたのかは僕からは知ることが出来ない。

 少し、雰囲気も斜に構えるようになったと言うか、悪い方に変わってしまったと思う。


 そんな二人に接近した笹山村さんだったが、無事に仲良くなれたようで、良く伊藤巻達といることが多くなった。

 ただ、伊藤巻と歌玉は薬師谷先輩と言う恐ろしい人と関わり合いがあるので、笹山村さんが少し心配でもある。

 ついでに言うと、田中々も伊藤巻たちに時々呼び出されているのを目にしているが、まぁ、田中々は僕とガオちゃんといる事が多いので、そんなに深く関わったりはしないだろう。


 そして内野之うちのの武雅むがまつりは大喧嘩をしたらしく、武雅がちょくちょく僕らと一緒に行動していた。

 喧嘩の原因は、これは僕もちょっとショックだったのだけれど、内野之が外貝君に猛アタックされて、断り切れずにお付き合いを始めたらしいのだ。

 あの子供のような見た目と、見た目通りの純真さ、そしてやたら声のデカい内野之が恋人を作るなんて、と驚いたりもしたけれど、問題は相手が外貝君と言う事である。


 外貝君と言う人間は僕を一方的に嫌っているらしい。

 遠回しに突っかかるような態度を取られたり、聞こえるようにコソコソ悪口を言われたり、ムッと来て何か言おうと近寄ればとことん避けられたりもされて……。

 そうなれば流石に僕からも良い印象を持てない。

 正直、人間的にもどうかと思う。

 なので、内野之も外貝君が好きとかそんなのじゃなくて、勢いで押し切られただけなんだろうな、なんて思っている。


 ただ、武雅も僕と同様に外貝君を良く思っていないようなので、どちらかと言うと武雅の方が距離を置いてしまい、喧嘩の事を謝れなくなっている感じらしい。

 武雅からしてみれば、まがりかりにも嫌ってる外貝君の彼女になってしまった内野之との修復は、どうしても難しいのだろう。


 図書室に行けば、無範智恵理が夢川田と仲良くしているのが見えた。

 聞けば、無範智恵理は外国語学科で、笹山村さんとあまり会えていないようなので少し寂しそうだった。


 夢川田は僕の顔を見るたびに小言を言うけれど、最悪のファーストコンタクトの印象から比べれば、全然付き合いやすいと言える。

 ただ、この二人の会話にはとてもじゃないけれど入れない。


 雰囲気的に入れない感じではなく、単純に話が難しすぎてついていけないのだ。

 どちらもかなり頭が良いらしく、どこぞの国の神話に出てくる誰それがカッコいいだの、何やら芝居がかかったセリフを二人で言い合いながら「良いよね、シェイクスピア」、だの言っているのである。


 悲しいことに、僕はハンバーガーショップのイチゴシェイクの話しかできない人間なのだ。


 そんなわけで、まぁ、とにかく、平和だった。

 僕とガオちゃん、田中々の距離は変わらず、三人で自転車を押しながら道を歩き、時々他の中の良い女子が加わる。


 美しい青春の日々だった。 

 だが、それらも全て終わる。


 5月が来たのだ。

 腐臭と血の匂いが立ち込める、西暦2000年の5月が。

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