2000年 5月25日 木曜日
第12話 その髪の匂いは儚く
さて、5月になって、僕は新しいアイテムを手に入れた。
フォークギターと携帯電話である。
ギターに関しては、父が知り合いから中古の品を格安で譲ってもらえたらしい。
自分のギターが欲しいとは思っていたが、こんなに早く手に入るとは。
思わぬプレゼントに喜んで、僕は必死に練習をした。
軽音楽部に入部した僕にとって、このギターは最強の武器である。
図書室で定期的に借りている教訓本を頼りに、空いている時間は常に触ることにして、とにかくギターで遊んでいた。
ただ、軽音楽部でも、僕には同学年の友達が出来なかった。
僕の良くない噂は学年中に知れ渡っているらしく、誰もが僕を避けているのだ。
優しかったのは先輩たちだけで、僕に人気バンド『Mr・チャイルドレン』の『真海』と言うCDアルバムを貸してくれたり、ギターの弦交換の仕方だとか、コードを抑えるコツなんかを教えてくれた。
学園祭は田中々と発表することになりそうだが、その後に控えているバンド活動のメンバーに関して全く目途が立っておらず、苦労することになりそうだ。
次に携帯電話である。
これは共働きの両親が僕に持たせてくれた、最新の機械だ。
これがあれば、もしかすると僕の交友関係の広がりも期待できるかもしれない。
が、僕の知っている人で携帯電話を持っているのは、触っているのを見ただけなので断定はできないのだけれど、伊藤巻と歌玉、それから笹山村さんだけだった。
それと男子が数人。
男子とはこれをきっかけに話せれば良いなと思うのだけれど、ただ、どの男子も僕に全く近寄らなくなってしまっていたので、携帯電話を軸にした新たな友達100人計画は、無残な結果になりそうだとも感じていた。
その根拠を強力なものとしたのは、外貝君の暗躍である。
クラスでの外貝君は、コミュニケーション能力がずば抜けて高い男子だった。
周りにはいつも人がいて、口を開いては笑わせて、女子とも平気で仲良く喋っている。
その外貝君が、僕を遠目で見ながらコソコソと――それでも僕にしっかり聞こえるくらいの声で悪口を言いながら周囲の笑いを取っている時があるのは、不快だと感じる以上に、僕の風評被害に繋がっている気がして遺憾だと言わざるを得ない。
腹も立つが、近寄ると逃げるし、他のクラスメイトがガードに入るようにもなったので、僕にはどうすることも出来なかった。
僕は僕で、そんなクラスメイトを見たガオちゃんがブチ切れてぶん殴りに行かないないようにと、機嫌を取らなければならなかったので、外貝君に構ってはいられなかったのだけれど。
ただ、それでも僕が孤独感を感じずに済んでいたのは幸運だった。
僕にはかけがえのない仲間がいる。
ガオちゃんに田中々に、それから武雅まつり。
無範智恵理はいつも図書室にいるし、夢川田なんかは教室でも僕に小言を言って来る。
そうした仲間たちに囲まれて過ごせていれば、少しくらい嫌なことがあったとしても別に平気だった。
ただ、5月の25日。木曜日。
僕の学校生活を崩壊させる最初の事件が起きたのだ。
。
「全く、腹立つよね、あいつ」
その日の昼休みも、
いつもはガオちゃんもお弁当を食べながらそれを聞き、ふんふん頷いていたりもするのだけれど、今日のガオちゃんは昼休み開始のチャイムが鳴った瞬間、「悪い、健太郎。緊急事態だ」と言いながら小走りで教室を出て行った。
多分、トイレだと思う。
田中々もいないところを見ると、一緒に行ったのかもしれない。
まぁ、それはともかく。武雅まつりの愚痴は、いつもと変わり映えしない内容だ。
「外貝の奴、優子を無視して他の女子と喋りやがって。外面が良いだけじゃない、あいつ。優子も良くあんなのと付き合えるよね」
「それは俺も同感」
実際、内野之も無理をしているんだと思う。
外貝君と付き合い始めてから、見てわかるレベルで内野之の元気がなくなった。
大きな声を出さなくなり、お弁当も普通サイズになり、教室を走らない。
で、何をしているかと言えば、外貝君の近くで意味もなくウロウロしてたり、ジッと黙っていたり。
今も、内野之は外貝君から離れたところで、下を見ている。
ただ、分からないのは、外貝君が内野之を全く無視していることだった。
まるでいないかのように他の人と楽しそうに笑い、喋っているのが不思議でならない。
自分に彼女がいないのでわからないのだけれど、恋人って、そういう物なのだろうか。
あの二人が付き合いだしたのは外貝君の猛アタックの末に、と武雅には聞いていたのだけれど、僕が見た限りでは外貝君が内野之を好きとかそう言う感じには、全く見えない。
僕には、二人が付き合っている理由がさっぱり分からないのだ。
「なぁ、武雅さん。そろそろ内野之さんと仲直りしたら? 武雅さんから謝るとか。武雅さんと仲直りしないと、内野之さんも外貝君と別れられないんじゃない?」
「私から謝る? それは絶対に嫌。優子は心配だけど、私、悪くないもん」
「そ、そうですか……」
武雅は強情だ。
一度こうと思い込んだら、絶対に引かない。
それは出会った時に怒れる大学生の男へ啖呵を切っていたところからも想像がついていたのだけれど、正直僕の想像をはるかに超えていて、ほとんど全く意見を譲らないのだ。
「じゃあね、宝田。私、今日は学食だから」
「ああ、またね」
愚痴を言いに来ただけか、武雅まつり。
まぁ、良い。
とりあえず、携帯電話を手に入れたからには、僕にはやることがあった。
この携帯電話をきっかけに話題を作り、笹山村さん達と話をしようと言う事である。
正直、心配なのだ。
5月に入る少し前から、笹山村さんは時々学校を休むようになった。
それが何故かは分から無い。
ただ、伊藤巻と歌玉の雰囲気が、出会った頃から想像もつかないほどガラッと変わっていた。
歩き方はぶっきらぼうで、服は4月の時よりも着崩し、スカートが極端に短くなっていてと、見た目は完全に問題児だし、普段の素行と言うか、やってることもあまり好感を持てる物ではない。
時々田中々なんかが呼び出され、からかわれて笑いものにされていたりしていた。
もちろん、そっちはそっちで心配ではあるのだけれど、しかし、僕が気になるのは、あの二人の笹山村さんに対する態度が、友達と言うよりパシリか何かのような扱いなのである。
あの二人が笹山村さんにジュースを買いに行かせたりしているのも、僕は見ているのだ。
伊藤巻たちが人をそんな風に扱うなんてことは、出会った頃はまるで想像も出来なかった。
いったい、何があの二人を変えてしまったのか。
いや、考えている暇はない。
何か行動を起こすのならば、ガオちゃんが帰って来る前に起こさなければ。
直接、声をかけてみようと思う。
第一目標は笹山村さんとの会話。第二目標は伊藤巻たちとの会話だ。
とは言え、いざ話しかけようとすると緊張した。
三人がいつもいる教室の隅へと、僕は歩く。
が、笹山村さんの姿は見えず、伊藤巻と歌玉が二人で椅子に寄りかかり、つまらなそうに紙パックのジュースを飲んでいるだけだった。
「ん? なんだ、宝田かよ。何か用かよ?」
僕を見るなりフンと鼻で笑う歌玉。
敵意みたいな物も感じてしまった僕は、何も喋れなくなってしまった。
とてもじゃないが、何かを話せるような雰囲気ではない。
だが、何も喋らないのも不自然だと、僕は口を開いた。
「歌玉さん。えっと、笹山村さんってどこにいるのかな?」
「るる? 知らね」
歌玉の素っ気ない返事に心が折れそうになったが、それでも伊藤巻は僕の顔をちゃんと見てくれるようだ。
「宝田君は、るるに何の用なの?」
「ちょっと、話があって」
「話?」
「いや、どこにいるか分からないなら良いよ。自分で探すから」
僕は二人から離れると、教室を出た。
とは言え、僕には笹山村さんの行き先などわかるはずがない。
ふと、図書室にいる無範智恵理ならと思い立ち、歩いた。
無範なら、彼女のいる場所に見当がつくかもしれない。
そう思って向かっていたが、無範に聞くまでもなかった。
廊下を歩いている笹山村さんを見つけたのだ。
彼女は図書室の入り口を通り過ぎる。
どこに行くのだろうと後をつけると、笹山村さんは僕らが出会ったあの日に彼女と僕が走った先――廊下の隅まで行き、壁に手をついてうなだれている。
出会った時の会話を思い出して、懐かしくも思ったが、とりあえず声をかけなければ。
「笹山村さん?」
「え? た、宝田君?」
振り返った笹山村さんは、泣いていた。
涙を流していた。
これはただ事ではない。
「何で泣いてるの?」
「宝田君、私……私……」
一瞬、ふわっと空気が動き、鼻先に何かが
そして、笹山村さんが僕に抱き着いてきた事に気づいたのは、彼女の頭が僕の胸にぶつかった後である。
「なっ、え?」
僕はどうすることも出来ずに固まったのだけれど、こういう時、どうすればいいのだろうか。
彼女の小さな手が僕のシャツを力いっぱい掴み、震えていた。
遠くに聞こえる昼休みの喧騒の音と、彼女の押し殺した涙声だけが、この場所にある。
そのまま数分。
笹山村さんが落ち着くのを待って、僕は彼女に聞いた。
「どうしたの? 大丈夫?」
返事はない。
全然大丈夫にも見えない。
泣いている理由を踏み込んで聞くのは躊躇われるが、それでも聞いてみるべきだろうか。
しかし、悩んでいる間にも時間は過ぎていく。
「私」
笹山村さんはそれだけを言うと、また黙った。
僕は静かに彼女の目を見つめて、次の言葉を待つ。
彼女は不意に目を伏せると、言った。
「宝田君。ここで話したことを覚えていますか? 私と初めて会った時の事。運命の話」
「あ、うん。運命の人がいたらって奴だよね?」
「はい」
笹山村さんは僕の顔を見ようとしない。
それは、何故だかとても寂しい気もした。
僕と笹山村さんは話した回数こそ少ないのだけれど、仲良くなれるようなシンパシーを感じていたのだ。
笹山村さんも、きっとそう感じてくれていると思っていた。
だけど、笹山村さんは次の言葉を口から出したときでさえ、下を向いたままなのだ。
「もし、運命の王子様がいたとしても。感じられる人が近くにいたとしても」
「え?」
「私、もう、好きだなんて、言えなくなっちゃたの。だって、私」
声は震えていたが、それっきり、笹山村さんは黙ってしまった。
涙が再びこぼれて落ちる。
やはり、放ってはおけない。
何があったかは分からないけれど、きっと僕にも何か出来るはずだ。
僕は特別な存在なのだ。
こういう時、特別な存在の人間ならば、きっと何か行動を起こすはずなのだ。
それを信じて、僕は笹山村さんに携帯電話を見せる。
「携帯電話。笹山村さんも持ってるよね。僕の番号、登録して。メールアドレスも。僕も笹山村さんの番号登録するから」
「え? あ、はい」
笹山村さんは自分の携帯電話を取り出して、僕の話を聞く。
僕は、必死に自分の気持ちを伝えようと、喋った。
「何があったか知らないけど、力になるよ。困った時は、いつだって連絡して。絶対に助けに行くから」
「……うん」
笹山村さんの肯定の声と共に、ポチポチと携帯電話の小さなボタンを押す音が響く。
そうして僕のアドレス帳に笹山村さんのアドレスが加わる事になった。が、しかし。
僕が笹山村さんを連れて教室に帰ると、さらなる混沌が僕を待ち受けていた。
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