第15話 船の食堂
「ったく……弱いなら呑むな、阿呆」
「よ、わく、ねぇ……あん、た、つよ……」
「お前、ワイン一瓶も開けてないだろうが」
自分が酒に強いという自覚はある。特にワインは好きだということもあり、3本や4本は平気で空けられる。比べる気はないが、瓶の半分も飲めなかったガルドは、どう考えても酒に弱いと言って差し支えないだろう。まあ、酒好きというわけでもないようだから、別にかまわないだろう。
実を言うと、エルフには酒精を抜く魔法がある。あまり使わないのだが、記憶が戻った今、どうやらアルコールの分解速度を速めているらしいと気がついた。ちょっと試したいところである。だが、意識のないガルドだが、きっちりと反論はしてくるのが面倒である。もしそんな魔法があることを覚えられたら、少なくとも船に乗っている間は要求され続けるだろう。それは面倒この上ない話なので、お断りである。ということで、実験もお預けだ。
とりあえず、部屋までは問題なく案内してくれたので、何か言っているようだったが放り込み、水差しの水が古くなっているようだったので、浄化魔法を掛けておく。味がよくなったりはしないが、殺菌するようなものなので、とりあえず腹を下したりはしないだろう。酔い潰れたことを伝えておこうかと、続き部屋のクレイートに声を掛けた。
「ああ、また酔い潰れましたか。面倒ですね、下戸のくせに味がわかる人は」
「違いない」
同意したセラスは、勧められるままにソファへ座った。もう一つ反対側にも部屋があり、子供たちとダスクはそこで眠っているらしい。子供たちを寝かしつけるために寝たふりをしていたらしいが、いつの間にか本気で眠ったということだった。さっきもそこそこ眠っていた気がするのだが、まあ船の上であり、常に揺れているのだ。慣れぬ身であれば、それもあるだろう。
「とりあえず、騒がずにいてくれたことには礼を言おう。――助かった」
「ああ――騒いだところで、何の利もありませんから、礼を言われるようなことではありませんよ」
騒いで話を終わらせるよりも、それを種として芽吹かせた方がいい。そう判断しただけだとクレイートは嘯いた。流石に商人らしい物言いだなとセラスは苦笑する。そしてその裏で、どこまで説明したものかと考えを巡らせた。
ダスクのことは、奴隷上がりの従者と説明してある。その正体が
「子供たちは、そういうものを見抜くんです。ずいぶんと、助けられてますよ。ガルドを雇ったのも、子供たちが懐いたからですし」
それにしたって、とセラスは半眼になる。が、……困り切った顔の犬を思い出して、無理もないかと飲み込んだ。子供が好きではないようだったが、なかなかどうして世話焼きは板に付いていたようだった。そもそも、子供は本質を見抜く。その上で怯える場合はどうにも出来ないが、懐いたならまあ、どうにか出来るのだろう。
「……鵜呑みにしないでくれ、後が怖い。何をやらかすか、わからないからな」
「? 大丈夫ですよ、あの方なら……」
「いや、ガルドと同じ意味で頼む」
「…………」
クレイートは口を噤んだ。どうやら意味が通じたらしいと、セラスは安堵する。そう、彼が子供たちに危害を加えるとか、そういう話とはまた別である。あまりにも、世間を知らなさすぎるのだ。犬に戻ったとき、取り繕うこともせずに子供たちを守ったというそこは評価に値するが、しかし世間を知るなら、その場から姿を消すべきだったのだ。それも、出来ればクレイートが気付く前に。もし彼の他にも誰かがいたなら、そこから騒動が起きていただろう。
「……迂闊でした。そう、ですね。確かに、まずいですね」
「――そもそも、ダスクを
「え? ……違うんですか?」
「ああ。あいつは
それで済ませようかとも思ったが、自分ならそこは流石に気になるし、子供たちも眠っているし、ガルドが起きてくるとは思えない。だから推測であることを伝えた上で、その異質さについても軽く説明しておいた。まあ、船旅が終わったら二度と会うことのない相手なのだから、関係はない。
「ああ、それとガルドなんだが」
「はい?」
いきなり話を変えられて、クレイートが戸惑う。だが今のうちに言っておかないと後で恨まれそうなので、とりあえずは口にしておくべきだろう。
「ここにいなかった間、甲板での警戒に当たってたんだ。協力して
「え……
「あ、ああ」
思わぬ食いつきに、セラスは思わず身を引いた。今なら食堂にあるし、たぶん明日からもしばらくは食材として出てくるのではないかと思うが、大きさがわからないのでそこは何とも言えなかった。そうしてついついダスクには次の機会もあるからと料理を出してしまい、そこへ子供たちが起きてきて、当然のようにダスクも目覚め、……結果。
「いやー…ほんとに速ぇのなんのって、信じられなかったぜぇ、この目で見ててもよぉ……」
「けどよぉ、信じられねぇのはこっちだろぉ? 旨いんだぜ、魔物なのによぉ」
「人食いの魔物は不味いって聞くけど、これ旨いなぁ……」
食堂に逆戻りとなったセラスである。いい加減に満足するだけ食べたので、正直なところは眠りたい彼だが、言い出せなかったのだ。
クレイートは見かけに似合わぬ大食漢だったらしく、ダスクと二人で大皿料理を平らげている。ダスクには下手に喋るなと言い含めておいたので、静かなものだ。子供たちはまだ眠いのか、そこそこ大人しく、セラスが取り分ける小皿から食べたいものだけを選んでいた。セラス自身はスープを飲むだけだが、なかなかと出汁が出ていて、悪くない。何より、日が落ちた船の中は暖炉が焚かれていても寒いので、暖かい汁物が有難かった。
聞こえてくる会話からすると、ガルドたちが仕留めた
「確かに、速かったですね。……今はそこまででもないんでしょうか」
「ああ、まあさっきほどじゃないな」
言いながら、セラスは思う。あの速度の船の中で、よくもあれだけの料理が作れたものだと。確かにどれも手が込んでいるわけではないが、あの量である。同じ事をやれと言われたら、自分なら拒否するだろう。
「これ、
「あー……あれはまあ、人食いというか……調理人の腕にもよるだろうけど」
たぶん、とセラスは答えた。狩人たちが言うのは「肉を食う獣は不味い」である。熊などでも果物を好んで食べる種は臭いが少なくて、簡単な下処理で食べられるらしい。鳥なども、基本的には狩りをしない種は旨いのだとか。だから
「そういう理由なんですか?」
「実際がどうだかは知らんがな」
へえ、とか。言われて見れば。とか、何故だか離れた席からも聞こえてきて、セラスは内心で顔を赤くした。ただの経験則で、なんとなくそうだろうと思っているだけで、証拠も何もないのだ。下手に話を広めないで欲しいところである。……何より、当て嵌まらない獲物もあるのだから。
眠気と闘いながら子供たちの相手をしていたセラスだったが、食堂にいたのは幸いだっただろう。船長が訪れて、今後の行程を説明していったのだ。
ひとまずは予定通りの航路でカミルレ港へ向かうらしい。ただし日数は予定の半分で行くということになった。どうやら彼らを引き離すため、諸島群での実習を諦めたようだ。乗客はそのほとんどが商人らしく、日程が縮まることは何の問題もないと歓迎されていた。
セラスとしても問題はなく、むしろその後をどうするかで悩むことになった。そもそも、ブリティーオ王国を一通り回り歩いてからクライド運河を下ったのだ。
「セラさんは、この後――どこへ行くんですか?」
「ん、私か? 特に決めてないが」
「え?」
「船に乗りたかっただけだからな。言っただろ、勘違い野郎がいるって」
ああ、とクレイートは頷いた。車のないこの世界、追っ手を振り切るなら、船が一番手っ取り早いのだ。
手にしていたスープを飲み干したところで、セラスはここから先を考えた。
そもそも、今いるブリティーオ王国は島国だ。他へいくなら、カミルレ港から先、また何かしらの船を探す必要がある。時期的には冬が近いから、北洋航路を往く船はない。……無事に往く船は、まず考えられない。
大陸へ渡るならノルウェギーオへ向かう航路が最速だが、そこは北欧神話の本拠地だ。
そうなると、いっそ内陸部を抜けて、西端からフランツィーオ共和国へ行ってしまおうかという気にもなった。彼の国は通り抜けただけで、あまり楽しんだ覚えがない。あのころと同様、料理も発達していた。彼の国からの船は料理を楽しむためだけに乗る放蕩者がいるほどだ。料理と言えば、多国籍どこもかしこも取り込んで昇華させる奇人だらけの故国はなくなってしまったのだろうか。
(……まあ、完全に大陸に呑まれてるからな……)
海の底か、隆起した大陸に呑まれたかは定かではないが、確実なのはすでに陸地がないと言うことだ。それに、それらしい国の名も聞いたことがない。記憶を封じていた間のこともしっかり覚えているし、そうでなくとも旅券には行った国の名が残るから、まあ残っていないのだろう。他にも消えてしまった国もあるだろうし、調味料類が残っただけでもよしとするしかない。…正直なところ、国自体にはさほど思い入れもないし。
「……そうか。フランツィーオか」
ふとこぼれた言葉は、口にした料理のせいだ。何処の料理家はわからないが、…正直、あのころの日本を思い起こさせる味と見た目だ。少なくともブリティーオ王国でお目にかかることはなかったと思う。この国の料理は、あのころ同様微妙であった。菓子や軽食は見た目も素晴らしく味も文句の付けようがないものが多かったが、やはり首都を離れるとそういうものも減ってしまい、結果としてセラスはあまり、食べてこなかった。
だが、フランツィーオ共和国なら。今もまた料理で名を馳せる彼の国なら、期待出来る。
「大陸へ渡られるのですか?」
「いや、決めてない。ただ、前に行ったときは通り抜けただけだったからな。料理を楽しむのも悪くないかと思っただけだ」
しかし、魔物を忌避する国も少なくないのに、客に提供する料理にしてしまうのだから、なかなかどうして、あの船長も剛の者だ。この船がフランツィーオへ行くのなら、乗客として楽しめるかも知れない。
「ああ、確かに彼の国の料理は美味しいですね。……
「……
島国であるが故の魚食文化で、今もやはり根強く残るらしい郷土料理――
「パイ料理が美味しいんですよ、この国……なのにどうして、屋台にないんでしょうね……せめて、せめて鳥の唐揚げを……」
「いいよな、唐揚げ……揚げ焼きでいいから食べたいよな……パイかぁ……あれはパイ焼き窯がいるからなぁ……」
店を構えるのであればともかくも、屋台でパイ焼き窯を備えようというのは、あのころの祖国でしか出来ない真似だろうとセラスは思う。だがせめて、鳥の唐揚げや素揚げくらいは出来るのではないだろうか。そう考えて幾度か屋台で頼んで見たものの、材料として持って行けば小遣い稼ぎにとやってはくれるが、その後に定番化したという話は一度も聞かなかった。今後もきっと、聞かないのだろう。
「――クレイート。そろそろ部屋に戻った方がよさそうだ」
ふと視線をやった先、子供たちが目を擦っていた。セラス自身もかなりきつくなっているので、そろそろ本気で寝たかった。
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