第14話 怪海蛇(シーサーペント)
「おい、何が起きたんだ!?」
「わからん、あっちの船の帆がいきなり落ちた。とりあえず、動けない奴は船室に戻した方がいい」
ガルドが声を掛けたのは、船を見回るうちに顔見知りとなった数人だ。それぞれが頷いて己の主に、またその主から他の乗客にと情報は伝わって、大半が船室へと入っていく。甲板に集まったのは、護衛だったり傭兵だったりの腕に覚えがある面々だ。帆が落ちた瞬間は見ていなくても、護衛船が次々と障壁を張る様は、流石に皆の目にとまっていたらしく、隊列を崩しつつある船のそれぞれに険しい視線を向けている。
「――何があったら、こうなるんだ?」
ぼそりと呟いたのは、兵役で水兵を経験したことがあるという傭兵だ。軍隊では非常に規律厳しく、よほどのことであっても戦列を崩さない。特に船は、他の進路を遮ると海の藻屑と成り果てるので絶対だ。
「海賊じゃなさそうだし、海魔獣じゃねぇか?」
「にしたってありゃぁ……ひでぇぞ」
遠見の魔法で確認したらしく、そんな声も聞こえていた。ガルド自身は船に詳しくないので、護衛船が何をやっているのかは分からない。ただ、また帆が一枚、落ちたことだけは目にとまった。
「……船の帆ってのは、あんな簡単に落ちるもんなのか」
「んなわけねぇだろ。あれは「ガルド!」
ガルドの義民に答えようとした声は、手すりを跳んで階段を飛ばしたセラスによって遮られた。
おわ、とガルドは驚き、ひゅう、と護衛たちの中から口笛が響く。
「ってセラスかよ脅かすんじゃねぇよ!?」
「悪い、急ぐんだ。十分後にそこの船の間を全速ですり抜ける。海魔獣が出るかもしれないが、威嚇だけで放置するよう、皆に伝えてくれ。あと、振り落とされるなと」
「は? すり抜けるって……おい!?」
「いいな、十分後だ! 戻らないから振り落とされるなよ!」
叫びながらひょいひょいと、セラスはマストを登っていく。見張りに立っていた水夫が入れ違いに降りて来て、声を張り上げた。
「みなさん、聞いて下さい! 今から高速航行に入ります! 飛ばされないよう、柱などに捕まって下さい!」
セラスとの会話が聞こえていた数人は頷き、風で聞き漏らしたであろう者たちに声を掛けに向かった。わけがわからないまま、ガルドも声を張り上げる。
「海魔獣が出ても放置してくれってことだ! ヤバそうな奴だけ威嚇でいい! 当てないでくれよ!!」
そうして、セラスを見上げたガルドは、ゆらりと身体が浮いた気がした。いや、実際に身体が揺れたのだろう、足は
「魔法が解かれたぞ!?」
「違う、魔素が消えたんだ! 全員、床に貼り付け! 大規模魔法が来るぞ!」
魔法使いたちは口々に警告を上げつつ、手近な者で理解が追いつかない者たちを強引に伏せさせた。数人の戦士はその意味に気付き、これまた無理にも伏せさせる。呆気にとられたガルドだったが、これは水夫に促されて床に伏せさせられた。そしてセラスがやろうとしていることを聞かされて、愕然となる。
「無茶にもほどがあんだろ、それ!? そこまでやらせる必要あんのかよ!?」
「本人が言い出したそうですよ。エルフですし、勝算はあるんでしょう」
魔法使いでもある水夫は、それをよく知っていた。彼らエルフは人間の魔法を使いこそするが、果てはあるのかと言うくらい、気軽に使う。日常生活しかり、船上生活しかり――むろん、戦場であっても。一流であれば人間でも出来る強制制御魔法を、彼らが使えないはずがない。そう告げて、どこか悔しげな顔のまま、船尾を向いた。
「おい?」
「後方からの不意打ちに注意を! 無理に動かないで! ――
「「
「――
「
速度が上がった船に、後方の船から網が放たれていた。障壁が船尾の舵を守り、幾重にも切り裂かれた網は風に流された。海へと沈んでいくそれに呆気にとられていたガルドだったが、見事な同調、連携を見せた魔法使いたちの視線は、一人の男――魔法使いらしくない、一人の男に注がれていた。網を重くして、海に沈めた魔法使いだとガルドが知るよしはなかったが、……なんとなく、そうだろうなと予想は付いた。網の沈む速度は、あまりにも速かったのだ。
「……まあ、下手に浮いてると、舵に絡まれるので……あり、なんですけどね」
「ほっといて、あの船に絡むのを待ってもよかったよな?」
しー、と口に指を当てられて、とりあえずガルドは沈黙しておくことにした。やがて、彼らの後方――船の前方から赤い光が見えて、セラスがするするとマストを降りてくる。
「じゃあ、後は僕がやるので。行きますね」
水夫はセラスとすれ違い様に登り行き、セラスは甲板を一瞥しただけで船橋へと向かっていった。
なので。
「おい……なんか、来てるぞ?」
「ああ……来てるな」
白波を蹴立てて迫り来る、長い長い何か。海魔獣などと一括りにしていいものかと頭を悩ませる存在。巨大な海蛇――
「どうすんだよあれ!? 追いつかれるぞ!?」
「迎撃するしかないねえだろ!! 誰だ、重量増加魔法なんか使った奴は!?」
こういうとき、本来なら障壁魔法がものを言う。しかし、使い手は今、前方を注視していて、船尾に目を向ける余裕がなさそうだ。
そのせいもあるが、半分は八つ当たりである。たぶん、あの
障壁魔法は独特の波長があるらしく、魔物はそれを忌避することが多い。今も護衛船は障壁を張っているし、丸裸なのはこの船だけだ。だから狙うなら、間違いなくこの船だっただろう。だから彼らも軽口を叩いているだけで、本気で怒っているわけではないのだ。ただまあ、突然の出来事に付いていきたくないだけである。
「何言ってんだよ、威嚇だけでいいって言ったよな、オレ!?」
「
「なんでもいい、奴の進行方向に壁を張れ!」
年嵩の魔法使いのその号令に焚き付けられたかのように、魔法が一斉に放たれた。
「
「
「
え、と続くはずだった魔法士たちが、声の主を見る。それはやはり、重量増加魔法を使ったあの魔法使いだ。
「
「
魔法と悲鳴で土壁が破壊され、消滅させられる。けれど数瞬早く、
「
「
「
「
生み出された水流が
しかし、ガルドは勝ち鬨があがる甲板を冷めた目で見ると、船室へと踵を返した。そして己の船室に主たちがいないことを知り、セラスの船室を訪れて――先の状態になったのである。
「……そんなことがあったのか」
「あったんだよ! オレだって頑張ったんだよ! なのに、なのに……」
わかったわかったとガルドを宥めはするものの、…正直なところ、説教については自業自得だと思っている。相当に溜まっていたらしく、クレイートはすっきりした顔をしていた。セラスが止めなかったのは、嫌みな言い方をするでなく、延々と説教を繰り返すでなく、…あれもこれもと次々暴露されるその問題児っぷりに呆れたためだ。一応は慰めてやろうと食堂へ連れてきて、酒を奢っているのだからこれで手打ちとして貰いたい。まあ肴は、甲板で焼かれていた
(そういうことか。……うん、まあ……何事も経験だよな。蒲焼き旨いし)
甘めのタレは、恐らく醤油が素地だろう。船で作ったのか持ち込んだのかは分からないが、淡泊な魚であれば何にでも合いそうないい味だ。誰の仕業かはわからないが、地球再誕計画の中核に、食を重視した者がいるらしい。……でなければ、完全に海に沈んだ国の調味料など残るものか。似たようなものでいえばウスターシャーソースもあるが、同じ発酵物でも全く別物になっている。彼の国の独特の気候が育んだ菌とは別物なのだ。
ちなみにガルドには何も言っていない。そのせいもあってか、山盛りにされたそれは中々のペースで減っていた。気付いたらどうするかだが、これだけ旨そうに平らげた以上は、魔物を食べることへの忌避感も多少は薄まるだろう。好き好んでは食べなくとも、飢餓状態なり節約なり、必要なときには美味しく食べられる、その程度に……なってほしいだろうなと、クレイートを哀れむセラスである。主たちが気にしないのをいいことに、魔物肉一切に手をつけず、携帯食料で済ませる傭兵とか、質が悪いにもほどがある。セラスからしてみれば、ダスクと同類――いや、彼は魔物肉を食べさせていないだけだから、もしかしたら平気かも知れないが。
(食べやすさで言えば
そんなことを思いながら、セラスは
「お待たせっす、ハンペンっすよーっ」
「え!?」
皿に山と積まれて出て来たそれは、紛うことなき半平であった。
「どこから伝わったんだこんな
「あー、酷いっすねー? 漁師の間で昔から伝わってるっすー。内地では食べられてないみたいっすけどー」
周りの反応を見れば、躊躇いなく口に運ぶ者と手を出しあぐねている者と、半々のようだ。知られていない料理なら、この反応はないだろう。
実のところ、漁師町でもつなぎに使う山芋が手に入らないと難しい。さらに言うと新鮮な魚でなければ生臭くなるので、基本的には内地で食べられることはない。セラスは基本的に内地を巡っており、海辺を旅するということはあまりなかったので、出会う機会がなかったのである。
そういう理由で非常に懐かしく感じる料理を堪能していると、これまたガルドが手を出してきた。もちろんかまいはしないのだが。
「……お前なぁ。さっき、クレイートに言われてただろ……」
一言断れ、と。特に大皿で自分が頼んだものではない場合、同席する者に対してそれが最低限の礼儀だと、諭されていた。なるほどこれはあの説教も無理はないと納得である。しかも、苦言が聞こえていない。ここは一つ心を鬼にするべきだろうかと一瞬悩んだセラスだったが、まあ面倒なので放置することにした。恥を掻くのは当人だし、クレイートなら傭兵の礼儀云々を五月蠅く言うような輩には、そもそも合わせないという選択肢を採るだろう。
まあとりあえず、とセラスは小さめの竹籠を取り出して、料理をいくらか取り分けた。底には油紙で折った箱を並べてあり、その下にも一枚敷いてあるので、籠やそのほかが汚れる心配はない。籠自体は市場でも流通しているのだが、これは青竹を見つけたセラスが暇つぶしに作った一点ものである。こんな風に料理を持ち歩きたいときにだけ利用していた。
誰に持ち帰るのかと言えば、クレイートに貸し出したダスクにである。あの後で子供たちも目を覚まし、ダスクはこれ幸いと人の姿に戻ったのだが、…首が転がったのである。幸か不幸か、子供たちはそれに怯えず、どころか船に揺られて転がる首を追い回し、捕まえて、投げ合って、ダスクに返さないというはしゃぎっぷりを見せてくれた。セラスにも返そうとしない有様だったので、ちょうどいいとばかりに犬の姿に戻らせて(首は勝手に戻ってきた)、子供たちの護衛にと彼を貸し出したのである。
犬でありながら、非常に情けない顔でこちらを見ていることはわかったが、とりあえず知らぬふりをして、クレイートにはダスクの食糧ということで、港で買い足しておいた携帯食を幾つか、渡しておいた。もし彼の手持ちからも与えるようなら、その分は払うから絶対に請求してくれと約束もしてあるが、まあだからといって折角の珍しい料理を食べさせないという選択肢はない。布で包んで保冷魔法を掛けて、
その後は、切り身の
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