第9話 妖精の谷と猛々しき狩猟団②

「……ほぼ徹夜だったなー……」

 廃教会へと向かいながら、セラスは欠伸を一つ零した。結局、ほぼ徹夜したことになる。前日に宿で休めているから良かったようなものの、流石に楽ではない。疲労回復魔法refreŝigaをかけるかどうか、悩むところだ。


「む? …大丈夫か? 人は眠らねば死ぬと聞いたが」

「そこまでやったことはないから知らん。まあ一晩くらいは平気だよ。……あと、私はエルフだ。人間じゃないから、そこまでか弱くもない」

 記憶が人間だったころのものだから、事実のはずなのに違和感だらけという奇妙な感覚を味わわされてはいるが、己がエルフであるという認識は、記憶を封じていたころからあった。先の尖った折れ耳は純血エルフの特徴なので、間違いようがなかったとも言うけれど。


「ふむ、そうなのか。それはよいな、人間は確かに弱すぎる」

「ああ、便利だよ。食べる必要もないし、水に溺れることもないしな」

「ん? 飢えぬのか?」

「飢えるというか、空腹自体を感じないな。味覚はあるから、食べることは好きだが」

「ふむ。己と同じか」

「いや違うそれ違うかなり違う」

 妖精とは言え空腹を感じる以上、それは生命維持に必要な行為となっているはずだ。下手に耐えられて限界を超えたらどうなるか、考えたくもないから止めて欲しい。


「そ…そうか……食べられぬというのは、危険なんだな……」

 セラスの切実な訴えに、ダスクは引き気味に頷いた。何かを思い出したかのようなその呟きは気になったが、――それは聞かないことにした。聞き出して、吐き出させたほうがいいときももちろんあるが、流石にそこまでの絆があるとは思っていない。

 二人は無言で谷を歩いた。そこかしこでくすくす笑う声が聞こえたり、きらきら光る砂のような何かが目の前を横切ったりと何やら見世物になった気分だったが、まあ妖精とは総じて好奇心旺盛なものだからと気にせずにおく。ダスクはよほど気に入られているのか、その背に何かが乗っていたり、くるりと腹の下を回って顔に乗ったり、はたまた尻尾に絡みつかれたりとやられ放題で、つい笑ってしまう。


「お前、いつもそんな感じか?」

「む? ああ、遊んでくれと寄ってくるからな。別に拒否する理由もない」

 なるほど、とセラスは笑った。鬼火妖精ウィル・オー・ウィスプの正体は、一説では「洗礼前の子供の魂が天国へ入れずに彷徨うもの」だ。たぶん彼らとも、こうやって遊んでやったのだろう。天国を知らない子供たちにしてみれば、そんなところでいくよりもよほど楽しい暮らしだったかもしれない。

 そうして妖精たちに遊ばれながら廃教会へ辿り着いた。


「……うわー……」

「これは、また……」

 見事なまでの廃墟がそこにあった。ところどころが焦げているように見えるし、若しかしたら昨夜の雷とばっちりを受けたかもしれない。いやたぶんおそらくそうだろう。幸い、セラスの荷物は無事だった。目一杯に張っておいた障壁魔法Baroが効いたようだ。


「……見た目だけなら治せなくもないが、どうする?」

「……別に、このままでよいのでは?」

「そうか。……そうだな。………そうしたいが」

 半端な廃墟だ。子供たちがこんなものを知ったら、確実に探検しに来るだろう。けれどここにはもう、教会守チャーチ・グリムはいない。どころか妖精たちが住む谷だから、きっと二度と戻れなくなる。


「……壊していいか?」

 セラスが問いかけると、ダスクは不思議そうな顔をした。何故己に聞くのかと、そんな表情で。


「主の好きにすればいい。己はもともと、好きでここにいたわけではない」

「…そうか。そうだったな。――破砕魔法frakaso

 放たれた魔法は、一瞬にして廃墟を破片にし尽くした。もちろん目標として定められた、廃教会のみの破砕だ。掌サイズとなったそれに二度三度と重ねて仕掛け、砂利ほどの大きさになったところでとりあえず一息をつく。

 ダスクは呆れた目を向けていた。疲れているだろうに、ここまで念入りに破壊する己の主は、まだ魔法を続けていく。


強風魔法forta vento

 バラバラと木っ端が風に吸い上げられていく。何をするかと思いきや、谷の奥、鬼火の妖精ウィル・オー・ウィスプが誘い込んだ沼地へとそれらが風で運ばれていく。


「主。奴が泣くぞ?」

「沼を埋めたりはしていない」

 ダスクがその目で見に行けば、適当にばらまかれたことが分かっただろう。森の中へばらまいたところで、何かの弾みに見つかったら面倒なことになる。沼を埋めない程度に沈めてしまえと言う判断だ。そのうちに朽ちて消えていくだろう。墓を壊すのは流石に忍びなかったのでそのままにする。墓地が教会にしかないというわけでもないから、それは問題ないだろう。


「……骨は嫌いか?」

「好きな奴はいないだろう……」

 遠慮会釈のない彼をどうにか教育したほうがよさそうだなと、セラスは大きく溜息を吐いた。嫌いと言えば、と地下蔵があったはずの辺りを見る。煙が消えているところを見ると、どうやら燃えるだけは燃えたらしい。近づくとまだ暖かいような気がしたので、とりあえず凍結魔法frostigitaをかける。さほど長くは持たないが、まあ確実に消えてくれるだろう。こちらへは地動魔法sismoをかけて、内部を徹底的に崩しておく。空洞になったそこへは畑の土を持ってきて穴埋めにした。まあこれでも暴く物好きがいるなら、それはそれでかまわない。


「……なあ、ダスク。あの小屋……何か変な気配がするんだが……?」

「ん? …ああ、鶏小屋か。ヌシが戻ってきたかもな」

「ヌシ?」

「昨夜言った奴だ」

 ああ、とセラスは思い出した。確かに何か、鶏のことを話した気がする。……しかし、あれは鶏の話だ。こんな、自分が警戒するような気配を持っているはずがない。確か雌だとも言っていた――が、ちょっと、待て。廃墟となった教会で、こんな森の中で、飛ぶことも出来ない鶏がどうして生き延びられる? 例え外敵をダスクが追い払ったとしても、餌もどうにかなったとしても、……不老ではないし、子孫が残るはずがない。


「……どんな見た目だ?」

 嫌な予感を憶えながら、セラスは問いかける。うん、とダスクは首を傾げてからそれに答えた。


「不思議な奴だぞ。頭は鶏だが蝦蟇ガマガエルの身体を持っていてな。妙に臆病で、己にもなかなか姿を見せん。鬼火の妖精ウィル・オー・ウィスプが見に行って教えてくれた。己も言ったが、目を覚まして逃げて行ったな」

「頭が鳥で蝦蟇ガマガエルの身体……?」

「それから、あの小屋。奴が何かしたら、ああなった。元は木だ」

 示された小屋は、不自然に石で出来ているように見えた。融合か癒着か…いや、そのどちらにも見えない。石化魔法ŝtonigiをかければ近いものは出来なくも、と考えたところではたと気づいた。


「――コカトリスの雌じゃないかそれ!? 触ったら石化するぞ!?」

 コカトリスとは、七年を生きた雄鶏が産んだ卵を蝦蟇の雄が9年の間温めて生まれるとされる、石化能力を持つ魔獣の一種である。一般には尾が蛇になった鶏として知られているが、実はそれが雄である。文献によっては鶏蝦蟇がコカトリスで、鶏蛇がバジリスクだとか、いろいろな説があるのだが、魔狩人として出会ったことがあるものは鶏蝦蟇型で、視線による石化は食らわなかったから、それがコカトリスの雌なのだろう。だったと思う。バジリスクの特徴は視線による石化だが、少なくともそれは食らわなかったのだ。


「ほう、奴はそんな能力を持っていたのか。知らなかったぞ」

「……そうか……」

「主が気にする必要はないと思うが。今まで何事もなかったからな」

「いや、それだけじゃなくてな……」

 コカトリスは「泉を毒にする」というその危険性から、可能な限り駆除することが推奨されているのだ。性質が大人しくても、触れるだけで石化させる魔物である。しかも雌がいて繁殖が可能だとなれば、そんなものはとっとと駆除しなければならないという各国共通の認識のためだ。今は別に依頼を受けたわけでもないので知らぬふりは出来なくもないが、子供たちに万が一があるかもしれないと考えると放置もし辛い。

 

「主。あれはこの森の主で、臆病ものだ。人前にはまず出ない。何かあれば、とっくに退治されている。気にせずとも問題はない。それに、番はおらぬ。繁殖はせんよ」

「それは、そうかもしれないが……ん? いないのか?」

「雄鶏はある程度で絞められたからな」

「……そうか」

 鶏は適切な餌さえ食べさせれば、卵を産む。繁殖させる目的がなければ、雄は不要だ。そもそも鳴くし。だからそういう意味では、七年を生きた雄鶏がいたということは、けっこう珍しい。そこまでいくと、出汁は取れても肉が筋張って固くなる場合が多いから。


「ってちょっと待ておい。人がいるころに生まれたのか、ソレ!?」

『うむ。だから主殿が案ずる必要はないぞ』

「それはそれでどうかと思うんだがな!?」

 いったいどれほど長い間、放置されていたのだろうとはおもったが、セラスは諦めた。確か、コカトリスは不思議と「子供は狙わない」という性質があったはずだ。実は草食の魔物だし、よほどのことが無ければ襲わないというその話も、あながち間違いではない。少なくとも、ダスクに助けられた子供たちは大丈夫だろう。大人ならあんな小さい魔物をこの広い森から駆り立てる無謀さを知っているだろうし……自分が心配するようなことではない。…そう、決めた。決めないと無意味に悩みそうだった。

 どうにか振り切ったセラスはダスクと連れ立って妖精谷フェアリーグレンを出た。とりあえずの行き先は、ダスクの言う近場の村だ。妖精谷フェアリーグレンとは森でつながっているらしいので、彼が案内するままに進んでいく。街道から行くよりも森の中を突っ切った方がわかりやすいとはダスクの言だが、街道に出たことがないだけだろうとセラスが突っ込んだら、視線を逸らしていた。

 セラスは木の少ない辺りを選んで、草を払いながら進む。自分一人ならそこまでやらずに木の枝なりを使って進むのだが、何分にも素晴らしい毛皮の相棒である。餌を要求したことからうすうす気づいてはいたが、しっかりとした実体があるらしく、そこら中で枝葉を引っかけるのだ。どこかで手入れブラッシングをしてやりたいところだが、流石に犬に使えるようなものの持ち合わせはない。とりあえずはこれ以上酷い状態にならないよう、道を切り開くのが精一杯であった。

 それに反してダスクの歩みは軽い。教会から街道への道のりは自由に動けたが、村へ続く森の方はまったく入れず、そのせいで子供たちが迷っていてもなかなか助けられず、歯がゆい思いをしたこともあったらしい。だから楽しいのだと、浮かれてさえいるようだ。ここから出ると子供たちに会えなくなるぞと冗談半分に言ってみたが、それはそれで新しい出会いがありそうだから、問題ないらしい。


「それより、村はもうすぐのようだが、どうする? 己は犬のままがよいか?」

 見えてきた柵のようなものを指して、ダスクは問いかける。そうだな、とセラスは頷いた。


「犬の姿で頼む。喋るなよ?」

『承知した』

 ダスクからすれば、それはお安いご用と言えた。何しろこの主殿は考えていることがわかりやすい。読み取ろうとしなくてもほぼ、つたわってくるようなものなのだ。自覚がないのが不思議ではあったが、まあ何かあれば自分が表に立てばよかろうと、そんなことを考える程度には。

 人の背丈ほどの板で出来た柵に沿って回り込んでいくと、簡易ではあるが門が見つかった。ただ造りからして、森へ出る村人のための恐らくは裏口だろう。森から来たとは言え、流石にそこから入るというのは問題があるような気がしたが、櫓から不穏な視線を感じてしまっては、そもいかない。さて、と敢えて視線を無視し、表に立つ門番に声を掛ける。


「すまない。旅の者だが、谷を抜けようとしたら迷ってしまった。街道へ出たいのだが、こちらの村からは抜けられるか?」

「なんだ、本当に迷子か。いい年して情けない奴だな。領主様の許可があれば通してやれるが、今はそれどこじゃなくてな。今お前さんが来た道、逆に向かえば街道に出られるんだが、なんでまたこっちに来たんだ?」

「そうなのか?」

 思わずダスクに顔を向けると、「わふ」と首を傾げられた。たぶん門番からは見えないだろうが、呆れた目つきで。


「……でかいな。猟犬か?」

「いや、従魔だ。これは隷属の「従魔ぁぁぁぁっ!? あんたそれまさか黒妖犬ブラックドッグかっ!?」

「え」

 いきなり遮られて呆気にとられている間に、警鐘が鳴らされる。門はいきなり閉められて、厳戒態勢である。そして門番は引っ込んで、うんともすんとも言わなくなった。たぶん、いなくなったのだろうが。


『主。従魔の首輪というのは、欠陥品ばかりなのか?』

「いや……ほぼ完璧な制御能力を誇る逸品のはずだが……まあ、状況がわかるまで大人しくしていようか」

 辺境の村とか、そういうところであったらと思いかけるが、逆にその辺りは従魔に見張りなどをさせることもあるから詳しいかもしれない。大きな街まで三日という微妙な位置ではあるが、街道沿いにある街でこの反応は……ちょっと嫌な予感がする。セラスとしては、あの子供のことがなければ、この場で森へとって返してでも街道へ抜けたいところだ。

 案の定、次に門が開いたときには武装した男たちに囲まれて、連行される羽目に陥った。


「さっそくだが、その黒妖犬ブラックドッグを渡して貰いたい」

 領主の執務室へ通されて、いきなりである。どことなくあの若君に似たところがあるので、たぶんこれが親だろう。親が親ならとはよく言ったものだと、どこか他人事のようにセラスは思う。自分が何者だとかこの村がどんな村かとか、ぺらぺらぺらぺらとしゃべっていたが、右から左へと抜けていく。聞き流してすらいなかったので、満足げに笑われたときは、鳥肌が立ったセラスである。だがどうにかそれを隠して、口を開いた。


「……しばらく前から私が連れ歩いている従魔です。この森にいた魔物とは別ですよ」

 脳裏には、話に聞いたコカトリスを思い浮かべながら、セラスは否定する。まずいないと分かってはいるが、内心を見抜いてくるような間者に悟られないためだ。


「いいや、それが森の黒妖犬ブラックドッグだ。私の息子が持ち出した家宝の弓で弱らせたのだが、逃げられてしまってね。それを君が封じてくれたのだろう。いや、助かった。君のような慈悲深く賢い冒険者がいてくれるとは。まったく、息子の頼みとはいえ無償で引き受けてくれたとは有難い限りだ。しかしこの地の領主としてただ働きをさせるわけには行かないからな。これで引き取らせて貰おう。まったく、賢い冒険者は珍しいからな、本当に助かるよ」

 さて、とセラスは内心で溜息をつく。話はわかった。もちろん引き渡す気はないが、そもそも提示された金額は話にならない安値だ。首輪自体はさほど高いものではなくて、小さな店の一月分程度の実入りで買えるのだが、そこに従魔が加わると話は変わる。黒妖犬ブラックドッグは希少だが、その割に値は安い。それでも――そう、小さな村の年間予算よりは、高くつくだろう。言う気はないが、ダスクは教会守チャーチグリムだから、比べものにならない値がつくはずだ。



「……お話しは、それだけですか?」

「――むろん、それだけだ。ああ、礼金は君の口座に……いや、持っていないか。うん、仕方ない、小切手を渡そう。どこか大きな街で換金するといい。我が家からのものだと一目置かれるぞ」

 馬鹿にしたような視線で返されたが、内心でセラスは苦笑する。今時、旅をする者なら口座など持っていて当たり前だ。日々の雑費こそ日銭を稼ぐけれど、それにしたって最低限以上は預けている者は多い。この程度で馬鹿にしたつもりなら、人生経験が浅すぎる。この男、本当に領主なのだろうか。


「生憎と、この首輪は壊れ物でして。嵌めた当人以外の制御を受け付けないんですよ」

 首輪に填めこまれた石の中で、一際大きく目立つそれを指す。本来であれば従属の魔力を吸い込んで色を変える水晶がそこにあるのだが、今はそれではなく、蛍石が填めこんである。これは何もないと目立つからと、入手したときにつけてもらったおまけの品だ。これが嵌めてあれば、少なくともまともに稼働しているとは見做されない。取り上げられることもないからと言われていたので、いちおうの言い訳だ。効果があるかどうか、とセラスは危ぶむが。


「ほう、壊れた”従魔の首輪”で黒妖犬を従えたと。それは素晴らしい、ならば君ごと我が家に雇い入れよう! 息子の護衛をするといい、こう見えても伯爵家だ、根無し草のような生活とは比べものにならない待遇を約束するぞ!」

 にんまりと満足げな当主に、セラスは半眼になる。


(あ、やっぱり無理だったか)

 脳内変換が既定値だとセラスは理解した。つまりは何を言っても無駄な奴、とそういう判断だ。そうであれば、付き合う価値はない。


「断る。話がそれだけなら、これで失礼する」

「…なっ!?」

 一応は招かれた身だから一応は、と丁寧な言葉をと心がけていたが、もう必要は無い。何やらぷるぷるしている隙を突き、セラスは部屋を出た。扉を閉めると同時に障壁魔法Baroをかけて、扉に触れないようにする。更にそれを上掛けし、音を伝えにくくする。部屋に呼び鈴があれば、執事か誰かを呼ぶことは出来るだろうが、外の音は伝わらないし、中の声も聞こえないからそれでいい。ダメ押しにもう一つと考えたところで、声が掛けられた。


「おい、お前! 話は聞いたようだな、さあその腕輪を寄越せ!」

 喜色満面の子供の声――あの少年である。とりあえず答える前にダメ押しの魔法――消音魔法dampiloを仕掛けてから、セラスは振り向いた。ニヤけた笑みの少年は、どうやらここで待っていたらしい。子供の方は対照的に強ばった顔をしているが、従僕の見習いと言ったところだろうか。こんな村に生まれたばかりに気の毒なことだとは思うが、それはもうこの村の問題だから、自分が手を出す範囲ではない。……ただ、憂いを一つ取り除いてやるのがせいぜいだ。


「その話なら、断った。そうでなくても、黒妖犬ブラックドッグは素人に扱える魔獣ではない、止めておけ」

 セラスは淡々と事実を告げる。実際には教会守チャーチ・グリムなので危険性など皆無なのだが、相手がそう思っているものをわざわざ訂正してやる義理はない。まして渡す気はないのだから、そんな情報を与える意味もない。


「は? 断った? わがアロガン伯爵家の命令をか?」

 惜しい、とセラスは思う。アロガンツという発音であれば、まさにこの親子に相応しい意味であったのに。そう言えば、当主殿は家名を名乗らなかったことを思い出す。つまりは家よりも、伯爵であることが自慢ということか。伯爵家となると基本的には世襲だから、まあ偶にはそういうこともあるだろう。普通なら家付きの執事が諫めるのだが、それもまた自分に追従する者にすげ替えてしまえばいいだけだし、今までにも出会ったことはある。


「生憎、この国の民じゃないんでね」

 王族に連なる公爵家、重鎮である侯爵家と来て伯爵家はその下なので、よほどの功績がなければ国内であっても民間にその名が知られることはない。そして功績を欲するのは貴族として若い世代――男爵、子爵辺りだが、彼らは意外と人脈やら功績やらで名が知られていることも多い。その影に隠れて目立たない上流階級。それがセラスの認識だ。


「い、いいから寄越せ!」

 真っ赤な顔で飛びかかってくる辺りは、どうやらその辺りを理解はしているようだ。セラスは階段を降りながら分析する。何のことはない、ギリギリまでタイミングを見極めて、死角に入ったところで手すりを飛び越えただけである。


「……え?」

「あ、れ……?」

「お、おい奴は何処へ行った!?」

 階上の叫びを後に、セラスは近場から外へ出た。


『主殿? あれで良かったのか?』

「問題ないさ。”魔狩人”からその相棒を取り上げようとしたなんて話をしたら、恥を掻くのは奴らだからな。…挨拶させられなくて悪かったな」

『……いや。あれは、情けない。激励したし、それで十分だろう』

 何をしたやらとセラスは笑う。激励と言ってもただ尻尾で軽く叩いて来ただけなので、子供に通じたかどうかはわからない。けれど、ダスクとしてはそれで十分なのだ。そもそもが教会の近くで騒動を起こさないように、という意味で追い出していただけなのだから。

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