第8話 妖精谷と猛々しき狩猟団①
ひとしきり弄って気が済んだので、セラスはお茶を用意した。旅空にティーポットを持ち歩く気はないので、削った茶葉を入れて湯を沸かすだけの簡易なものだ。ゆっくりとそれを飲みながら、ふとセラスは顔を上げた。――墓地に相応しい、青い炎が幾つも揺らめいている。
(……死体を元にした
動き回る火の玉を見ながら、セラスはそんなことを考える。人魂の正体とされるそれらだが、この場合はどれが当て嵌まるものかと楽しげだ。
『今日は多いな』
「多い?」
『ああ、いつもほんの少しが迷い出て、それで終わる。主がいるからか?』
「ただのエルフだぞ、私は」
苦笑するセラスはふと、闇の向こう――
「流石に見えないが……何がいる?」
「……偶に来る奴らだ。そうか、暗い日々だ」
「暗い日々?」
「彼岸と此岸の壁が薄くなる日だ。奴らはいつも、そのころに現れる」
「――ああ、ハロウィンか」
首を傾げるダスクに、この辺りでいうならサウィン祭だと補足する。現地の民でなければ聞き慣れない言い回しだが、つまりはケルト民族に於いての一年の終わる日だ。十月三十一日で一年が終わり、十一月一日から新年が始まって、
(待てよ……サムハインは北欧神話の概念のはずだ。十月三十一日を挟んだ前後九日、日数的にはギリギリか。――その間に何か、なかったか?)
ハロウィンの魔物は町や村へと入り込む。サウィン祭では蕪のランプを生首に見立てて魔物を操り、街の外へ追い出すまでが流れだったと聞いたことがある。だがあくまでそれは当日の話であって、すでに丘が閉じているこの時期の話ではない。そんな違和感にセラスが考え込むと、ダスクが口を開いた。
「昔、主に聞かされたことならあるぞ。サムハインの間は外へ出るな、狩人に連れて行かれてしまうから、と」
「狩人? 確かに北欧神話に狩りは付きものだが……ああ、
セラスは笑った。ワイルドハントが始まるのは10月31日で、翌年4月30日までは終わらないとされていることを思い出したのだ。八本足のスレイプニルに跨がったオーディンが、魔物や精霊、遠吠えする犬たちを従えて駆け回る冬嵐の例え話だろうと解釈されていた。
「スレイプニルはオーディンを乗せ、光と化して天を駆ける。雷のような音が轟いて風が吹き、やがて耳をつんざくような音へと変わる」
一瞬だけ全てを浮かばせた閃光と、鳴り響く轟雷に、セラスは詠う。――記憶を封じていたころに、語り部もどきをやったこともあったなと思い出しながら。
出会さぬようにと家の中に籠もる人々には、雷光が見えなかったのかもしれない。或いは木々に空が覆い隠されて何も見えなかったか。暗闇を暴き晒す雷光は、何もないと言う言い訳を許さないから、人々はそれを恐れたのではないだろうか。
「魔物たちの足音や精霊の馬の蹄もまた、高く高く鳴り響く。黒き犬たちもまた加わって、劈くような吠え声を――…」
近づいてくる鬨の声、吹き荒ぶ嵐のような風の音。何よりも冷たい風が吠えるかのように響き来る。
「
迷いなく近づいているその轟音に、セラスは咄嗟に魔法を仕掛けた。続けて
セラスの緊張を、ダスクは呆れたような目で見ている。彼にしてみれば毎年のことなのだろうが、今は事情が違う。説明してやりたいところだったが、今はそんなことに割く余力がない。巨大すぎて距離感が狂ったか、すでにすぐそこまで近づいている。
「甘ィヨ、ダンナっ! そんなんじャ、奴ラの目は誤魔化せなィっ!」
火の玉が近寄ってきて停まり、それが石炭になり、
「さァ見てろッ! 一世一代の大舞台! 渾身のぉぉっ――「「「「「
ランタンから炎が上がり、燃え広がってセラスたちを囲い込む。一瞬の酩酊感の後、周囲は沼地へと様相を変えていた。
「――沼地に誘い込んだのか」
「おゥョ! なかなかやるだろ、俺様もォ」
ぐてん、と器用に空中にひっくり返る。どうやらこの
「そいつはさぁ、奴らにずっと狙われてんだョ。”谷”の住人だから手は出せなかったンだけどなァ? そいつ、気づいてもいなくてさァ」
「ああ…うん、今し方も暢気だったな……」
ゆらゆらと揺れる
「けどもゥ、そいつは”谷”の住人とは見做されねェ。奴らも堂々と手が出せる。……ま、だからこそお前ごと沼へ呼び込めたんだけどなァ」
旅人を沼地へと誘い込む悪戯者は、どうやらその特性たる迷わしの性質を上手く利用出来るらしい。
「さーてっと、せいぜい飛び回って奴らの注意を引きつけてやるからよォ、とっとと逃げな? 夜明けまで逃げ切れりゃ、あんたたちの勝ち。追いつかれたら負け。簡単だろ、”魔狩人”?」
「え」
「む?」
突然出て来た二つ名に、セラスは驚いた。――まさか妖精の間にまで知られているのかと。
同じくダスクも驚いた。己の主は二つ名持ちであるのかと。
「おィらは人里の隣人だからなァ。多少は噂も知ッてンのさ。いいかァ、”魔狩人”。朝まで逃げろョ。…いっとくが朝日が差すまでだからな、鶏とかとか使っても無駄だからな!」
ち、とセラスは舌を打つ。朝を告げる鶏の声で難を逃れる話は悪魔にこそ有効で、流石に
「ヌシ殿では代わりにならぬか?」
「そもそも無駄だッつー話ッ! お前、もうちョッと話聞けョ!? つーか奴は雌だろうがよォォォっ」
「鶏でもいるのか?」
「うむ、いるぞ。教会が飼っていたからな」
「ああ……「早く行けってばヨォ!? あッちが東だかんナッ!?」
悲鳴のような鬼火の声に、二人は弾かれたように走り出す。
「アーばヨッ、人間の世の犬!」
鬼火の明かりが彼らの背後へ遠ざかる。ダスクは犬の姿のままで浅瀬を走り、セラスは木の枝を利用した空中機動だ。足下が妖精の迷い沼とあっては、どこで足が取られるかわからない。故に速度よりも安全策――なのだが。
「
ぞくりと走った悪寒に従い、セラスは最大強度の障壁を背後に放った。直後、彼の周囲を光が抜き去っていく。光源は背後にあるはずなのに、目映さに視界が閉ざされ、確かにあったはずの支点を失って――バシャ、と派手な音を立てる。
「
水に踏み込んで体勢を崩しはしたものの、立て直せないほどではない。すかさず前方に向けて放った
(
探査範囲を前方に固定しつつ、セラスは考える。氷の道は途切れる前に凍らせて、時には滑って先へと進む。追ってくる犬たちはそこそこの速度が出ているようだが、とりあえずは馬の追っ手を遠ざけられているようだった。出来ればスケート靴が欲しいところだと内心で零しながら、氷面を蹴って枝を掴み、凍らせていない沼を飛び越える。追っ手の犬たちにそんな真似が出来るはずもなく、何匹かは沼に嵌まった。だがそれを確かめる余裕はなく、セラスは走り。
「…っ、
地を踏んだ瞬間に放ったのは、障壁を断続的に発生させる魔法だ。割られた瞬間に次の障壁が発生している強固な防御だが、セラスがエルフだから使えるようなもので、延々と発生し続ける障壁は魔力を遠慮なく消費していく。
それでも時間稼ぎにしかならないが、そうでもしなければ足を止める余裕は作れなかった。そこはすでに地面の上でその先は川、そこに佇む青白い馬――
水面に触れれば、その瞬間にあの馬の背に乗せられているだろう。そして川の深みへと引きずり込まれ、命を落とす。ただそれは、セラスが人間であったならの話。エルフの彼は呼吸を必要としないので、そうなったところで死にはしない。それはダスクも同じなのか、川へ飛び込む気はないようだ。だが一方的に背に乗せられてしまっては、背後の犬たちからは逃げられない。だから、とセラスはさらなる魔法を重ねて放つ。
「
特別な馬勒でのみ、
「落ちるなよ!?」
「あ、主は無茶をするのだな!?」
「いつものことだ!」
(いつもだと!?)
人の姿となったダスクは必死にセラスにしがみついた。何分その背は裸馬、両の膝で締め付ける以外のとっかかりがないものだから、かなり辛い。自分の足で走ろうと思わないのは、すでに奴らが追い迫る勢いで来ているからだ。
セラスもそこは同じ思いだ。どう見ても馬に慣れていないダスクを裸馬で走らせるとか、無謀にも程があると理解もしていた。だから無茶を承知で魔法を放つ。
「――
馬勒を変形させて、馬具の一式――鞍やら鐙やらの揃った状態を作り出すと同時に飛び乗り、馬を駆る。背後でバリバリと割れ続けていた障壁の音が消え、把握していた地形図も霧散して、セラスは己の魔力を使い切ったことを知った。
(大丈夫だ、動ける。まだ意識もはっきりしている。
造形魔法は制作者の意識があるかぎりは継続されるから、とりあえずは間に合ったというところだろう。後はとにかく馬を狩り、
セラスは何も考えず、ただ
「う、わっ……っ!?」
急停止の勢いを往なしきれず、セラスは地面に放り出された。どうにか受け身を取ったものの勢いは殺せず、五点接地とかいう空挺降下技術もかくやと転がった。流石にその衝撃は軽くなかったのか、
「助かった! また頼む!」
セラスの声にぶるるるると頭を振って、水の中へ姿を消した。ダスクはどうしてか、犬の姿に戻っている。さあ、と身構えたそこへ、八本足の馬がゆっくりと空から降りてきた。
「エルフの若者よ!」
次の魔法をセラスが口にする前に、大仰な声が辺りに響いた。身体にビリビリとくるそれは、まるで雷が通り抜けたかのようだ。スレイプニルの背に乗るはヴァイキング、けれどそれが出来るはただ一人。
「その黒い犬を引き取りに来た! 我らに怯えず媚びずされど身の程を知るその意気やよし! 古よりの
ダスクは身を低くして唸り、その意志を表した。
身の程、と呟いてセラスは口の端を上げた。そんなもの、知っていればそもそも神に、それも主神に喧嘩を売ったりするはずがない。それを予期して逃げていたから、報酬につられるはずもない。まして黄金の林檎とか、どう考えても争いの火種にしかならないものが褒美になるとか、神の考えは理解出来ない。
「さあ来るがよい良き猟犬よ!
オーディンの投げた荒縄はセラスに断ち切られ、地に落ちたそれは霧散した。
「おお、エルフよ! 愚かなエルフよ! 我が意に逆ら「
頭に響く声に、セラスは思わず怒鳴り返していた。会話が成り立つ相手ではないから聞く必要もない。そもそも最初から相手をする気はないし、気配もなく控えている犬たちも号令一下、飛び出せる体勢にしか見えない以上、こちらが引いて見せる意味はない。
「ならぬ! それは以前から我が目をつけていた
「それがどうした!」
セラスたちのやりとりに、当事者たるダスクは目を白黒させていた。
「待て、主。どういうことだ、それは?」
「まだ気づいてなかったのかお前は!?」
「我らヴァイキング、求むるは真に価値のある宝!」
無視された怒りにか、ドガドガと稲妻が地に突き刺さる。稲光が目映いまでに輝いて、響くその声すらも塗りつぶす。けれどセラスにとって――いや恐らく特撮慣れしている平和な国の出身者にとって、そこまでくるとただ
「――あれ「理解の足らぬ愚かなエルフ、我らが神の宝を手にするに値せぬ浅はかな者! 神の雷に消されるがい「
宣下が下される前に、周囲を眩しさが塗りつぶし、熱気が包む。まるで太陽のような光に、オーディンたちは飲み込まれ、消えてゆく。
「……消えた……? 主!? 奴は無意味だと――?」
「ああ、朝日としてはな。けど、眩しさと熱気は現実だから、霧を払うことは出来る」
本物の光炎には遙かに及ばないものだし、危険すぎて本物レベルでの再現は控えているが、レンズで集光した程度の目映さと、真夏の炎天下程度の熱気であれば、沼地の瘴気や霧を払うには十分だ。雷光操るオーディンや谷の霧が朝日を隠してはいないかと試しただけだったのだが、
「いょぅ、エルフっ! やりやがったなーっ♪」
黒いフードを被ったマントがゆらりと現れ、セラスたちの周囲を飛び回る。一人ではなく、複数――どうやら六人がいたようだ。面白いことに来ているマントは一種ではなく、黒糸とは言え刺繍が施されていたり、まるで絽で作ったかのように透けて見えていたり(と言っても中に何も見えないのだが)、袖の形も違っていたりとファッション性に富んでいる。皆が皆、楽しそうに嬉しそうに揺らめいていた。
「だからこの規模の惑わし術が使えたのか」
「そーゆーことっ! 流石にオレッち一人じゃ谷一つなんて無理無理ッ! ンでなーッ?」
コツンと小さな何かがセラスに当たった。見ればそれは、赤く光る石のようだ。確か本来は石炭なのだが、どうやら彼らも影響を受けているらしい。
「おィらからの選別だァィ。じゃあ時間がないからまたなっ! どっかで会おうぜ、黒い奴!」
バラバラバラっと他にもいくつかの石が転がった。光っているのはセラスにぶつかった一つだけで、ほかはたぶん、気をつけないと普通の貴石と見紛うだろう。そしてそれに気を取られているほんの少しの間に、
目を白黒させるダスクから、セラスは首にかけた小袋を取り上げた。その中に拾い集めた石を放り込み、またダスクの首にかけてやる。何処かの街で、もう少し丈夫な袋か何かに買い換えてやろうかなと考えながら。
「……主……これは、いったい……?」
「ん? ああ、あいつらはお前を心配してたってことさ。とりあえず、荷物を取ったら行こうか。ここは自由な妖精たちの棲処だからな」
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