第7話 チャーチグリム

 畑の世話を手伝ううちに、青年はぽつりぽつりと話し出した。己が番人であることと、人間ではないということの自覚はあったらしい。だが行く場所もなく、誰かが戻ってくるかもしれないからと、愚直にこの地を守っているのだと自嘲した。


「……そうか。ここはもう、誰も来ないんだな」

「だろうな。ここはもう、妖精の丘フェアリーズ・ヒルだ」

 それは、青年に頼まれて四方探索を仕掛けたからこそ、わかったことだった。朽ちた家――小屋のようなそれと、畑の残骸らしき開けた土地と。その辺りだけ、木々の生長は幾分遅かった。だが、…そう。木々が生長するだけの時間は、経っているのだろう。あの子供も、「教会」としか言わなかった。村があったことを知らないのだろう。彼が知らないと言うことは、その親も知らないはずだ。

 青年は、子供のことを憶えていた。一目散に木に駆け上った賢い子供だと。だから追いかけたのは、子供を街道まで送り届けるためだったらしい。その妹という少女のことも、なんとなくだが覚えがあるようだった。


「それで? お前は己を、どうするつもりだ?」

「お前次第だな。どうしたい?」

 問い返されて、青年はセラスに視線を向けた。しばらく静かに視線を合わせた後で、わからないと呟き、視線を外す。そうか、とセラスは呟き、作業を手伝った。実った野菜全てを取って、全てを抜いて、耕して。常人ならば不可能な闇の中、二人は黙々と作業を終わらせる。


「畑はこれで全てか?」

「ああ、これだけだ」

 そうかと呟いて、セラスは摘んだ蕃茄トマトを食べてみた。すっぱくて、けれど味は濃い。どうやらほぼ野生化しているようだ。


「美味いか?」

「ああ、私は好きだな」

 差し出してみるが、青年は首を振った。食べることは出来ないらしい。そんな彼に夜明けの光が差して、その姿が犬のそれへと変化する。のんびりと黒犬は歩き出し、また礼拝堂へと寝そべった。


「ここが好きか」

『いや、別に。気づいたら、ここにいた。子供たちは親の目を盗んで己に会いに来たから、ここで待ってた』

 教会守チャーチ・グリム。守り手であり、死の先触れ。親は関わることを厭うだろうから、子供たちは隠れて会いに来たのだろう。


「ここにいたいか?」

 犬はちらりと目を向けて、溜息をつくかのように目を閉じる。


『己を連れ出そうとした奴はいる。一度として、成されなかった。この教会そのものが己だから、不可能だと』

 だから今もここにいるのだと言わんばかりに、その尾が苛立たしげに床を打つ。けれどしつこいことを承知で、セラスはもう一度同じ事を問いかけた。彼の意思を聞けていないから。


『地下倉へは、入ったか?』

「地下倉?」

 思いがけぬ返しにセラスは首を振った。礼拝堂を覗いたら彼がいて、そのまま畑に向かった。貯蔵庫としての地下倉は珍しくないが、そんなものがあるなどと思いもしていない。


『来い』

 案内されるまま、セラスは礼拝堂へと入り、言われるままに絡繰り細工を操作して、祭壇を開いた。玄の記憶が怪しくて途中で手間取りはしたが、幸いにもセラスが知る、寄せ木細工の絡繰りと同じ法則で作られていたらしく、どうにか出来た。


「……この手の細工物は、必ず何処かが動くんだ。半分戻したり、全く違うところを動かしたり、いろいろあるけどな」

 感心したような、呆れたような黒犬に、セラスはそれだけ教えた。気になるのはこの西洋風の教会に、どうしてそんな極東の国の細工が施されたかということだ。いったいどんな文化交流が形成されているのか、問い詰めたい気分である。

 そこから地下へと潜り、真っ暗な中を二人は足取り軽く進み、やがて黴臭い部屋に出た。ひんやりしていながら、身体にまとわりつくような湿気が気持ち悪い。入り方はともかくとして、食糧の貯蔵庫などではないとはっきり分かる異様さの中、犬が青白く光る。


『ときどきここで、首を切られる者がいた』

 青白い光に照らし出されたものを見て、セラスは息を呑んだ。――屍蝋化した首、それが幾つも、並べられていた。辛うじて、問いかけの言葉を口にする。


「――ここ、は?」

『知らん。墓地ではないことは確かだ』

 犬はその尾で首を落とし、証明してみせた。少なくとも己が守る者には含まれない、連れて行きたいのならどうにかしろというメッセージだと受け取って、セラスは荷を探る。取り出した油は小瓶に一杯、本来は角灯ランタン用だが、まあ火付けの役には立つ。石壁に囲まれているから、燃やしたところで地上に影響はないだろう。ただ、完全に火が消えたかどうかを確かめる術がないことだけは面倒だ。そんなことを考えながら地上を往復し、薪を幾つかの井桁に組んで、その中に屍蝋を積み上げる。どう見ても数がおかしい気がしたが、もうどうにかなるものではないので考えないことにした。枯れ草を火口代わりに火を熾し、撒いた油から全ての井桁に燃え移ったことを確認してから来た道を戻る。しばらくすると煙は礼拝堂にも充満したが、他から漏れる気配もないから、類焼は心配しなくてよさそうだった。

 念のためにと少し離れた場所に留まり、時折風の魔法で空気を入れ換えてやりながら、セラスは犬に問いかけた。


「……なんで、あんなものを?」

『ああ。己の首が落ちることを気にしているようだったからな』

教会守チャーチ・グリムは、人の心を読めるのか」

『いや? 聞こえただけだ』

 どこか満足げな犬の様子に、セラスは溜息を吐く。どうやらこの犬、教会守としての性質に、黒妖鎖犬バーヴェストの性質――”首のない男”を取り込んでしまったようだ。ただ幸いにも見た目だけで、その恨みの性状までは取り込んでいない。これなら特に気にしなくても、問題はないだろう。


「この後の話をしようか」

 セラスはそう切り出した。犬はじっくりと彼を見て、やれやれと言った調子でその場に寝そべった。


『諦めの悪い奴だな』

「まあな」

 にやりとセラスは笑う。教会守チャーチ・グリムは、守人であると同時に囚人だ。それを連れ出すには、相応の何かが必要になる。彼にはもちろん、自信があるのだ。


『”服従の首輪”というものを、知っているか?』

「持ってるが?」

 教会守チャーチ・グリムの言に、荷から取り出して見せてやる。ふんと鼻を鳴らしただけなのは、見た目は様々で彼が知るものとは違うためだろう。共通するのは、要となる石だ。透明度が高いほどいいとされているが、今、セラスの持つそれには嵌められていない。


『使い物にならんな』

「ああ、効力もないはずだ。適当な石を嵌めれば、見た目は誤魔化せるから、これでいいだろう?」

『嵌められたものと同調し、要石にその魂を封じ込めて使役する、だったか。嵌められてやったことも一度や二度ではないが、全て石が壊れた。それと違って、全ての石がな』

 くっくと犬は笑った。セラスにとって、その結果は予想出来るものだった。チャーチグリムは囚人であると同時に守人だ。その存在は教会とその墓によって維持される。故に彼を服従させようと思うなら、教会そのものを服従させなければならない、それだけの話だ。ただ、とセラスは内心で首を傾げた。どうしてこの首輪の稼働方式を知っているのか、気になるところだ。


『自慢げに説明する奴は一人や二人ではなかったな』

 素知らぬ顔で寝そべったままの答えである。しかし、セラスはそれに応えない。そもそもこの壊れた首輪の稼働方式など知らないし、この場合はどうでもいいことだからだ。犬を誘って、墓地へと向かう。


「思い入れのある墓はあるか?」

『……そうだな』

 風化して、文字も読めない墓の前でチャーチグリムは立ち止まる。主の墓だ、と小さく呟いた。


『主は幼かった。己よりも先に死ぬはずはなかった。主が死したとき、この地を守れと俺は埋められた。あの木の根元には、己の骨がある』

「……ここに、いたいか?」

『いいや。良き主には一度として会えなかった。墓を守る者も一人としていなかった。――苦しかった』

 朽ちかけた墓と、巨木と化した木。タイミング良く、主に先んじて死ぬ犬。それだけあれば、理由など想像するまでもない。


『主は世界中を旅したいと言っていた。皆は笑ったが、己と約束した。いつか、旅に出ようと。…それが、適うか?』

 ふ、とセラスは笑う。それであるなら、己以上に彼を満足させることが出来る者は、いないだろう。だからその朽ちた墓から、埋め込まれていた赤い石を取り外す。傷だらけのそれは、恐らく尖晶石スピネルだろう。それを小さな小銭入れ――巾着袋に入れて、犬の首に掛けてやる。


「私はセラス。知らないだろうが、”魔狩人”なんて二つ名もあってな。……世界中、旅をして歩いている。だから逆に、何処かに留まったことがない。それで、いいか?」

『ああ、何の問題もない。己は、……何と名乗ればいい?』

 見上げてくる黒犬を見れば、それがどういう意味かは簡単だ。だから、セラスはその首に壊れた隷属の首輪を掛けて、簡単に答えた。


クロ

 パシン、と音がして、首輪が嵌まる。まるで元から付いていたような顔をした、赤い尖晶石を輝かせながら。


『……壊れているのではないのか?』

「そう聞いたんだが……」

 犬――玄は首を傾げながら立ち上がり、人の姿になって首を触った。そこにあるのは入れ墨となった従属の首輪とその石であると、下から見上げながら。


「……人前での人化は禁止な?」

「……仕方在るまい」

 玄の首はすぐに繋がるようだ。繋がってしまえば落ちたりはしないようなので、まあ町中へ入る前に人化させればいいだろう。だが首の入れ墨は犯罪者と誤解されるので、隠したほうがいい。故にとりあえずは、犬の姿のままで旅を続けることになった。


「あの子供たちに声だけ掛けていくか」

『子供?』

「迷い込んだ子供を街道へ追い出してやったことがあるだろう?」

『ああ、それなら何度もあるな。この森は隣村の所有地に続いているらしい』

 なるほど、とセラスは頷いた。子供たちが街道を歩いていた時点で、おかしな話ではあったのだ。もちろん、領主の息子が行くと言えば門番でも止められないかも知れないが、少なくとも護衛なり、後追いの大人が来るはずなのに、その様子は全くなかった。だが村の森へ続いているのなら、話は別だ。そちらから人目に付かないように来ればいい。そしてそれなら逆に、自分たちもその道程で村の近くまで行けるだろう。

 そう決め込んだセラスだったが、流石にすぐに出るというわけにはいかなかった。先に燃やした地下はまだ燃え続けているので、放置出来ないためだ。

 とりあえず予定どおり、一晩を過ごすことにした。礼拝堂なら様子見も出来て雨風凌げてと思ったが、風向きによっては非常に臭いが酷くなることがわかり、諦めた。まだしも墓地のほうが、教会が壁になってくれるのでマシである。

 子供が登ったという木は大きくて、枝も太い。やろうと思えばそこで寝ることも出来そうだ。流石に野獣の心配がないのにそこまでする気にはならず、その根元に荷物を積んで風除けの天幕を張る。が、野獣の心配がないのでやるつもりはない。寝床はいいとしても、竈が欲しかった。秋も深まり始めるこの季節、暖かい火は欲しい。

 とりあえずは、子供が逃げ込んだという木の下に寝床を作ることにした。障壁魔法Baroで範囲を決め、造形魔法muldadoで土から壁を作る。ついでに簡易な竈も設える。その様を玄は面白そうに眺めていた。


『土魔法の使い手が来ることはあったが、主殿は器用だな』

「そうか? 発想が違うだけだと思うが」

 散らばっている落ち葉を風魔法Ventoで集め、広く浅いその穴へと敷き詰めて、その上に寝袋を敷いたら、簡易寝台の出来上がりである。一人分にはかなり広いそれだが、指示されたわけでもないのに玄が空いた場所へ寝そべった。


『主殿は面白いことをするな』

「そうか?」

 あの頃でもやっていたことである。何しろ森の中を行くこともあり、当然そこでは野宿なのだ。簡易のテントなども持ってはいたが、張れるような場所が簡単に見つかるかというとそうでもなく、風が避けられる場所に落ち葉やら枯れ草やらを集めて、ということはよくあった。

 さてこの後はどうするか。やることはないしととりあえず、寝台に寝転がってみる。晴れた秋空には珍しく、雲が無い。あの煙がなければさぞ綺麗な空だろう。そんなことを考えていると、ちょいちょいと玄がセラスを突いた。


『……なあ、主殿』

「…セラスでいいぞ?」

『主殿。己は腹が減ったようなのだが』

 え、とセラスは目を瞬かせた。チャーチグリムは死霊が精霊化したものであって、何かを食べると言うことはないはずだ。しかし、戸惑ったような切ないような目で己の腹を見る玄の様子がどうにも演技とは思えず、とりあえず、と手に入れていた携帯食糧を渡す。ばくりと食いつき、咀嚼なしで飲み込んで。


『美味いな』

「いや味わってないだろう今!?」

『いいや? 小麦の味がして、美味かった』

「いや、確かにそうだが」

 犬の味覚は大味である。そしてこの携帯食料は、けして不味いものではない。しかし、美味いかと問いかければ、百人が百人とも「美味くはない」と答えるだろう代物だ。セラス自身も持ち歩いてはいるが、誰かに礼で渡したりするくらいで、自分が食べることは滅多にない。そこだけは空腹を感じない自分の身体に感謝している。


「……なんで、小麦の味を知ってるんだ?」

 玄は犬である、はずだ。犬は雑食であるが、基本的には肉を喰う。小麦の味がすると言えばパンのことになるが、わざわざ犬にパンを与える飼い主はいないだろう。


『主のお裾分けだ。腹には溜まらなかったがな』

「……そうか」

『ところで、主殿』

「ん?」

『腹が減った』

「またかよ!?」

 とりあえずもう一つ、渡してやる。ばくりとやはり一口で食べる辺りは、完璧な犬である。それを見つつ、セラスは決めた。次に腹が減ったといわれたら、狩りに行こうと――思った、矢先。


『主殿』

「早いぞおい!?」

『いや。たぶんまた腹が減ると思うのだ』

「……そうか」

 荷物と地下蔵の番を任せて、セラスは森へ入った。旅の途中はよく山菜を楽しむので、風呂敷っぽいものは持っていた。弓も持ち出したので、まあ何かしら狩れるだろう。幸い夜目は利くしまだ薄暗い程度なので、そこここに茸も見て取れる。ほぼ手つかずの様子を見ると、この辺りまで採りには来ないのか。それでも取り尽くさぬようにして、確実に食べられる茸だけを集めた。どういう理屈かはわからないが、この身体にも毒が効くことは、身を以て知っている。まあ神経が麻痺したところで呼吸不要の身体で死ぬことはないのだが、それでも毒が抜けるまで動けないという事態は御免である。幸いにも兎を見つけることが出来て、三羽を仕留めたところで暗闇になる前に帰路につくことが出来た。

 戻った教会の井戸は生きていたので、血抜きは楽だった。毛皮だけ剥いだ兎を見せると、玄は一瞬にして三羽全てにむしゃぶりつき、平らげて、満足そうに目を閉じた。セラスの心づもりとしては、うちの一羽で自分用にスープを作るつもりだったが、お預けである。寒くなってきたので、食事というか身体を温めたいという、その程度の理由ではあるのだが、どうしたものか。流石に食べ残された骨から出汁を取る気はない。


(とは言え、携帯食料と茸なぁ……)

 そもそもが携帯食糧は微妙な味である。茸は風味と食感が楽しい種類で、味はさほどない。兎の肉でスープが作れれば悪くはないが、それなし――水だけでふやかして、美味いものではない。それくらいだったから、丸かじりしたほうがまだ、食べられる。いや、食べたいのではなくてそもそも温かい汁物を作りたいんだが、あの頃だったらキューブのコンソメがいくらでもあったのに、と頭の中で堂々巡りが始まったころ、骨だけになった兎を囓る玄が不思議そうに問いかけた。


『主殿は、料理をしないのか?』

「いや?」

 セラスとしては、必要がないから毎食は食べないだけで、料理自体は嫌いではない。野外料理が中心だが、知人には好評だったので出来ると言っていいだろう。


『しかし今、塩すら振らなんだでは?』

「……」

 セラスは無言で玄の頬を引っ張った。


「人の分まで全部奪っておいてうだうだ言うのはこの口かぁぁぁぁっ」

「ひゃいんひゃいっっ『わ、悪かった悪かった主殿っ』」

 じゃれ合いと言うには少々、過激なスキンシップであったが、それに懲りたのか、この後の玄が、勝手に肉を食い尽くすようなことはなくなった。…食べ物の恨みは恐ろしいと、知っているらしい。

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