第10話 港町オンデート

「意外と見つからぬものなのだな」

「……意外か? 男と犬の組み合わせを探してるのに、男二人連れに気を回したりはしないだろう」

 無事に西端の港街オンデートへ辿り着いた二人の、宿での会話である。

 領主の追っ手が街道沿いに来るだろうことは想像に難くなく、こっそりと村を抜け出して森を戻り、妖精谷フェアリーグレンを抜けて山を越え、マン島を東西に貫く主街道を使ったのである。街の閉門には間に合わないだろうと野宿を考えていたセラスだったが、人間姿となったダスクは疲れも見せずに着いてきて、幸いにも閉門ぎりぎりに間に合った。道中で騎士たちとすれ違ったが、脇目もふらずに駆けて行ったので、関係はないかもしれない。

 まあ、ダスクがまた妖精たちに纏わり付かれたり、川棲馬ケルピーが己に乗れと催促してきたりはあったけれど、些細なことだ。


「買い足すのは携帯食料と調味料と……手品師の鞄iluziisto sakoは流石に売ってないかな……」

「いるじー……? 主、それはなんだ?」

「ん? ああ、知らないか。見た目以上に入る魔法の鞄だよ。手品みたいにたくさん入る、だったかな」

「ほう。便利そうだな」

「実際、便利だよ。ただ、質がいろいろあってな。一度買ったんだが、結局手放したんだ。…今度はもう少し丈夫なものが欲しいな」

 ”手品師の鞄iluziisto sako”というのは、実は商品名である。職人が心血注いだ業物から、小遣い稼ぎに魔法使いが作るお手軽お気軽な安物までさまざまだ。基本的には空間魔法を用いており、鞄の中が異空間に繋がっている。ただ、その異空間の維持には魔力などが必要であり、自力で補充出来る者以外は、定期的なメンテナンスが必要となる。安物だとその補充期間が曖昧で、ある日突然使えなくなったりもする。真面目なものが作った道具であれば、閾値を下回った瞬間に中身を全て外へ放り出してくれるのだが、そうでなければ中身ごと異空間に消えておしまいだ。セラスの場合は自力で補充していたのだが、うっかりと上限値を超える魔力を注ぎ込んでしまったらしく、中身こそ全て確保出来たものの、森の中で大荷物を抱えて途方に暮れたという黒歴史にしたい思い出がある。もちろん、彼にそれを話す気は無い。

 荷物の整理を終えたセラスは、ダスクを伴って街へ出た。日はすでに落ちているが、港街ならではの活気が満ちあふれている。

 まず向かったのは、船舶組合だ。無論、乗船券チケットを入手するためである。翌々日の昼に出る船だったせいか、ずいぶんと安く買うことが出来た。出来れば翌日中の船に乗りたかったが、出航自体がないと言われてしまってはどうにもならない。

 次いで、魔法具屋へ向かう。欲しかった性能のものはなかったが、”手品師の財布iluziisto saketo”が見つかったので購入し、ダスクに持たせておく。金銭よりも、携帯食料がメインに入るだろう。これの支払いは流石に桁が違っていたので、口座からの直接引き落としにした。ほとんどデビッドカードだなと懐かしくもどこか違う感が拭えないセラスである。

 軽く露店を見て回るが特に惹かれるようなものもなく、他の買い物は翌日に廻せばいいこともあって二人は適当な食堂へ入った。旅暮らしが長いせいか鼻が利くらしく、ついつい皿を重ねる程度には美味いとセラスは満足し、ダスクは夢中で食べまくっている。フォークくらいは扱えるんだな、というのがセラスの内心だが、彼に告げられることはない。


「意外と喰うのだな、主も」

「あー。普段は節制してるからな」

 何しろエルフである。食事を必要としないくせに味はわかるし、いくらでも食べられるという、本当に生き物かと突っ込みたくなるような存在である。故に普段は食べ過ぎないように節制しなければならない。主に、財布事情的に。今は潤沢に資金があるが、先の街のように手持ちが怪しくなると言う情けない真似は、したくないのだ。


「そう言えば、我も同じ部屋でよかったのか?」

「ん? 何だ、別の部屋がよかったか?」

 追加した品を受け取りながら、セラスは聞き返す。流石に元妖精ダスクを一人にするのは早いと思ったので同じ部屋にしてあるが、もしかしたら落ち着かないのかも知れない。それなら別の部屋を追加でとろうかと思っての答えだったのだが。


「いや。女を呼ぶなら一人のほがっ!?」

 ほぼ反射で、ダスクの頭に拳を落としていた。ごいん、といい音が響いた気がするが、どうでもいい。主々と五月蠅いくせに、いきなり何を言い出すのかこの元妖精は。


「さ、さきほど我に話しかけた女にっ!?」

「お前があっさり乗ろうとするからだろうが!」

 これまた反射的に後頭部を掴み、机に叩きつける。ごん、と響きはしたが、平面と額のことなのでさほど痛みはないし、もちろん加減もしているから、注文した品々に被害が出ることはない。カウンターの向こうにいる亭主は慣れているのか、くっくと苦笑するだけだ。


「騒がしくしてすまない。何分、元の主があまり趣味がよくなかったらしくてな」

 ぐいぐいと頭を押しつけたまま、セラスは詫びた。嘘ではない。というか、恐らくはそういう扱いをされた奴隷もいたはずだ。まあそれとこれとは無関係だろうが、なんだこの俗っぽい元妖精は。


「そいつは災難だったな。まあ、立ちんぼはあんまり質がよくねえからな。酒場の方がよっぽど使えるさ」

 更に一皿を追加して、セラスはそれに舌鼓を打つ。ただの酒場と思いきや料理はかなり旨く、思わぬ掘り出し物についつい皿を重ねている彼であるが、ふと、亭主を見た。


「使うって?」

「気に入った娘がいれば二階を貸すぜ? ま、閉店間際まで待って貰うし、ヤバいことはさせねぇけどな」

 言われて立ち並ぶ女給たちを見れば、なるほど確かに胸を強調するような、少々あざといお仕着せだ。もしかして、あれが着られない娘は雇われないのだろうか。もちろんそれがいいという客もいるだろうが。


「残念だが好みの女はいないな」

「そうかい? けっこう美女を揃えてんだけどな」

「ああ、それは確かにな。目の保養だ」

 顔立ち自体は平凡な女たちだろうと思うのだが、化粧が上手い。下品に見えず、けれど素顔でもない絶妙の化粧術だ。よほどの化粧師がついているのだろう。ときどき変装しているセラスとしては、うらやましいかぎりである。

 それだけで話は終わったつもりで、またしばらく食事を楽しみ、一応は酒も嗜んでと時を過ごすうち、給仕の娘がぎりぎりを通るようになってきた。半分無意識で自然に避けているが、だんだんと鬱陶しくなってくる。もちろん、今までの経験からソレが何を意味するのかは知っているが、その気にはならない。亭主は忙しくつまみを作ったり料理をしたりで、声を掛けるのは憚られる状況だ。


「本当にいいのか、主殿?」

「……何ならお前が行くか?」

 ちらちらと女たちを見ながら真面目に問いかけてくるダスクに、セラスは銀貨を5枚差し出した。酒場の二階で1セットを楽しめる金額だ。店によっては半額くらいのところもあるようだが、釣りは出させずに女給ウェイトレスの取り分とするのが粋である。見た限りはダスクも粉を掛けられていたようなので、それくらいは小遣いとしても問題はない。まああんなこと首切りを見ているくらいだから、そういう知識もあるだろうし、折角の実体なので何事も経験だと、けっこう本気のセラスである。そして当然のように、それはダスクにも伝わっていて、彼は悩んでいるようだ。

 何を悩んでいるのやらと思いつつも、セラスは机の上の料理を片付けていく。全て空にして皿が下げられて食後の酒を飲む段階になってもまだ、悩んでいたので、流石に呆れた。


「お前は平気かもしれないが、私はけっこう疲れててな。はっきり言って寝たいんだ」

 昨夜はほぼ一晩中の騒ぎだったし、ろくに休まずに逃げて来た。食事はとりあえずの情報収集と精神的な疲労の回復であって、体力回復にはあまり影響しない。そんな中で誘われても、というのがセラスの心境である。あの頃は女に興味などなかったし、記憶がなかったころ……はまあ、多少は経験もしたが、その程度だ。漏れ聞こえてくる話からも特に追っ手が来た気配はないので、今日はゆっくりと眠れそうなのに、そんな面倒なことはしたくないとさえ考えている。そこはもう、そういう性格たちなのだろう。

 好意サービスで出された氷菓子を最後に、食事を終える。肉食獣の目がダスクを狙っていることに気づいていたので、セラスはさっさと席を立った。あれに巻き込まれたくはない。


「呑むなり買うなり好きにしろ。私は帰る」

「あ、主殿!?」

 店を出る前に亭主を呼び、心付けチップを渡しておく。慣れているのか、潰れるようなら宿まで運んでくれるとのことで、後を任せられたのは有難かった。まあダメならそのまま泊まりにされても何の問題もないのだが、一応は飼い主としての責任である。

 宿へ戻ったその足で、セラスは風呂へと直行した。別料金を支払うことで下着を買い上げ、湯上がり着その他は貸して貰える。旅人が多いための知恵らしい。湯船は広くて深く、薪を使って沸かしているらしい。やろうと思えば魔法で温度を調整することは出来るのだが、流石にそのためだけに魔法をかけ続ける、などという真似は出来ないようだ。


(ある程度時間を空けて数回……あー、男女で分かれるから最低二人か。それを銭湯のためだけに雇う……出来なくはない、か?)

 魔法使い一人を雇うだけなら、難しい金額にはならない。見たところは盛況なので、十分に釣りが出るだろう。しかし、魔法使い一人で果たしてこの広さの湯船を保てるのか、難しいところである。そんなことを考えながら、掛け湯では怪しいので丁寧に身体を洗い、砂まみれの髪を洗い、湯船に落ちないようしっかりと手拭いらしき布で巻いて、ようやく湯船に浸かる。強ばっていた身体が解れるような、どこかゆったりとする瞬間だ。うっかり眠って沈んでしまって後から来た客に驚かれたりもしたが、些細なことである。湯から上がった脱衣所の端に、冷蔵庫が置いてあることに比べれば。


「……氷式か……確か第二次世界大戦より前の代物だよな……?」

 密閉出来る木の箱に大きな氷を置いて冷やす、氷冷式の冷蔵庫である。確かにこれなら、魔法で箱を冷やすよりも長く持つし、飲み物を冷やすだけなら十分だろう。しかも中身は瓶に入った珈琲牛乳である。流石に紙の蓋ではなくてネジ式の硝子蓋だが、見た目はあの牛乳瓶だ。空き瓶を見てみると、どうやらフルーツ牛乳もあるらしい。杉で作られたらしき湯船がある時点で予想はしていたが、会いたいような、会いたくないような、複雑な感覚であった。

 とりあえず有難くいただくが、腰に手を当てたりはしない。何やらきっちり作法があるっぽかったが、あの頃も別に気にはしなかった。…したくなかった。する気はなかった。

 飲み干した瓶は籠へ、濡れたタオル類は回収用の籠へと放り込んで、部屋へと戻る。ダスクはまだ戻っていないので、どうやら相手を見つけたようだ。しかし、と寝台に潜り込んだセラスは呟く。


「あれは教会守チャーチグリムだよな……?」

 生い立ちを聞いた限りは、間違いなく墓守犬なのだが、あまりにも俗っぽい。俗っぽすぎる妖精グリムである。妖精というより妖怪と分類したい気分だ。……まあ、チャーチグリム自体が、墓地に縛り付ける守人を造る手段であり、その裏で何が行われているかは分からない。聞いていて気持ちのいいやり方ではないし、ダスクのような存在が出来てしまう以上は、消えてくれても良かった方法だ。彼は何を考えたのか――どこまで過去の再現を許したのか、それは自分のあずかり知らぬところではあるから、ただ、……そう、ただ単に、あれをチャーチグリムと呼んでいいのか、それだけの疑問なのだと無理矢理結論づける。


 ……だから、だろう。

 墓守となり、隠遁生活を送る自分などという奇妙な夢を見てしまったのは。


(いや……それが用意された未来だったのかもしれない)

 目覚めてから、セラスはそんなことを思った。瀬良蘇芳は、ミスティック・シンクタンクから逃げ出した。「全てを滅ぼしてやり直す」という彼らの思想と相容れぬから。表向きにはそうなっているし、それは事実だ。だがそれだけではない。それ以上に、用意された地位、約束された地位が厭わしかったのだ。記憶を持ち、地球を守るために暗躍する存在となる。現地調査フィールドワークをこよなく愛する瀬良蘇芳にとって、それは束縛に過ぎなかった。そう、まるで――墓守だ。全てを滅ぼして、その墓を壊さぬ為に見守る墓守。火付けマッチ火消しポンプにも程がある。そんなものをもし引き受けていたとして。…セラスは今頃、どうしていたか。


「一緒だな」

 セラスは笑う。しばらくはきっと、役目をこなしただろう。けれどきっと、長くは持たない。きっと今と同じように、世界中を旅して回る、そんな生活に戻るに決まっている。あの頃とは違う御伽話が現実となった世界で、閉じこもって見ているだけなんてことが出来るはずもないのだから。


「……いつ帰ってきた、お前は」

 とりあえず起きようとしたら、ダスクがいた。それも何故か犬の姿で、床に寝そべっている。だらしない寝姿は、さぞかし昨夜を楽しんだだろうと想像させるが、うらやましいと欠片も思わないのは何故だろうか。


(起こしても鬱陶しいか)

 遊んで来いと送り出したのが自分である以上、流石にそれをやってはまずいだろうとセラスは放置を決めた。宿の亭主には部屋の清掃を断って、街に出る。

 最初にセラスが入ったのは、パン屋である。目当ては携帯食料――ショートブレッド、所謂バタークッキーだ。日持ちがするそれは少々贅沢品ではあるが、味もいいし嵩張らないとあって、セラスのお気に入りのおやつとなっている。ドライフルーツを練り込んだものは更に値が張るが、そこをケチることはない。いろいろな店で少しずつ買って味を見て、気に入ったものを大量買いだ。肉屋へもよって、羊の乾燥肉ジャーキーをしっかり一抱え買っておく。これもまた、酒の肴になったりおやつになったりと、有能な食べ物である。傷薬や包帯も減っていたので補充しておく。セラス本人に使われることはまずない品だが、不思議と減っていく。それから、岩塩を砕いたもの。これは元から持っていた器に入るだけの量り売りだ。それから迷ったが、懐炉用に炭を買っておく。風邪などには無縁の身体ではあるが、寒いものは寒いのである。


(――自然発生とは思いにくいな)

 ふと、己が持つ懐炉のことを考えた。金属製で、中に炭を入れて持ち歩くことが出来るものだが、通気孔をあけたりと芸が細かい。あのころはベンジン油を使った白金式懐炉か、鉄粉式の使い捨てカイロが普及していたので、これはほぼ趣味人の間でしか知られていなかったもののはずだ。というかそもそも、江戸時代に流通した程度の骨董品と同じつくりなので、流石に偶然とは思いにくい。これも彼らの仕業なのだろうか。

 そうしてしばらく過ごしてから、いつの間にか昼になっていたので目に入った屋台で軽く買い食いをして宿に戻る。と。


「……主殿……」

 人間の姿に戻ったダスクが、恨めしげな顔で待っていたので、とんぼ返りの外出である。とは言え店に入る気もないので、屋台での買い食いだ。


「明日には出るのか」

「ああ。別に早朝とは思ってないから、行ってもいいぞ?」

「いや。……いい、十分だ」

 改めて渡そうとした銀貨は返されたが、それとは別にと小さな巾着を渡しておく。一応、何かあったときのための路銀である。流石にダスクの口座は作れないので、持たせておく必要があった。他の町で使える口座を作るには、それなりの身元保証が必要なのだ。

 屋台の主と雑談などもしながら、二人はけっこうな量を食べた。セラスはダスクに付き合っているだけだが、彼はまた遠慮無く大量に食べるのである。犬姿の時も食べていたが、まさかこれほど食べるとは思わなかったと驚いていたら、宿に帰ってから満腹でひっくり返ってしまったので、箍が外れていただけらしい。別に金銭的にはかまわないのだが、適当に加減するように厳命だけしておくことにした。

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