第2話 ”遺跡”②
「え、なに、どうしたの?」
膝を着いたセラスにかけられる、心配しているようで
(思い出すな、忘れたままでいろ――思い出すな……!)
目を固く閉じ、音を意識から追い出し、幾度もその言葉を繰り返し、繰り返してようやく、目を開ける。灰色の無機質な天板と、そこに埋め込まれた硝子のディスプレイ。キーボード。それから――
ああ、と漏れた吐息に涙が重なった。ダメだったかと、声なく呟く。遙か昔に己の記憶を封じ、彼らと関わらぬように”遺跡”を避けてきたことも、どうして記憶を封じていたのかも、全て、思い出したから。
「ねえ……君……?」
心配そうに話しかけた少女の頬が鳴った。もちろん、――セラスがやったのだ。
「何よ、いきな――」
少女はもちろん食ってかかったが、セラスが倒れるかのように安楽椅子へと身を預けたのを見て、それを飲み込んだ。彼の顔に浮かぶ憔悴は、いきなり頬を叩かれたことを換算しても
「……少し、休ませろ。強引な真似するから、身体がついていかない……」
「え? え、なに、なんで? 何が起きたのよ?」
「
自分が何をしたかもわかっていないらしき彼女に吐き捨てるようにして答えたセラスは、蘇った記憶に意識を奪われた。
『僕は、君こそが残るべきだと思うけどね、瀬良くん?』
話しかけてくる相手は、
「――私は、科学の最先端にいられるから、ここが好きなんだ。科学を封じた世界なんぞ、御免被るね」
『その割には、君がやるのって
ああ、そうだ。彼と何度も、そのことを話したはずだ。それでも諦めが悪くて、顔を合わせるたびに同じ話になっていた。当たり前だと、いつも答えた。科学の最先端――つまりは、未来に最も近い場所。そこに自分がいて、語り継げばきっと、御伽話は続いていく。
『まあ、”管理者”は君には合わないよね、どう考えても、研究所に落ち着けるタイプじゃないし。君なら、そうだねぇ……いろんなところ行くし、”統率者”がおすすめかな。転移装置が使い放題、らしいよ?』
「片道通行の転移装置なぁ……まあ、悪くはないが、まだ未確定情報だろう?」
『うん、そう。実現させるつもりだけど』
あっさりと言い切る彼に溜息で答える。実現の成否は、問題ではない。ただ自分が、その程度の興味しか持てないだけ。だから、と立ち上がって。
「――全てが滅びた世界に、何の意味がある?」
幾度目かの問いかけに、砂緒は顔を上げた。まっすぐな視線で射貫いておいて、彼は笑う。
『今度こそ、滅ぼさないことが出来るよ?』
「やり直しに興味は無い」
滅びが確定した未来。いつか来る滅びではなく、
彼がどれだけ思慮深いか、短い付き合いでも知っていた。だからこそ、その決断が覆らないことも理解していた。そこへ自分を誘うその意図だけは、受け入れられなかったけれど――たぶん、最高の友人だろう。
だから、転がした徽章に、全てが籠められる。
「持って行け。職員の推薦がいるんだろう?」
『いや、そうなんだけどさ。だから僕じゃなくて、君がね? ていうか外す必要ないからね、これ』
答えはわかっていたから、聞く気は無い。いつものとおり、旅支度も終えてある。だから最後に一言だけ、言い置くことにした。
「――仮に、だ」
『ん?』
「やり直すのではなく、過去に遡ってそれが出来るなら。…それなら、考えただろうな」
寂しげに砂緒が
『乗った?』
「どうかな。少なくとも、ギリギリまで悩むだろうよ」
ちびらを開けずに語るのは、万が一にも他の誰にも聞かれたくないことだから。
「滅びが確定したからといって、自ら呼び込む必要が何処にある? 滅ぼし尽くして作り替えることに、何の意義がある?」
『「
重なった声に、セラスはふと目を開けた。
見慣れない操作卓と、その向こう側で己を見る少女。砂緒と同じ答えを返した彼女は、まっすぐにセラスを見詰めていた。だから初めて、彼女に興味を持った。
「――お前は、誰だ?」
「イオラよ。あいつらから、この世界の管理者を押しつけられた、ただの研究者。…ねえ、大丈夫? 動ける?」
「ああ……なんとかな」
一瞬の親近感は掻き消えて、セラスは警戒を取り戻す。それが分かっている時点で、自分とは相容れない道を選んだ相手だから。どうして自分の名を知っているのかと聞きかけて、思い出した。先に仕掛けられた
「”魔狩人”セラス。――ずっと、そう呼ばれてる」
少女――イオラが口をへの字に曲げたところを見ると、意図は伝わったのだろう。信頼するに足る人物かどうか、あれだけでは判断出来ないのだ。
「……まあ、いいけど。こっちにも出てる……って、え、何これ? って待ってよ、下手に触らないでよ、何が起きるかわかんないんだからね!?」
慌てる彼女の声は遠くに聞いて、セラスは思い出した限りの操作を試した。この”遺跡”の詳細図はあっさりと表示され、逆にセラスが驚いた。機密に繋がるはずの通路すらもはっきりと表示されている。その奥に見つけたものに、思わず笑みを零した。
「え、なんで動かせるの?」
「作るのを手伝ったからだろうな」
とりあえず事実だけを告げておく。息を呑んで黙ったところを見ると、心当たりがあるのだろうか。考えながらも手は止まらず、やがて周囲が明るくなったような気がしてふと顔を上げた。いつの間にか銀幕と化した壁に、巨大な大陸図が映し出されている。どうやら、成功したらしい。
「――アメイジア大陸か。本当にやったんだな」
数億年が掛かるはずの地殻移動を人為的に引き起こし、一つの超大陸とした上で、新たな地球文明を築き上げるという”地球再誕計画”。セラスは過去、その一員として招聘された研究員だった。やっていたことは単なる
「え、うそ。なに、どうやったの? これ、扱える人がいなくて動かせてないんだよ!? ……ねえ、教えて!? 後でいいから教えてよね!?」
慌てる彼女を尻目に、地図には新たな情報が書き込まれていく。国境らしき線が追加されて、街を示すらしき点が現れて、街同士を繋ぐ道が表示されて、各地の名前が書き込まれたところで、セラスは幾つかの点滅する文字に気がついた。青と、緑と、赤の点滅。青は大陸中に散らばっていて、緑もそのようだが、数は少ない。一際目立つ赤い点滅は、位置からしてこの”遺跡”の場所だろう。手元の画面にも同じく示されていたので、その赤い文字に触れてみると、記されていた地名が薄くなり、代わりに別の文字が浮かび上がった。
「――<緊急司令所>か」
そういうことかとセラスは苦笑した。見覚えがあって当然だった。この施設を作ったとき、たまたま戻っていたものだから散々に協力させられたのだ。その見返りに、あの安楽椅子を入れさせたのだから、間違いない。それと同時に、あれだけ強固な幻影の理由も納得だった。万が一、ここを乗っ取られでもしたら――世界は滅びかねないのだから。
「――何、それ? なんで司令所が二つあるの?」
「予備施設だ。…知らないのか?」
「知らないよ!? むしろなんで知ってるのよ!? 君、セラスで間違いないよね? ほかの全部が
そうか、とセラスは地図を頭に叩き込みながらおざなりに答えた。
「”地球再誕計画”には、幾つかの段階があることは知ってるか?」
いきなり核心に切り込んだセラスに、イオラの顔が険しくなる。けれど気にせず、セラスは続けた。
「ここは初期に作られた実験施設だ。破壊するのも勿体ないからと、基幹司令所に何かあったときの予備として残されることになったうちの一つだよ」
「――何、それ。知らないよ?」
「なら、お前は後期からの参画者なんだろうな。統率者権限は、私もよく知らない。あと、
知っているのは、「転移装置が自由に使えるらしい」というそれだけだ。砂緒に聞けと言ってもいいが、彼の立場がどんなものか、わからない以上は伏せるべきだとセラスは考えた。少なくとも、あの夢物語を実装させたなら、それくらいは配慮しなければならない。――しても、いい。
彼女に着いていけば、会えるかもしれない。確か彼もこの施設の建設に携わっていたし、……あの植物愛好家のことだから、今もきっと同じ事をしているだろう。そこから辿れば、探し出すのはきっと、難しくない。
ふとそんなことを思いもしたが、すぐに切り捨てた。本来なら、自分はここにいるはずではなかった。その無理を通したのが彼かもしれないのだから、そこまでする必要は無い。思い出した以上は、いつか何処かで会うことになるだろうし、それまで放置するくらいの意趣返しは許されるだろう。
今は、……そう、今は会いたくない。
戻ってきた頭痛に顔を顰めながら、セラスは立ち上がった。
「ちょっと、その身体でどこいくのよ!?」
彼女の言うとおり、足が上手く動かなかった。それでもどうにか通路に乗って、一息を着く。命じるまでもなく、通路は動いた。行き先は、転移装置だ。だが、と己の腕を取ったイオラを見る。
「着いてくるな」
「ほっとけるわけないでしょ!? その状態で何処行くつもりよ!?」
「宿へ帰るだけだ」
「……え?」
程なくして停まった通路から、セラスは降りた。己を掴む腕をすり抜けるのは慣れたもので、彼女はまだ、そのことに気づいてもいない。
イオラが気づいたのは、筒状のドアの中へセラスが消えた、そのときだ。
「え。待って、ちょっと待って、それまともに動かないのよ!?」
立ち止まる気配すらなく、ドアは閉じられた。
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