07話.[苦労したくない]

 休日だから早く起きる必要もない。

 夏休みに登校していた人間たちはあくまで部活動に所属していた人間らしく、土曜日に登校しなければならないというルールはなかった。

 土日はなにもやる気が起きないのが常のこと。

 そして、なにもしていないと時間が経過するのが遅いというのも常のこと。


「街へ行こうにも親父が帰ってこねえ……」


 どれだけ仕事が大好き人間なんだよ。

 せめてゲームでもあればこの退屈な時間をつぶせるのに。


「お?」


 気配を感じたから見てみればただの野良猫だった。

 はぁ、布団の上から動きたいと思えねえ……。

 単純にこっちは冷えるというのも大きい。

 天気も悪いし、いい1日の始まりとはとてもじゃないが言えない。


「おい、なにだらだらしてんだ」

「え」

「鍵は借りっぱなしだからな、不可能ではないだろ?」

「そ、そうですね」


 え……目の前を通っている気配も音も聞こえてこなかったが!?

 あ、もしかして幻覚だろうか、来てほしいと考えていたのか?


「零奈」

「お、おう、ど、どうしたそんな積極的になって」

「いや……すみませんでした」


 なわけねえや、流石にそこまで参ってない。

 とりあえず来てくれたならと基地から移動して飲み物を提供した。


「今日はひとりですか?」

「ああ、ひとりだな」


 昴にだけ家に来なくていいみたいなことになっているのか。

 負担をかけたくないしと同じように言っておいた。

 来てくれるのはありがたいが、これが当たり前になってはいけない。


「寂しかったんじゃないのか?」

「そうですよ? けど、来てくれた後が余計に寂しいので」

「なんか男らしくないな」

「ひとりでこの大きい家と、この場所にいてみればわかりますよ」


 昔より自分で動かないと死ぬという現実が近い。

 それ以外は単純に暇すぎて精神が死にそうな点にあるだろうか。

 とにかく、歩けば食料だってゲーム機だって買える向こうみたいな甘さは微塵もないということだけは常に突きつけられている。

 風邪を引いたら終わりかもな、いやこれ冗談じゃなくてマジで。


「わかった、裕大がそう言うなら仕方がないな」

「はい、これまでありがとうございました」


 極端な考えしかできなくて申し訳ない。

 住むのが無理と言われたから来るのをやめろなんて言うのはな。

 まあ、これは一応相手のことを考えてのことでもあるから全て悪いとは言えないのではないだろうか。


「しっかし残念だな、裕大の作ったご飯を食べるの好きだったのに」

「飲食店にでも行った方が効率いいですよ」

「車があっても距離があることはわかっているだろー」

「はは、本当にここは不便な場所ですね」


 これから別れようとする恋人同士みたいな雰囲気。

 無理だとはわかっていても断られたときは虚しい気持ちになった。

 でもしょうがないよな、3ヶ月目に突入したとはいっても生駒姉弟と3ヶ月近く一緒にいるわけではないのだから。

 合計で2週間ぐらいじゃないだろうか、そりゃ断られる。


「さてと、帰るかな」

「はい、気をつけてください」


 なんのために来たのかなんて聞かなかった。

 見送ることもせず布団の上に戻って寝っ転がる。

 返されたスペアキーを持ち上げて、なんとなく眺めて普通に置いて。

 そんなことをした自分が気持ち悪すぎて布団の中にこもった。

 自分が来るなと言って相手が言うことを聞いてくれたというだけだ。


「なにをやっているんだか……」


 こんな感じで土日は楽しくない時間を過ごすことになった。




 相変わらず親父は帰ってこない。

 ただいまの状態だとゲーム機を買ったところで熱中できそうにはないから別に構わなかった、結局登下校だけで疲れるからな。

 乾は依然として昴が来なかろうが来てくれている。

 クラスメイトからもじろじろ見られることはなくなっていたため、地元のときと同じぐらい落ち着いた平和な毎日を過ごせているかもしれない。

 でも、このままなにもないと今度は暇すぎるというあれ。


「ねえ、今日駄菓子屋に行こうよ」

「お、いいねー」


 駄菓子屋……俺も行ってみるかな、場所はわからないが。

 嫌でも聞こえてくるクラスメイトの話し声はときどき役立つ。

 早く帰れるようになったことでそこまでせかせかしなくていいから適当に自転車で走り回ってみることに決めた。

 もちろん放課後までの時間は後に面倒くさいことにならないように真面目にやって、放課後になったら自転車に乗って探し始めて。


「お、こんな近くにあったんだな」


 中に入ったら懐かしい匂いと懐かしい品揃えだった。

 ただ甘いだけのコーラとか、小さい、大きいガムとか、お湯を入れたままならラーメン、お湯を捨てればペペロンチーノになるやつとか。

 食費として置いてくれてある金を使うのは少しあれだが、所謂大人買いというのをさせてもらうことに、これでも1000円を超えないのだからすごい話だろう。

 たった数十円のガムを食べながら帰っているだけなのに楽しかった。

 自分で想像しているよりも単純なのかもしれない。

 いまなら自転車の大会にだって出られそうなぐらいの勢い。


「さっきまでの高揚感はどこいった?」


 問題があるとすれば気持ちがすぐに変わることだろうか?

 いや、今回も家には無事に帰ってこられた。

 なのになんだろうか、この急に襲いかかってくる微妙さは。


「こんなに駄菓子ばっか買ってどうすんだ……」


 すぐに味のなくなるガム、1回飲めば飽きるような炭酸が抜けたようなコーラ、わざわざ湯を沸かすのが面倒くさい乾麺。

 家に帰ってから食べようとするんじゃなかった。

 子どもの頃だって現地で食べるからこそわくわくしていたというのに。

 ま、家事とかで忙しかったからほとんど行ったことはないが。

 飯を作る気にもなれなかったからさっさと寝ることにした。

 仮に夜中に起きたらそれからやればいいだろうと決めて。

 ……だが、起きたら6時だったときはかなり驚いたね。

 制服は着たままだったから慌てて自転車に飛び乗って坂を下っていく。

 今日は車が通ることも全くなくめちゃくちゃ飛ばしていた自分。


「いってぇ……」


 車が通ると速すぎて怖いと考えていた自分だったが、抑止力になってくれていたことを初めて今日気づいた。


「つか……あそこから落ちてよく生きてたな俺」


 軽く4メートルぐらいは上だぞ。

 しかも着地した場所は凸凹としていたところという……。

 周りには川、どうやって上がればいいのかがわからない。

 自転車は残念ながら前輪がひしゃげてしまっている。

 体は色々なところが痛えし、やっぱり見回してみても川だし。

 幸いなことは折れているとかそういうのがないこと、動けること。

 悪いが自転車はここに放置させてもらおう、持ち上げるのは無理だ。

 そしてこれまた幸いなことに登れるように掴めるところがあった。

 まだ結構な距離はあるがこのまま学校に向かう。

 もちろん学校に電話をかけてからではあったが。


「徒歩登校は無理だな」


 というのが着いてからの感想。

 変わらない時間に出ていたことと、途中までは自転車で最速状態を保てていたから時間はまだ8時半ぐらいだった。

 地元の高校は8時半までに入っていれば良かったがこれでも遅れたことには変わらない、先に職員室に寄ることに。

 物凄く驚いたような顔で見られたが、無事に教室に行く権利を貰った。

 ああ、色々なところがぼろぼろだもんな、そりゃしょうがない。

 血が出ているのだって自分でも気づいているし、普通の反応だろう。 

 それよりも親父も帰ってこないのに自転車はどうする? ここら辺に売っているのかすらわからないというのに徒歩登校は非現実だぞ。

 とりあえずはあまり意味もないが授業中に突入。

 担当の教師に紙を渡して席に無事着席したら凄くホッとした。

 朝からぼろぼろだからな、帰りのことなんかなにも考えたくねえ。

 授業が終わったら改めてなんか落ち着いた。

 自転車には本当に守ってもらったと思う、感謝してもしたりない。

 死んだらそれで終わりだからな、最近は暇だけど生きたいと強く考えているからまだ逝くわけにはいかないのだ。




 本当の戦いはいまから始まる。

 ああでも、最初のことを思い出して懐かしくもあった。

 ちなみに、傷口を細かく見ると痛くなるだろうからと鏡などは今日1日見ていない、困るところだけ拭っておいただけの状態だ。

 歩くのに支障はないが、相変わらず動くと痛む体。

 この後、自転車を引き上げて持って帰るつもりだから大変そうだった。

 そもそもその大体中間地点が遠いうえに、


「ママチャリって重えー!」


 片手で掴めるところを持ちながら片手でママチャリって無理すぎる。

 不法投棄になってしまうが……悪いがこのままにさせてもらおう。

 手の平とかも傷だらけだしな、力が入らないからまた今度。


「よう」

「あ、こんにちは」


 やけに近くに止めてくるからなんだこの車!? と思っていたら零奈さんのやつで、その持ち主である零奈さんが声をかけてきた。


「聞いていた通り、傷だらけだな」

「あ、見てくださいよ、チャリがあんなんですからね」


 今日は別に昴の奴も来ていな……ああ、乾か。

 まあ知られたところで傷だらけなのは変わらないから意味はない。


「持ち上げるぞ、そのまま置いておくのは駄目だ」

「やってみたんですけど無理そうで……」

「壁にタイヤを当てるようにして上げればいい」


 なるほど、全然考えていなかったな。

 試しに下りてやってみたら先程よりは楽だった。

 そして1番力がいるところで零奈さんが手伝ってくれたから本当に助かった形になる、……だからこそこれから大変というのもあるが。

 とにかく礼を言って、今度は前輪を上げつつ帰ることになった。

 しっかし、20時ぐらいから6時まで寝るってなんやねん。

 特に寝不足というわけでもなかったのになにをやっているんだ……。


「じゃ、先に行っているからな」

「え、なんでですか?」

「はぁ……とにかく行っているからな」


 先に行っているからなって、これからめちゃくちゃかかるんですが。

 しかももう忘れてしまったんだろうか、あの約束を。

 急ぐ気にもなれなくてゆっくりと歩いていた。

 つかこれを持ちながら早く帰るは無理だ。


「だりぃ……」


 やる気があるときならこの状態でも飛ばせただろうが……。

 また途中の広くなったところで転んでいたらまた車が側に止まる。


「なに転んでんだ、もう真っ暗だぞ」

「物好きですね……何回も来てくれて」

「早くしろ、体を冷やすと風邪引くぞ」


 正直に言って、もう動きたくねえ。

 朝のあれが強く影響している、半分歩いてまた放課後に歩くとか。

 しかもこうなってくると自転車がかなり邪魔に思えるし……。


「先に行っててください、何時間かけても必ず行きますから」

「わかった」


 もうこの広いところまで来れば林を抜けてすぐに家だ。

 問題なのは上りだということと、足元がおぼつかないこと。

 朝のと途中の体育と帰りのこれと、この前とは違いすぎる。

 それでもなんとか自宅前まで来たら達成感がやばかった。


「遅いぞ」

「無茶言わないでくださいよ」


 そりゃ車に乗れる人からすれば遅くて当然だ。

 最近はママチャリにもギアがついているが、敢えてその1番重いやつで坂を上れと言われているのと同じだからな。

 ここまで不法投棄せずに来た時点で認めてほしい。


「早く家の中に入るぞ、消毒しなきゃ駄目だ」

「最近は消毒はいらないんじゃ?」

「いいから早くっ」


 いまイライラをぶつけるのは勘弁していただきたい。

 そうでなくてもなんにも動きたくないというのに、急かされるし。


「なんで洗わなかった」

「見たらひゅんってなるじゃないですか、うわ痛そ……」

「お前だお前」


 ごしごし洗ってくるから傷口が痛え……。

 なんにも優しさが存在していないぞ。


「他は?」

「背中とかどうなってます?」

「酷いのは手、腕、足ぐらいだな」

「そうですか」


 どうりで動かす度に痛かったわけだ。

 自力で確認できないとか設計ミスっている気がする。


「ん? 零奈さん?」

「ああいや……意外と筋肉があるんだな」

「ただ体脂肪率が高くないだけですよ、腹筋ならみんな割れてますし」


 尻みたいに、とは言うのを我慢した。

 んーけど実際、自転車登下校生活でついた筋肉というのもあるか。


「ちょっと風呂に入ってきます、昨日入っていないので」

「はあ!? き、汚い……」

「この季節だから大丈夫ですよ、多分」


 もちろんいまは大丈夫なんかじゃないが。

 先程のそれでめちゃくちゃ汗をかいているからできれば近づいてほしくないくらいだった――って、それは零奈さんのセリフか。


「いってぇ!」


 湯がよくしみる!

 でも、綺麗になれたような気がした。

 昨日ぶりに入ったというのが1番かもしれない。


「裕大」

「帰るなら気をつけてくださいね」

「畳の部屋にいる、あんまり急がなくてもいいから後で来てくれ」


 そりゃ自宅なんだから後で行くが……。

 そもそも本当になんでこの人は来たんだかわからない。


「って、着替えは畳の部屋にあるんですが」


 流石に裸で突撃は……タオルを巻いていくか。


「お、おまっ、なんて格好をしているんだ!」

「き、着替えがここなので……」

「反対を向いているから早く着ろ!」


 今日は不機嫌DAYのようだ。

 さっさと着て彼女の横に移動する。


「どうしたんですか?」

「き、着たのか?」

「はい、着ましたけど」


 あとこの人、単身で来るとか無防備すぎる。

 ここは周りに家すらない場所だぞ、襲われたら終わりなのに。

 そんなつもりはないがこれまでにはないことをして筋力だってついているわけで、俺がその気になったりしたらどうするつもりなのか。


「……なんで連絡しなかった」

「頼るのは違うと思いまして」


 そりゃここにとっては車が最強の移動手段だ。

 俺だってできれば乗って楽がしたい、進んで苦労したくない。

 だけど駄目だ、家族でもない人間に甘えすぎてはならない。

 虚無感に襲われながらも適切な距離感を築けているところだったのに自分から壊してどうするんだって話だろう。

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