第2話 ジェームズとの検証
過去視で発現した人間に襲われるという不意の出来事に茫然としてしまったサツキだが、彼女が踏んできた修羅場は数知れず、すぐに我に帰り、電話を取り出してSNSアプリでアメリカにいる友人に電話をかけた。サツキの能力を知るただ一人の人間。こっちが夜で向こうは朝だから起きてるはず。
「ハロー。」
男の声でそう聞こえるとすぐにサツキは英語で捲し立てた。
「ジェームズ、ちょっと大変なことが起きたのよ。過去視に襲われたの。私のことを知覚してきたのよ。そして向こうから接続を切ってきたの。あり得ると思う?」
「ヘイ、サツキ。落ち着きなよ。カームダウン。もっとしっかり教えてくれるかい。」
「ああ、そうね、ごめん。えーとね。」
サツキはジェームズと呼んだ男にあらましと自分の仮説を伝えた。
「そうだね、僕の仮説は君とほぼ同じだね。過去視のエラーか相手も同系統の能力を持っていたか、もう一つ加えて同系統の能力を持つ第三者の干渉があったかだ。君のその能力が正確に過去を投影するわけではない以上、実際に過去のその女性が未来からの君の観測に気づいたとは考えにくいね。君自身か相手の女性か第三者が、君の過去視そのものに干渉したというのが有力だと思うよ。」
とジェームズが言う。
「第三者か、その可能性もあるわね。むしろ米澤遥の無垢な感じを信用するとそっちの方が可能性がありそう。ありがとう、頭を整理できたわ。」
「切る前にひとつお願いだ。今度かける時は行為の最中にビデオ通話で頼むよ、僕もアダルトを見てみたい。」
「わかったわ。明日の夜にもう一度トライしてみる。楽しみにしててね、童貞くん。」
「オー、これは手厳しい。」
そんな会話をして電話を切った。もちろん過去視の映像はビデオには映らないし、ジェームズにもその能力はない。しかしジェームズにはサヴァン症候群の人が持つような特殊な目があった。ジェームズと行った過去視の実験の中で、過去視で発現する半透明の人物達は重力の場を持つことがわかった。当然のことながら彼らには質量がほとんど無いはずなのだが、何故か空間が歪むのだとジェームズは言う。その歪みをジェームズは目で見ることができた。つまり過去視が普段と違う振る舞いをするなら、重力の場に変化があるかもしれない。それをカメラ越しに確認したいというのがさっきの会話でのジェームズのお願いであった。
「さてと、シャワーを浴びて寝ますか。」
ここで過去視の続きを見てもいいが、疲れもあるため明日にやり直すことにした。疲れていると不測の事態への対応が遅れる。余裕こそが最も大事なことだとサツキは考えていた。
——
次の日、サツキは携帯の着信音で目を覚ました。自分のではない、依頼人から渡されたほうが鳴っていた。画面を見ると非通知設定だった。
「もしもし。」
そう言って電話に出ると50歳は超えているだろうと感じる男の声がした。
「サツキくんかな、おはよう。今は渋谷のホテルにいるようだね。お楽しみ中じゃなければ浅倉と米澤が初めて交わった場所の調査と思うが、どうかな?」
「そうです。それより、電話してくるんですね。てっきり一切の正体を隠したままかと。依頼のやり取りも田所を通してのみでしたし。」
田所はサツキのエージェントみたいな男だ。まったく信用ならない奴だが。
「君みたいな強くて美しい女性とは直接話をしたくなるものだよ。特に私みたいな初老になるとね。」
「そうですか、それで用件は何でしょうか。」
「つれないな、まあよい、用件だが今日行って欲しい場所がある。捜査資料の128ページ、三山山荘で殺人があったと推定される日の米澤遥の行動が書いてある。実はそこに虚偽があるようなのだが、裏付けが取れていない。スナックの名前が書いてあるはずだ。そこのママに会ってこう尋ねてもらいたい。“米澤遥のアリバイについて、どうして嘘をついたのか?”とね。」
「今日ですか、まあいいでしょう。しかしそれなら私が行かずとも電話すれば済む話です。どうして私が?」
「それは私が依頼人で君が依頼を受けたからだよ。」
「・・・・・・そうですか、ではそもそも何故私に依頼を?」
「君が女性で強いからだ。」
今までの会話にはない強い語調だった。何かしらの理由があるのだろう。能力を知られているとは思わなかった。
「・・・・・・わかりました。行ってみます。」
「期待しているよ。」
そこで電話が切れた。裏がありそうな感じが釈然としないが、仕事と割り切って従ってみるしかないだろう。今日の過去視の再検証は中止になりそうだった。
捜査資料を開いてみる。当のページには米澤遥が大宮のスナックでアルバイトをしていたこと、その日も出勤して終日店内で働いていたことが書いてあった。虚偽とはどの部分なのか、“出勤”が虚偽ならさすがに警察にバレるだろう、“終日”のところなら誤魔化せるか。サツキはそう考えたが、真実はいつも想像を超えることを思い出し、先入観を持つことを止めた。
「まずは行ってみるか。」
とはいえスナックが始まるのは夜からだ。それまでどうするかを考えたが、昨夜のことが気になりもう一度二人を視てみようと思った。資料に拠れば寝起きにも一度性行をしている。酔いが覚めても絡みあえるのだから、よっぽど相性が良かったということだろう。過去視は同じ時刻のものを視たほうが正確性が高い。そのため一晩を過ごした朝方の二人を確認してみることにした。まずはジェームズに連絡をする。
「ハイ、サツキ。また何かあったのかい?」
「グッドイブニング、ジェームズ。これから昨日の続きを見てみようと思ってね、今からビデオを繋げてもいいかしら?」
「オーケーマム。研究室にいるから大丈夫だ。デスクトップのモニタに繋げるからちょっと待ってて。よし、いいよ、ビデオをオンにしてくれるかい。」
サツキはSNSアプリのビデオ通信をオンにした。
「ワオ、そこが日本のセックスをするためだけの場所なんだね。なんとも神秘的な感じがするよ。日本人はなんでも枠にはめるから面白いよね。役割を与えるのが上手だと思うよ。」
「それについてはノーコメントよ、議論するつもりはないわ。じゃあ始めるね。」
サツキは目を閉じて資料の情報から頭の中で映像化をする。ジェームズはモニタ越しに空間が歪んでいくのを知覚した。人型とはならないが、空間の歪みの変化で過去視で発現した人間が動いているのがわかる。
「いまは男のほう一人のみよ。服を着てるところ。残念だけどセックスは見れなかったわね、童貞くん。女はシャワーを浴びているのかしら。」
サツキが米澤遥の居場所を確かめようとビデオで風呂場の方向を映したとき、ジェームズが「ストップ」とサツキを止めた。
「ジェームズ?」
「サツキ、その方向は空間の歪みが強すぎる。こんな歪みは見たことがない。まるでブラックホールのようだ。そのレディは危険かもしれない。また知覚される可能性があるし、親愛なるアインシュタインのマーベラスな理論を考慮すると、こちらに干渉してくる可能性もある。」
「・・・・・・それはそれで確かめてみたいけど、こちらが観測されない状況を作ってから迫ったほうが良さそうね。じゃあ今回は退散す・・・・・・。」
「サツキ?」
サツキは、着替え終わって視界に入ってきた半透明の浅倉みつるの表情に違和感を覚えた。虚空を見るような目、のっそりとした歩き方、欲求のない表情、昨日の夜とまるで違う。何があったのか、いや、何かがあったのだ。
「ジェームズ、今ならこの男が殺人を犯しても不思議と思わないわ。昨夜に何かがあったのよ。そして女がそれに関与している。もしかして、女のあの変貌は過去に実際にあったのかもしれない。確認しないと。」
「サツキ、危険すぎる。」
サツキは携帯を部屋の隅のテーブルに置いて、ジェームズから部屋全体が見えるようにした。その時、風呂場のドアに人影が映ったのが見えた。
「(出てくる?)」
サツキがとっさにベッドの下に潜り込むと同時に歪みがドアをすり抜けてくるのをジェームズは視認した。
「(ジーザス、見られてなければいいが。)」
音は過去視で再生されない。しかし今は異常状態でその定義が成り立つかわからない。声で気付かれる可能性を考え、サツキもジェームズも黙するようにした。
サツキの視点では米澤遥の顔が見えない。顔が見れればより良い情報が得られるのだが、歩き方でも多少の情報を得られるはずとサツキは考えた。
ペタペタと聞こえそうな歩き方で絨毯の上を歩いている。若い女の歩き方から逸脱したものではない。サツキは集中して観察した。踵から着地、歩幅は小さい、スピードは遅い、重心は右足寄りか、浅倉みつるの前で止まる、つま先立ちをする、キスをしているのかも、手で床から何かを拾う、服を着るのだろう、支度が終わったのか二人で横に並んで部屋の外に向かう。
後ろ姿を少しだけ見てやろうと、サツキはベッド下からシーツを少しまくり上げて覗き見をした。と同時に米澤遥が振り向く。
「(やばい)」
サツキは咄嗟にシーツから手を離したが、米澤遥の顔はバッチリと見て取れた。無垢な女子大学生の面影が全くない、狂気と妖艶さを併せ持つ違う誰かだった。その別人がベッドに引き返してくる。
「(見られたか)」
サツキは少しずつベッド下の反対方向へ体をよじって逃げた。が、中程に行く前に米澤遥の足がベッドの前で止まる。サツキの脳裏には別人となった米澤遥がベッドの下を覗き込んでくるシーンが再生されていた。その瞬間に過去視の接続を切る構えを取って。
しばらくベッドの前で立っていた米澤遥だが、踵を返して浅倉みつると部屋から出て行った。
サツキは少しだけベッドの下で時間を使い、戻ってこないことを確認してから這い出た。
「危ないことをするじゃないか。」
「このくらいは何でも無いわよ。」
「いや、気付いてなさそうだったけど、12年前とベッドの配置か大きさが変わっていたら君は見つかっていたぞ。運が良かったなラッキーガール。」
「・・・・・・あっ・・・・・・」
そうだった、過去視のため景色がこちらと違うのだった。こちらで姿を隠しても向こうからは丸見えということもあり得た。
「それでも過去視を切らなかったのは賢明だったね。量子論では観測すると結果が変わることが大半だ。観測中に観測を止めても同様だからね、過去視を切っていたら何かしら気づかれた可能性もあったよ。」
「まあそのくらいはね。」
サツキは恥ずかしさを隠すために強がってみた。
「それでどうだったの?バッチリ視えたんでしょ?」
「そうだね、かなり強い歪みから誰かが彼女の過去像を通じて過去視に干渉を加えていると考えられるかな。過去からか現在からかはわからない。過去の彼女自身ということも有り得るかも。とにかく、彼女のことは特異点と考えて良いと思うよ。つまり、彼女を過去視で視るときは、何が起こるかわからないということ。」
「そうなると、やっぱり昨夜の過去視をあなたと再確認する必要がありそうね。彼女に知覚された瞬間が変化点・・・特異点の発生地点なのか、すでに特異点に変わってしまっていて、以降はどの彼女を覗いてもこちらを知覚してくるのか、そこを確認することで現在からの干渉なのか過去の彼女自身が干渉してきているのか検証できるかもしれない。」
「そうだね、賛成だよ。この部屋にビデオを設置しておけば危険なく確認できるはずだ。」
「アイアイサー。実行する時にまた連絡するわ。」
「気をつけるんだよ、グッドラック。」
サツキは電話を切って一息つくと、荷物を持って部屋を出た。外には寒々として空気の中、真っ青な青空が広がっていた。
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