第7話 愛しい子


 週に一度、魔女のエルヴィラは必ず家を空ける。それは王都の情報を聞くためだった。


 もちろん、エルヴィラが作り出した回復薬や魔道具を依頼主に持っていく事もしている。それが生活費となっているので、それは欠かせない事だ。

 だがそれよりも、エルヴィラには我が子の情報の方が必要な事だった。


 誰の子供かも分からない。けれど、自分がお腹を痛めて産んだのは紛れもない事実で、妊娠初期は嫌悪したものの、お腹の中で動く我が子にいつしか母性が芽生え、愛するようになっていった。それは女性であれば、母親であればなんら不思議な事ではない。


 だけど娘は生まれて間もなく手離す事になってしまった。それは自分がした事だったけれど、やはり我が子の事は何をおいても気になってしまうのだ。


 その思いから毎週欠かさず向かう場所は、街の反対側にある村に住む情報屋の元だ。村と言っても、実はここはある裏組織のアジトのような感じになっていて、その組織に与する者達の家族も住まう村なのだ。

 

 裏組織であるから、様々な街や村に諜報員を派遣していて、そこの権力者の弱味であったり綻び等を探って付け入る隙を狙っている。

 勿論各地にいる犯行軍団等に接触し、仲間を増やす等もしているが、そうやって拡大していき各地の情報を得ているのだ。


 そこでエルヴィラは依頼も受ける。時間が経つと爆発する魔道具なんかはよく発注される。ここはエルヴィラにとってはお得意様なのだ。

 そしてここで王都にいる慈愛の女神の生まれ変わりである娘の情報を聞き出すのだ。


 とは言っても、今まで殆ど有益な情報は得られていない。それでも毎週欠かさずこの場所までやって来て、エルヴィラは娘の事を聞くことにしている。

 しかし、今回は今までになく詳しい情報を入手できたようだった。



「えっ?! その情報は間違いないの?!」


「間違いねぇとは思うぜ? 王城で働く下女と付き合えたからな。そこから色々聞けたんだ。情報は確かだぜ?」


「では慈愛の女神の生まれ変わりと言われたのは……」


「あぁ。黒髪と黒い瞳の女の赤子だってさ。名前は確かフューリズって言ってたと思うぞ?」


「フューリズ……」


「あぁ。預言者が生まれた日にそう言ったらしいのさ。この国じゃ黒髪で黒眼なんてそうそういねぇだろ? もしいるとしても異国の血が濃いとか、獣人か……だから探し出すのは簡単だったのかもな。」


「で、でもこの国は広いわ! そんな髪と瞳の色だけでは……!」


「あぁ、それとな、慈愛の女神の生まれ変わりが産まれて来るとき、母親はその命を亡くすらしいぞ? それは王族に伝えられている事でもあったらしいんだ。だから母親が亡くなった黒髪黒眼の女の赤子ってのは、今王城にいる娘で間違いないってよ。」


「そんな……」


「随分ワガママなお嬢様らしいぜ? 凄く手を焼いてるそうだ。それもまぁ、能力が覚醒するまでだな。そうなりゃその能力にあやかれるって訳だ。すげぇ能力らしいな? まぁどんな事ができんのかは知らねぇが」


「能力……覚醒……」


「あぁ。大体皆10歳かそこらで能力を覚醒させるだろ? 俺は11歳だったけどな。早い奴は9歳位には覚醒すんだろ、能力が。その能力を王は待ち望んでる筈さ」


「な、何をさせる気かしら……」


「それは分からんが……あ、王子と婚約させるみたいだな」


「王子様と婚約?!」


「今王城じゃその話で持ちきりだってよ」


「って事は……その娘が王妃に……」


「まぁそうなるな。けど出自も辺境伯の令嬢だから問題ねぇしな。平民じゃどうなってたか分かんねぇな」


「そう……」


「どうした?」


「いえ……なんでもないわ……」


「けどアンタも変わってるなぁ。そんな情報を知りたいなんてよ」


「……王族の事情に興味があったのよ。それに慈愛の女神の生まれ変わりって、神秘的で素敵じゃない? だからまた何か分かったら教えて欲しいわ」


「こっちは情報料さえ貰えりゃそれでいい。また何か分かったら知らせるぜ」


「お願い」



 頼まれていた魔道具を渡し、エルヴィラはその場を後にした。


 家路につく道すがら、エルヴィラは聞いた情報に頭の中を占領されていた。


 自分の娘……フューリズは慈愛の女神の生まれ変わりではなかった。その可能性は考えていたけれど、頭の隅に追いやってその事から目を逸らしていた。だけどやっぱりそうだった。あの子が……ブルクハルトの娘こそが慈愛の女神の生まれ変わりだった……!


 そう考えると納得できる。あの笑顔に、声に触れると全てを許してしまいそうになる感覚。誰もがその笑顔を見たくなり、近寄りたくなり手を差し伸べる。それはあの娘こそが慈愛の女神の生まれ変わりだったからだ。



「ハ、ハ……やっぱり……そう、だったんだ……」



 自分の産んだ子がそうである筈等なかった。考えたら分かることじゃないか。それでもそう思いたかった。何一つ報われないエルヴィラが誇れる唯一の事だったのだ。その誇りは脆くも崩れてしまった。 


 それでも娘の身を案じてしまう。


 ならどうなる? 能力が覚醒したら、娘は……フューリズどうなってしまうの? エルヴィラが作り出した魔道具で、ブルクハルトの娘の能力はフューリズに譲渡されている筈だ。それでも笑顔だけで人を魅了できると言うのは、それこそが能力なのではないか? では能力が覚醒し今もより大きな能力を得たら、それは娘に譲渡されるのか? それとも……


 このままではダメだ。もしフューリズになんの能力も無かったのだとしたら、あの子はどうなってしまうのか。慈愛の女神の生まれ変わりではないとバレてしまうかも知れない。そうなると……住んでいる場所から追い出される……? いや、それだけでは済まないかも知れない。


 アッサルム王国の国王は賢王とも言われている。そうでなければここまでの大国にはならなかっただろう。

 だがその反面、冷徹で冷酷で、仇なす者には容赦しない。例え腹心の部下であったとしても、容赦なく切り捨てる事も厭わないという。


 そんな王がフューリズの事を知ったら? 真実を知ってしまったら? 


 どうなるかは分からない。だが最悪の可能性を考えなければ。


 母親として娘に何もしてあげられてない。いや、この状況を作り出したのは自分だ。だから娘に起こりえる禍を自分が振り払わなければいけない。


 思い詰めるように歩みを進めていたエルヴィラは、思い立ったように段々と足早にその歩を進めていく。


 フューリズ。私の娘。


 必ずお母さんが貴女を守ってあげるからね。


 何をおいても、どんな事をしても守ってあげるからね。


 そう心で何度も、会えない娘に伝えるように呟きエルヴィラは自分を奮い立たせた。


 家に着いた頃はもう陽も暮れて、窓から漏れだす灯火が優しく目に届く。


 あぁ……あそこに自分を待ってくれている人がいる……

 こうやって自分を迎え待つ存在がいてくれる事に心が絆されるような感覚を覚えてしまう。

 いや、それではダメなのだ。惑わされてはいけないのだ。


 家に入ると、夕食の用意は既にされてあって、いつ帰ってきてもすぐに食べられるようになっていた。

 ブルクハルトの娘はエルヴィラを見ると嬉しそうに微笑んで近くまで駆け寄ってくる。その姿のなんと愛らしいことか。


 思わず両手を広げて迎え入れ、この腕でこの胸に抱きしめてしまいそうになる。だけどそれではいけない。自制しなければならないのだ。

 広げそうになった手をグッと抑えて拳を作り、顔を見ないように目を逸らす。

 

 

「笑うんじゃないよ! お前の顔なんか見たくない! 向こうへ行くんだよ!」


「…………」



 途端に沈んだ顔になった娘は下を向いてエルヴィラから離れていく。それでいい。可愛いと思ってはいけない。愛してはいけない。これは憎きブルクハルトの娘なのだ。私の愛する人を奪った、私の尊厳をことごとく奪った憎きブルクハルトの娘なのだ。

 

 自分にそう言い聞かせて、決心した気持ちが揺るがないように気を引き閉める。


 我が娘の為に出来るだけのことをする。


 フューリズ。私のただ一人の愛しい子……





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