第3話 迷い人
今日は母親が何処かへ行く日だ。
何処へ行くかは知らされていない。恐らく母親が作り出した物を届けに、依頼された人の元まで持って行くのだろう。
そんな時、少女は少し寂しく感じる。このまま母親が戻って来なければ、自分は一人ぼっちになってしまうかも知れない。どんな酷い扱いを受けていても、母親に見棄てられるのが少女は怖かったのだ。
母親が出て行ってから、いつもの家事をこなしていく。掃除も洗濯も終え、食事の下拵えも終えた。そうだ、森に山菜を取りに行こう。そうしたらお母さんは喜んでくれるかも知れない。
そう思って手にカゴを持ち、森へと一人向かって行った。
暫く歩くと話をしに動物達がやって来る。
『何をしているの?』
『山菜を採っているんだよ』
『このキノコは食べられないよ。毒キノコだからね』
『そうなの? 教えてくれてありがとう』
『こっちにもっといっぱい、食べられるキノコが生えてるよ!』
『え? 何処に?』
『こっちだよ』
動物達に案内されて、少女は森深くへ入っていく。そこには様々なキノコが生えていた。
動物達に食べられるキノコを教えて貰いながら、少女は夢中になって採取した。
すると何処から現れたのか、熊がいつの間にか側にいた。
『なぁ、アンタ人間か?』
『え? そうだよ? 人間だよ?』
『見た目はそうだけど、なんか違うように感じてさ。あのな、あっちに人間がいるんだよ。どうやら迷い込んでしまったみたいなんだ』
『そうなの?』
『俺が近づくとさ、その人間怯えるんだよ。取って食いやしないのにさ』
『分かった。じゃあ行ってみる。何処か案内してくれる?』
『こっちだ』
熊に言われて、少女は後をついて行った。同じように動物達もついてくる。暫く歩くと、小さな小屋が見えた。そこは古びた小屋で所々朽ちていて、だけど雨風は凌げる程度には存在していて、休憩所として使われていたのかも知れないと思わせる場所だった。
だけどその空間はどこか可笑しくて、ここでない他の場所を感じさせるようにも思えた。
少女はその小屋の扉をそっと叩いてみる。
「だ、誰だ?!」
「…………」
小屋の欠けた木の間から、そっと此方を伺うように瞳が見えた。その瞳には、小さな女の子と、その周りに鹿や狐、鳥、リス、遠目には熊も映し出された。
「な、なんでそんなに動物がいっぱい……っ! やめろ、こっちに来るなっ!」
「…………」
声は少年のように感じた。どうやら動物達に怯えているようだ。
『ねぇ、後でまた行くから、ね……』
『分かったよ。僕達、何もしないのにね』
『そうだよ。何かするのは人間の方なのに』
『怖がるなんて、可笑しいよね?』
『さぁ、向こうへ行こう。また後でね』
『うん、ありがとう』
動物達は少女を残して小屋の前から去っていった。その様子を怖がりながらも見ていた少年は驚いた。一人になった少女を何度も確認して、それからゆっくり扉を開ける。
「あの動物達は何処へ行ったの?」
「…………」
「あ、また来るかも知れないから、君はここに入りなよ」
言われて少女は中へ入った。
中は狭く薄暗く、窓から入る陽の光だけがこの部屋の明るさを保っていた。
小さなテーブルと椅子が二脚、一人用のベッドに薄汚れた布団が乗ってある。キッチンも棚もあって、もしかするとここで昔誰かが生活していたのかもと思わせる程に、生活の名残が見てとれた。
ランプはあったが壊れているのか燃料が無いのか、明かりを放つ気配はない。
少年はそのランプに手をかざし何やら唱えると、そのランプは優しく光りだした。
それに驚いた少女は、何度もランプと少年の顔を交互に見た。少年は薄い紫の髪をしていて、それが凄く美しく艶やかで、瞳は深い紫が綺麗に輝いているように見えた。それにも少女は驚いた。初めて見る人種に感じたからだ。
「ハハハ、びっくりしたかい? これは魔法なんだ。君は魔法は見たことなかったのかな? まだ覚醒してないだろうしね。僕は1年前の10歳の頃に覚醒して魔法が使えるようになったから。君は何歳なの?」
「…………」
「どうしてこんな所にいたの?」
「…………」
「どうして何も言わないの? 喋れないの?」
少女は頭をフルフル横に振った。少年は心配そうに少女を見ている。さっきまで怖がっていたのに、痩せて小さな少女を見て、何だかこの少女が可哀想に思えてきた。
赤髪で赤い瞳の少女は、寒いだろうに薄着でボロボロの服を着ていて、見える肌からは傷やアザが至るところに存在していた。
全ての指があかぎれていて、痛々しく感じられる。
「ねぇ、君は誰かに虐められているの?」
「……っ!」
少女は少年の言葉に驚いて、また頭を大きく何度も横に振った。
「喋れるなら、どうして喋らないの? 僕とは話したくないの?」
「あ……」
「そうじゃないならさ、色々教えて欲しいんだ。僕、急にこんな場所に来ちゃってさ。なんでここに来たのかも分かってないんだよ。ここは何処なの?」
「……もり、の……なか」
「あ、話してくれるんだね! ありがとう! ここは何処の森なんだい?!」
「わか、ら、ない」
「何処の森か知らないの? 君はこの近くに住んでいるの?」
「うん……」
「あ、ねぇ、君の名前、教えてよ! 僕はね、ルーファスって言うんだ! 僕が生まれた時にね、預言者は僕が赤い色と関係する事になるって言ってね。だから僕は赤を意味するルーファスって名付けられたんだ!」
「るーふぁす……」
「ルーで良いよ。で、君は?」
「なま、え……」
「そう、名前」
「くず……」
「え?」
「ごみ……のろま……ばか……やく、たたず……」
「それは……」
「どれ、なまえ、わからない……」
「それは名前じゃないよ! 酷い!」
「ひどい?」
「名前、付けてもらえなかったのかい?」
「なまえ……」
「あ、じゃあ僕が付けてあげるよ。えっと……あ、そうだ、じゃあね、ウルスラっていうのは?」
「うりゅ、しゅ、ら……」
「ハハハ、言いにくかったかな。けどね、ウルスラって言うのは聖なる乙女の事なんだ。素敵な名前だろ?」
「うる、すら」
「そうそう。ちゃんと言えたね。君は今日からウルスラだよ」
「うん。うるすら」
少女は母親に名前を付けて貰えなかった。ルーファスと名乗った少年に初めて名前を貰えて、少女は凄く嬉しくなった。自分はウルスラという名前だ。なんて素敵な響きなんだろう。
嬉しくて嬉しくて、思わず笑みが溢れてしまう。それを見たルーファスは戸惑った。ウルスラの笑顔は心に優しく入り込んで、自分の嫌な感情が無くなっていく気がしたからだ。
もっとその笑顔を見ていたい。もっと笑顔を向けて欲しい。そう思って止まなくなった。
「あ、その、えっと……」
「るー?」
「あ、うん、僕はルーだね。うん。あ、そうだ、君は何歳なんだい?」
「なんさい……えっと……」
「分からない? 見た目は6歳か7歳位なんだけど……」
「わから、ない……」
「そうか……あ、じゃあこの近くに住んでいるの?」
「もり、のなかの、いえ」
「そうなんだね。近くに街はあるのかな?」
「ある」
「そうなんだね! じゃあそこまで僕を案内してくれないかな?!」
「うん」
「あ、でもさっきの獣……もういないかな……」
「けもの……」
「君と……ウルスラと一緒にいたね。どうしてあんなに集まって来てたんだろう?」
「みんな、とも、だち」
「友達なの?! 凄いね! だから一緒にいたんだね! あ、でも急にいなくなったよね?」
「はなれて、って、いった」
「話したの? って、話せるの?!」
「うん」
「でも声は聞こえなかったよ?」
「こころ、で、はなす」
「声にしなくても話せるの?! 凄いね!」
「すごい……?」
「あぁ! 君は凄いよ! ウルスラは凄い子だ!」
「うるすら、すごい?」
「ハハ、そうそう! ウルスラは凄い!」
そう言われて、ウルスラはとても嬉しくなった。嬉しくて嬉しくて、そう言ってくれたルーファスに満面の笑みを向ける。その笑顔はルーファスには凄く眩しく思えて、心臓をギュッと鷲掴みにされたように感じた。
こんな感覚は初めてだった。自分の周りにいる人達から笑顔を向けられる事は今までもあったが、それはきっと本当の笑顔ではないのだと感じてしまう程に。
小屋から出て辺りを見渡すと、そこは何の変哲もない森の中だったけれど、さっきとは違って見えるのだからルーファスは困惑した。
自分がここに来たのは不意の出来事だった。
今日は狐狩りに森へとやって来たのだ。自分は騎乗して猟犬に狐を追わせ仕留めていたのだが、少し目を離した隙に猟犬が見当たらなくなってしまった。
猟犬を探していると、大きな木の辺りが変に歪んでいるように見えた。様子を見ようと馬から降りてその木までゆっくり進んでみると、そこから目の前がグニャグニャに歪んで、その歪みが元に戻っていくと目の前は変わらず森の中だったのだが、さっきの場所とは違って見えた。
近くにいた筈の自分の乗ってきた馬の姿は見えなくて、何処かに行ってしまったのかと辺りを見渡すと、熊が此方を見ているのが確認できた。
それに驚いて思わずその場から走り出し、走った先にあった小屋に飛び込んだのがこの場所だったのだ。
小屋の外は緑が鮮やかで、木々に遮られた陽の光が優しく森を照らしていて、それがとても美しく見えた。なんて事はない風景。それがこんなにも色鮮やかに神秘的に見える事に困惑したのだ。
「るー?」
「え? あ、ごめん、ウルスラ! あ、じゃあ行こうか」
優しく微笑んで頷くウルスラはとても可愛らしく、こんなに可愛いと思う子にどうしてこんな酷い事が出来るのか、手足に見える生傷を見てルーファスは甚だ疑問に思った。
たどたどしい言葉だけれど、ウルスラの声はとても澄んでいて耳障りが良く、声を聴いているだけで心が洗われるようにも感じるのだ。もっと声を聴いていたい。耳に、心に残るその声を聴き続けていたいと、そう思った。
そしてその微笑みは癒す力でもあるのか、悪いものが心から体から出ていってくれるような気さえする。なんとも不思議な子だと感じたのだ。
自分が帰ってしまうと、もうここには来る事が出来ないかも知れない。もう会えなくなるかも知れない。それがルーファスにはたまらなく耐え難い事のように感じた。
さっき会ったばかりだ。ほんの少し話をしただけだ。自分より幼く、ボロボロの服を着て痩せて傷だらけでみすぼらしい姿のウルスラに、ルーファスは心を奪われたような感覚に陥ってしまったのだ。
「ねぇ、ウルスラ。ウルスラはここによく来るの?」
「ここは……こない」
「初めて来たの?」
「うん」
「もう来れない?」
「おかぁさん、いない、これる」
「お母さんがいない時は来れるんだね」
「うん」
「お母さんはいついないの?」
「きょう」
「えっと……じゃ、来週の今日……一週間後ならいないのかな?」
「たぶん……?」
「じゃあ、一週間後のお昼頃、また僕はここに来れるようにしてみるから、ウルスラも来れたら来てくれないかな?」
「いっしゅうかんご、の、きょう……」
「また会いたいんだ」
「あいたい……」
「会えるかな……?」
「うるすら、あいたい」
「ウルスラも会いたいって思ってくれる?」
「るー、あいたい」
「あぁ、ありがとう。じゃあ会えるようにしようね。また今度!」
「また」
自分に会いたいと言ってくれる人は初めてだった。そんなふうに言って貰えた事が嬉しくて、ウルスラもまたルーファスに会いたいと思ったのだ。
ニコニコ微笑むルーファスの笑顔は優しくて暖かくて、ウルスラの心も暖かくなったような気がした。
街へ案内する為に歩いていくと、いつの間にかルーファスの姿は消えていた。
辺りを何度も見渡してルーファスを探すけれど、その姿を見付ける事はできなかった。
忽然と消えたルーファスの姿を探しながら、ウルスラはルーファスの言葉を思い出す。
来週の今日のお昼頃、ここでまたルーファスに会えるかも知れない。
ルーファスは何処から来たのか、何処へ消えたのか……
そんな事よりまた会える事を願って、ウルスラは仕方なくその場を後にしたのだった。
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