第17話 魔王はぶん殴れない(2)

 三日後。


「ヒヒヒヒヒヒ。ヒヒヒヒヒヒ。いやあ今日も楽しかったね。人の心が傷つき絶望する様。見ていて飽きないよ全く。」


 セルドラール玉座の間で、魔王ドミネアが激しく笑い声を上げた。


「お気に召されたようで、何よりです。」


 ミア・デュルーアがドミネアに跪きながら言った。


「しかし、ドミネア教といい、魔界との通路を作り人間界を魔界に変える作戦といい、キミも本当に良く考えるねぇ。」


 ドミネアはニタリと笑みを浮かべながらミアの顔を見た。


「いえいえ。私はドミネア様が人間界を滅ぼす姿を見たいだけです。」


 ドミネアが見たミアの顔には不敵な笑みが浮かんでいた。本心を隠しているのか、それとも露にしているのか、読み取れない。ドミネアはその立場上、他者の心を読むのに長けていた。かつてはその能力を使って様々な権力者に取り入り、力を蓄え、そして魔王としての地位を手に入れた。


 そんなドミネアをもってしても、眼前の女の心は読めなかった。


 まるで厚いヴェールを見つめているように、ただミアの心は棚引くばかりで、その先を見せようとはしなかった。


「ヒヒ、まぁそういう事にしよう。」


 ドミネアはそんな彼女に対し若干の嫌悪と畏怖を抱いていた。この女をこのまま利用して良いのかと。


 自分の祖国、自分の種族を売り渡すためにこの約二十年、ドミネア教の開祖として動いてきた女だ。確かに功績は計り知れない。一方、ただ魔王たる自分に取り入るために行動していただけと考えるには、彼女の底は知れないほど深いように思えた。


 裏に何があるのか。


 それを読み取る事が出来ない以上、彼女をこのまま利用するという事は、やがて自分の寝首を掻かれる事にも繋がりかねないのではないか。そういう危機感が無いと言えば嘘になった。


 一瞬、血に染まった王宮の玉座の間が静かになった。


 魔界の兵士達はじっと立ったまま。だが二人の間で展開される心理戦の、目に見えない熾烈さというのは肌で感じていた。


 やがてドミネアは息を吐いた。


「うん。まぁ、ともかく今は魔界の領土を広げる事に専念しようか。」


 今あれこれ考えても仕方がない。この女はまだ利用価値がある。それに今のところ、裏切ったところで彼女にメリットは何もない。恐らく今は動かないだろう。


 今は。


 だから利用出来るうちに利用する。


「ではミア。引き続き、教会の人間達の説得は任せてもいいかな?」


 "説得"とは、正しく説得を意味している。ミアが教祖としてドミネア教の信徒達を使い、魔界と人間界の間のイレギュラーな出入り口を広げる。そのための説明と協力要請を指している。


 先日人間界侵攻の際、ミアが言った事だった。


「ええ勿論。人心の切り崩しは順調に進んでいます。もうじき作業に取り掛かれるでしょう。セルドラール全体が魔力に満ちるのも時間の問題。吉報をお待ちください。」


 そう言ってミアは会釈をし、玉座の間を去っていった。


 兵士達がホッと肩を撫で下ろした。


「食えない女だが、ヒヒ、利用価値は十分にある。利用されるだけの価値も、ね」


 ドミネアは一人呟いた。


 特に、神について知っているというのは、中々に有効活用の価値があると考えていた。


 彼は魔族の中でも童顔で、一見すると二十歳前後に見えるが、実際は五十を超えている。といっても魔族は基本的に長寿のため、魔族の中では若い部類に入る事は間違いない。


 そんな彼が魔王として人間界にいるのは、ひとえに神への復讐のためであった。


 魔王になった理由は純粋に力が欲しかっただけである。彼は金と名声、そして強い力をもって敵を甚振る事を快く思っていた。そして自分がそういう立場に置かれる事を極めて嫌っていた。


 それを避けるために彼は強くあろうとし、最終的に魔王という最高の地位を得た。


 その直後彼は死んだ。


 最初、理由はわからなかった。


 部下が復活させてくれたので助かったが、それでも理由は分からないまま。


 その後も何度も何度も死を経験し、彼は悟った。誰かのライフと自分のライフが繋がっていると。


 どのような理由でそんな事になったのかは分からない。


 ただもし神がいるのだとすればそいつのせいだ、彼はそう思うようになった。


 神の存在を思わせる事は他にもあった。


 自分の死について調べさせる内に、世界の不具合、本来あるはずのない摂理、そうした世界の綻びが見つかる事があった。


 この不完全な世界、自然に出来たとは言い難いほど不条理で不合理で醜い世界。彼はそれを憎んでいた。


 故に、ミアから神の存在を提示された時、ドミネア教という形で信仰と絶望を集める作戦を二十年前に聞いた時から、この瞬間を待ち望んでいたと言ってもいい。


 神の作り出した魔界と人間界のバランスを崩し、人間達に絶望を与え、この世界の全てを魔界へと塗り替えるのだ。


「ヒヒ、ヒヒヒヒ。利用出来るものは利用しないとねぇ。」


 彼は再び含み笑いを上げた。


「さて、では僕は新たな魔界の偵察でもーー」


 しようか、そう言いかけた時、先ほど出て行ったはずのミアが戻ってきた。珍しく焦りが表情に浮かんでいる。普段ニヤついた笑いの下に感情を隠している彼女が、ここまで冷静で無い事は初めて見たというレベルで、表情を崩していた。


「うん ?どうした?」


「……その、えーと。」


 不自然な言い淀み。何事かと問いただそうとしたドミネアの体が急に重くなった。


「ぐっ……!?」


 彼は玉座から立ち上がろうとして、思わずバランスを崩して倒れた。


「ど、どうされました!?」


「いや、急に、体が重く……。」


 急に体の負荷が二倍になったような、否、急に体の力が半分になったような、そんな感覚。ドミネアは訝しんだ。なんだこれは。こんなものを味わった事はない。


 いや、違う。


 このくらいの体力だった頃があった。


 何時だったかは思い出せないが。


「その、魔王様。例の一行についてですが。」


「あ、あ?今それを聞かないとダメかな?」


 苛立たしさを隠さずにドミネアが尋ねた。


「はい。その、恐らく、魔王様の今の状態に関係しているものと思われるので。」


「……なんだい。」


「まず、セルドラールと魔界の間の穴が、落盤によって塞がれました。」


「なに?」


 ドミネアは驚愕した。あの穴は、魔界の大穴と比べると大きさはそれほどではないが、それでも開けるためには、希少種であるサイクロプス五体を十年単位で使い倒して漸く成ったのだ。それが落盤ごときで塞がれると?


「な、何かの爆発音がしたとの話があります。爆薬を使われた可能性が高いとのことです。」


「爆発……!?そんなもの人間の兵士達が持っていたの!?」


「分かりません、現在、調査中とのことでした。そ、そして、その現場の近くに、これがありました。」


 そう言ってミアは、魔法で作られた映像記録装置ーー所謂ブルーレイなどに当たるものーーを取り出した。


「確認しましたが、爆発魔法のような時限装置はありません。」


「……見よう。」


 ミアは肯くと、再生を開始した。



『やあ魔王様。いや、元魔王様といった方がいいかな?魔界はオレが乗っ取った。返して欲しければセルドラールを解放しろ。』


 映像の中の女ーーレイが、魔王城の玉座でふんぞり返りながら言い放った。

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