第9話
男性は喜びの顔となり名刺を取り出し、俺に渡した。それには男性の名前と同業の会社名と経理部長の肩書が記されていた。
「申し遅れた、私はこの会社の経理の者でね、じつはもうすぐ半期決算なのに一人急に辞められてしまってね。御存知のとおりうちの業界は経理も特殊で、急に求人しても即戦力にならんのだよ。これも何かの縁だ、うちに来ませんか」
あらためて名刺を見て会社名を確認すると知っている会社で、前の会社より格上の会社だった。
俺はすぐさま承諾した。
「就職できて良かったですね」
「うわっ、お前か、どこから声かけているんだ」
再就職が決まり、通勤して一週間経った頃だった。帰宅途中の電車に揺られていてふと窓から外を見ていたら、死神が電車に並走しながら声をかけてきた。飛ばないで走っているのが不気味だ。
目的の駅に着いて、電車から降りると死神が近づいて来る。息ひとつ乱れてない、当たり前か。いや、当たり前なのだろうか。
「どうです、未来予想。なかなか役に立つでしょう」
「まあな、前よりいい会社に就職できたし、上司とも折り合いが好いし、給料も上がった。役に立ったと言わざるをえないな」
「では、正式契約をなさいますか」
死神はうかがうように俺を見た。
「まだいいだろう、お試し期間めいいっぱい試させてもらうよ」
「そうですか」
死神は少しがっかりした様子だったが、こちらとしては、無料お試し期間の途中契約で本契約なんて勿体ないじゃないか、と思うのは当然だろ。
「ではまた」
そういうと死神は駅の外の雑踏の中に消えていった。
こうしてみると本当に目立たないな、まあ存在感のある死神なんての方がおかしいか。
それから一週間はメールは来なかった、あれっきりでおしまいなのかなと少し不安でもあったが、今は新しい会社での新しい生活に慣れるのに精一杯であった。
さらに一週間が経った。
俺は今の生活が気に入っていた、決まった時間に起き、決まった時間に出かけ、決まった時間に仕事が始まり、決まった時間に昼休みになり、決まった定食を食べ、決まった時間に仕事が再開し、決まった時間に退社して、決まった時間に帰宅し、決まった時間にテレビを観て、決まった時間に寝る。
判を捺したような生活、何の変化もない生活、俺の望んだ生活が戻ってきた。
「御満足ですか? 」
お気に入りのドラマのCM中に、死神がテレビの中から話しかけてきて、思わず飲んでいた発泡酒を吹き出した。
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