9

きっと違う、俺の思い過ごしだ。


落ち着け、落ち着くんだ…


何度も自分に言い聞かせた。


でも不安は胸の奥に募っていくばかりで…


アパートの前に停まる救急車を見た瞬間、俺はバイクを投げ出し、泥に足を取られながら、足を縺れさせながら、走り出していた。


アパートの階段下に群がる幾つもの傘の間をすり抜け、救急隊員を力任せに押し退けた。


「君…!」


制止する声なんて、俺の耳に届いてなかった。


「翔真さん! なんで、どうして!」

「君、落ち着いて」


叫ぶ俺を、一人の救急隊員が取り押さえた。


「放せ! 放せってば! 翔真さん…翔真っ!」


俺の叫びは、一層強く降り始めた雨音と、救急車のサイレンに掻き消された。




病院へと搬送された翔真さんは、幸いにも大して大きな怪我もなく、打撲程度の物で済んだ。


当然だけど、翔真さんのご両親も、病院からの連絡を受けて病院へと駆けつけた。


「申し訳ありませんでした。俺が目を離したせいで翔真さんにこんな怪我させてしまって…。ごめんなさい」


俺は血相を変えて病室に駆け込んできたご両親を見るなり、二人に向かって頭を深々と下げた。



責められる…

もしかしたら殴られるかもしれない…



そう思っていた。


だって俺はどれだけ責められても仕方がないことを、翔真さんに対してしてしまったんだから…


それなのに…


「頭を上げなさい。君が謝る必要はない。聞けば、翔真が自分で階段から足を滑らせたそうじゃないか。君のせいではないよ」


翔真さんのご両親は、俺を責めることを一切せず、それどころか


「そうよ、頭を上げて頂戴? あなたは良くやってくれたわ。だから自分を責めないで?」


ポロポロと涙を流す俺に向かって、ハンカチを差し出してくれた。


「でも…」


俺が目を離さなければこんなことにはならなかった筈。


いや、違うな…


俺はどこかで油断してたんだ。


寝たきりに近い状態の翔真さんが、自分の足で立って外へ出ることなんて、出来っこないって…


俺が傍にいない…、それが翔真さんにどれだけ不安を与えてるかなんて


俺をどれだけ必要としてくれてるかなんて、俺は考えてもなかったんだ。


翔真さんのご両親は、井上先生の薦めもあって、翔真さんを暫くの間入院させることに決めた。


俺は迷うことなく、付き添いを申し出た。


完全看護だから付き添いは必要ない…


当然そう言われると思っていた。


でも、翔真さんのご両親は俺の願いを受け入れてくれた。


昼間の時間だけ、の条件付きではあったが…


それでも良かった。


翔真さんの傍にいられるなら…


たとえ僅かな時間でも、

たとえ言葉が交わせなくても、

翔真さんと同じ時を、同じ空間で過ごせるなら…


それだけで良かった。


それだけで俺の胸は幸せに満ち溢れていた。



その分、夜アパートに帰ると、翔真さんのいない部屋が酷く広く感じて、込み上げてくる寂しさを堪えきれず、一人涙を流した。


介護と言う呪縛から解放されて、気持ちは少しだけ軽くなったような気になっていた。


でも、それ以上に、翔真さんが傍にいない事実が、虚無感となって俺を苛んだ。


夜ベッドに入ると、翔真さんの匂いが染みついたジャンパーを胸に抱きしめて眠った。


それだけで、病院にいる筈の翔真さんが、すぐ隣にいるように感じられた。










あの日、深夜に電話がかかって来るまでは…






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