6

「ねぇ、相原さん?」


二木の声に我に返り、慌ててマグを口に運んだ。


熱いコーヒーを一口啜ると、苦味だけが口の中に広がった。


「こんなこと言うのなんなんだけどさ…。そろそろ限界なんじゃないの?」

「限界、って何が…? 何が言いたいの?」


二木が言いたいことなんて、本当はもう分かってる。


でもあえて聞いたのは、自分の中で“限界”を認めたくなかったから…


「これからさ、もっと大変になってくわけじゃん? 今後さ、今日みたいなことが頻繁に起きるようになったら、相原さんもたないんじゃないか、って…」


二木が視線をガラス戸の向こう側へと向ける。


「俺は大丈夫だよ。ほら、俺体力だけは自信あるからさ」


強がって見せるしか出来なかった。


「体力だけのこと言ってんじゃなくてさ、ココの問題?」


二木が自分の胸を手で抑える。


「心配してくれるのは有難いけどさ、俺、この性格じゃん? 大丈夫だよ、安心して?」



本当は泣きたいのに…

本当は苦しくて堪らないのに…



それでも俺は二木に向かって笑って見せる。


無理にでも笑ってないと、自分がおかしくなって行くんじゃないか、そう思っていた。


いや、もしかしたらもうおかしくなってんのかもしれないな…


「そっか…、分かった。でも何かあったら、遠慮せず俺を頼って? いいね?」


俺は二木の真剣な眼差しに、ただ偽りの笑顔を浮かべ、無言で頷いて見せた。




二木の不安が現実になるまで、そう大して時間はかからなかった。


翔真さんが失敗をする度…

我儘を言う度…


俺は怒りに任せては、ことあるごとに翔真さんを怒鳴りつけた。


ただ、手を上げることだけは、絶対にしなかった。


それをしてしまった瞬間、俺達の関係は終わるんじゃないか、って思っていたから…


部屋にはいつしかゴミが溢れ、それまで小まめに作っていた介護食も、インスタントの物が多くなった。


当然会話もなくなり、俺から翔真さんに話しかけることは、殆ど無くなった。


翔真さんは一日の殆どを寝て過ごし、たまに起きたかと思えば、奇声を発したり、ゴミを物色したり…


俺はそんな光景を目にする度、翔真さんが泣き疲れて眠るまで怒鳴りつけた。


薬を飲ませることすら、疎かにしがちになって…


一度井上先生から電話がかかってきたけど、忙しいことを理由に、“近いうちに“とだけ言って電話を切った。


忙しくなんてないのに…


そんなある日、福祉課の人間だと名乗る人達が、俺のアパートを訪ねて来た。


近隣住民からの通報があった、とその人達は言った。


昼夜を問わず響く泣き声と、怒声…それに部屋から漏れる異臭が問題になった、と…



アイツだ…、隣に住んでるアイツ。

アイツが通報したんだ。



俺は腸が煮えくり返るのを感じていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る