3

「翔真さん…、どうしたの?」


翔真さんの前にしゃがみ込み、肩に触れようとした手が、振り払われる。


その目に浮かんでいるは、明らかな拒絶の色で…


分からないだろう、忘れてしまうだろう、って勝手に思い込んでいたのは俺で、翔真さんは肌で感じているんだ…


この場所にいることが翔真さんにとってどれだけ辛いことなのか…


分かってなかったのは、寧ろ俺の方だ…


「ごめんね…」


ポロポロと涙を流し始めた翔真さんの頬に手を伸ばす。


でもその手は、頬に触れる直前でピタリと止まる。


また振り払われたら…


そう思ったら、それ以上触れることはおろか、手を伸ばすことすら出来なかった。


「帰ろ? アパート…帰ろ?」


俺の言葉に、翔真さんが泣きながら首を何度も縦に振る。


「あの、すいません。折角なんですけど…ごめんなさい」


高橋さんに向かって深々と頭を下げ、俺は倒れたパイプ椅子を直した。


床に落ちてしまったジャンパーを拾い、しゃくり上げるように泣き続ける翔真さんの肩に掛けた。


「帰るよ?」

「…帰る? 一緒…?」


きっと今の翔真さんには全てが不安で仕方ないんだ。


「本当にいいんですか? あなたが思う程、認知症患者の介護は楽じゃあありませんよ?」


俺の背中に向かって高橋さんが言う。


その口調が、俺には酷く事務的に感じて… 


「分かってます。でも俺、別にここに入院させるつもりで見学に来たわけじゃないですから。それに何より、本人が望んでませんから」


そうだ、そもそも翔真さんを入院させるつもりなんて、俺にはなかったんだ。


ただ、そこが…精神病院ってとこがどんな所なのか、現実を見たかっただけなんだ。


その上で、今後のことを考えよう、そう思ってたんだ。




トボトボと俺の後ろを着いてくる翔真さんを、時折気にしながら歩く、駅までの道すがら…


俺はある看板が気になっている、足を止めた。


『桜祭り開催中』


もうとっくに桜の時期は終わったと思ってたのに、まだ咲いてる場所があるなんて…


「行ってみようか?」


俺は翔真さんを振り返り、右手を差し出した。


もうこの手を握ってくれることはないかもしれない…


そう思ったら、ほんの少しだけ指先が震えた。


「行こ?」


もう一度だけ聞くと、翔真さんは何の躊躇いもなく俺の手を取った。


いつものように、ごく自然に…


俺はその手をキュッと握り締めると、看板に記してある矢印の方に足を向けた。


民家すら疎らな田舎町。


昼間だというのに擦れ違う人も殆どないまま、俺達は目的の祭り会場に着いた。


祭り会場、とは言っても、街中で見かける屋台が並んで、花見客がいて…なんて光景は全くなくて…


賑やかな祭り風景を想像していた俺は、少なからずガッカリと肩を落とすしかなかった。


それでも樹齢何百年と言われる薄墨桜の古木を見た瞬間、俺はその幻想的な姿に息を呑んだ。


満開の花を咲かせているわけでもないのに…

ともすれば恐怖さえ感じるのに…


どうしてだろう…


その桜を見た瞬間、俺は美しい…


間違いなくそう思ったんだ。


「きれいだね…」


俺の隣で、同じように桜を見上げていた翔真さんがポツリ呟く。


当たり前のことなんだけど、翔真さんにまだ美しい物を素直に美しいと思える感情が残されていることに、喜びを感じてしまう。


「うん、綺麗だね」


そう言ったっきり、俺達は大して会話を交わすことなく、時折吹きつける風に揺れる桜の木を、ただじっと見上げていた。

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