潤一の話では、大田先輩が留学を決めたのは、大田先輩自身の考えではなくて、留学するよう強引に薦められたからだそうで…


その強引に薦めてきたのは、他でもない、翔真さんのお父さんで…


一度は断ろうとした大田先輩に、留学費用から、向こうでの滞在費に至るまで、全てにおいて援助をするという条件を提示してきたらしい。


そこまでされると、元々本格的に絵の勉強をしたかった大田先輩も、流石に首を縦に振るしかなくて…


結局二年だけ、という約束の下、留学を決めた。


でも二年経っても大田先輩が帰国を許されることはなく、そこで大田先輩は気付いたんだ。


翔真さんと別れさせるための、体のいい口実だった、ってことに…


「じゃあ、何? 翔真さんは大田先輩に振られたわけじゃない、ってこと?」


だとしたらどうして、大田先輩は翔真さんの元に帰って来ない?


「まあな…、そうなるかな?」


潤一らしくない、歯切れの悪い、歯に物が詰まったような言い方だ。


「帰って来れない事情が出来た、ってこと?」


それしか考えられない。


「向こうに新しい恋人でも出来たとか?」


もしそうなら、今だに大田先輩が帰国しないのも、納得が行く。


「うん、そんなところだな」


潤一が自販機に小銭を放り込み、ボタンを一つ押した。


ガコンと音を立てて落ちてきたペットボトルを取り出すと、それを一気に煽った。


空になったペットボトルをゴミ箱に放り込むと、潤一が翔真さん達が座るベンチの方に視線を向けた。


そしてフッと息を吐くと、長い睫毛に縁取られた瞼を伏せた。


「翔真さんさ、大田先輩に一度だけ電話したらしいんだ。…勿論、ああなる前だけどな? 待てど暮らせど帰って来ない大田先輩に、業を煮やした、っつーかさ…。で、そん時に大田先輩口滑らして、お父さんと交わした条件、話しちまったらしいんだ…」


そんなことが…


きっと翔さんは、ずっと待ってたんだ…、大田先輩の帰りを…


自分の親が、裏で画策してたなんて知らずに…


「その後かな…。翔真さんの様子がおかしくなって、会社もクビになって…。で、ホームレスになった所を、お前が拾った、ってわけだ」


確か、井上先生が言ってたことがある。


老人性の認知症と違って、若年性の場合は、酷いショックを受けたことが原因で、発症する可能性がある、って…



だとしたら、あまりにも悲しすぎるじゃないか…



いつしか子供たちに混じってキャッチボールを始めた翔真さん…


その無邪気な笑顔に、胸が締め付けられる。


「辛いな…」


潤一がタバコを一本咥え、そこに火を付けると、煙を吐き出しながらポツリ呟いた。


俺はそれに言葉を返すことなく、自然に溢れ出た涙を、ジャンパーの袖で乱暴に拭った。

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