中には一万円札が数枚と、通帳、それにカードのような物が入っていた。


通帳の名義は翔真さんの名前になっている。


「奥様が、坊ちゃんのためにと…」

「翔真さんのため…?」

「坊ちゃんの治療のためにお使い下さいと、奥様が…」


漸く呼吸が落ち着いてきたのか、お手伝いさんが俺の背後にある和人の車に目を向けた。


そして皺を刻んだ両手で俺の両手を包み込むと、そこに額を擦り付けるように、深々と頭を下げた。


その肩が少しだけ震えている。


「どうか…、どうか坊ちゃんをよろしくお願いします」


弱々しいけど、でもはっきりとした口調だった。


「分かりました。それにコレ、ありがとうございます。助かります」


俺は握り込まれた手を一つ抜き取ると、お手伝いさんの手の上に重ねた。


やがて俺とお手伝いさんの手は解かれ、お手伝いさんはその涙に濡れた頬を、エプロンの裾で拭った。


「じゃ、行きますね?」


俺はお手伝いさんに向かって軽く頭を下げると、車に向かって踵を返した。


「あ、あとこれを…」


背中を向けた俺に、思い出したようにお手伝いさんの声がかかる。


俺は身体ごとお手伝いさんを振り返ると、その手の中にある小さなメモを受け取った。


そこにはいくつかの数字が並んでいて、見た瞬間に携帯電話の番号だと分かった。


「奥様の電話番号です。坊ちゃんに何かあればこちらへと…」


”何か”


その言葉が俺の中で僅かにチクリと刺さったような気がした。


出来ることなら、その”何か”で連絡を取ることはしたくないけど…


「分かりました。あの、また連絡します、ってお伝えください。それと、翔真さんのことは、俺達で責任をもってお世話するんで、心配しないでくださいと…」


そうだ、翔真さんは俺が守る、って決めたんだ。


「お願いします」


お手伝いさんがまた頭を深く下げたのを見て、俺は再び翔真さんが待つ車に向かって走り出した。


「あ待たせ」


ドアを開け、後部座席のシートに身体を沈めると、窓を開け、泣き顔で俺達を見送るお手伝いさんと、その向こうで庭木に隠れるように見守る翔真さんのお母さんに向かって、小さく頭を下げた。





「そう言えば…」


翔真さんの家が遠く見えなくなったところで、俺はポケットの中に捻じ込んだ封筒を取り出した。


「何です、それ」

「翔真さんのお母さんからなんだけど…」


改めて封筒の中を覗き、中身を膝の上に出した。


「嘘だろ…?」


封筒の中には、現金が10万円と、翔真さん名義の通帳と印鑑、それにキャッシュカード、後は…マンションのカードキーが入っていて、俺は恐る恐る通帳を開いた。


「マジか…」


そこには見たこともないような数字が並んでいて、俺の通帳を持つ手が少しだけ震えたのを感じた。


「どうしよう二木…。こんなの預かれないよ…」


俺は震える手で現金と通帳を封筒に戻すと、情けない声を上げた。


「まあ、確かにね…」

「だろ? それこそ金目当てだって思われそうじゃん?」

「でもさ、考えてもご覧よ? 今後のこと考えるとさ、必要なんじゃないですか?」


それはそうだけど…


”金目当て”だなんて、誤解はされたくないんだ。


「とりあえずさ、預かっといたら? で、最悪…」


言いかけて二木が先の言葉を飲み込んだ。


でも言わなくても俺には分かる。


今はいい。

俺がバイトの間は二木が翔真さんを見ててくれるから…


でもこの先のことなんて、はっきり言って想像もつかない。


「はあ…、分かった。一応預かっておくよ」


溜息を一つ落として、俺は封筒をポケットにまた捻じ込んだ。

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