違う…、ここじゃない…

ここでもない…

どこだ…


ここは本当に俺が生まれ育った家なのか?

それすらも分からない…


気付けば俺は二階へと続くであろう階段の下に、呆然と立ち尽くしていた。


「坊ちゃん…? そんな所で…、まぁ!」


その声に、俺は一気に我に返る。


「どうしましょう…、奥様…!」


声の主は、俺を見るなり、慌てた様子で廊下の奥へと消えて行った。


一体何が…


「えっ…? 嘘、だろ…?」


下半身に熱く濡れた感触に気付いた瞬間、俺は崩れるようにその場にへたり込んだ。


知らず知らず涙が溢れては俺の頬を濡らしていくけど、それを止める術さえ、俺には分からなかった。


「……まぁっ!」


駆け付けた”お母さん”が、一瞬息を吞んで、口を両手で覆った。


「あ…あなた、翔真が…!」


驚き、なんだろうな…?

その声は震えている。


「ああ、どうしたらいいのかしら…」


”お母さん”はオロオロとその場を何度も行ったり来たりで…


時折俺を見ては、まるで汚い物でも見るように、顔を背けた。


見るなよ…

見ないでくれよ…


「そんな目で俺を見るな…!」


俺は床に尻を付けたまま、その場から逃れるように後ずさる。


「見ないで下さい…、お願いだから…見ないで…」


涙が後から後から溢れて止まらなくて、壁に丸めた背中を預け、抱えた膝に顔を埋めた。


誰か助けて…!


「翔真さん、大丈夫だから…、ね? 落ち着いて?」


俺を包み込む腕と、宥めるように囁きかける声…


「雅也? 雅…、俺どうしちゃったの? なぁ、俺…俺っ…」


「大丈夫。俺が付いてるから、ね? ほら、捕まって?」


雅也が俺の手を引き、自分の首に巻き付ける。


「あの、翔真さんの部屋は…」

「あ、は、はい、こちらです…」


身体がフワッと浮き上がるのを感じて、俺は雅也の首にしがみ付いた。


「とりあえずさ、着替えよ?」


雅也が俺を抱きかかえたまま、階段を一段、また一段と昇って行く。


どうしてお前は、こんな俺のこんな姿を見て、笑顔でいられるんだ…


どうしてお前の腕は、こんなにも暖かいんだろう…





俺の粗相した後始末を、雅也が黙ってしてくれる。


それに比べて俺ときたら…


粗相をしたのは俺なのに、何一つ出来ずにいる。


「すまない…」


そう繰り返す度、雅也は無言で笑って首を振る。


その目は酷く慈愛に満ちていて…


いっその事笑いとばしてくれたら、どんなに気が楽になるんだろう…


そう思わずにはいられなかった。


「よし、これでさっぱりしたでしょ?」


新しい下着とズボンに履き替えた俺を、そっとベッドに横たえながら、雅也がまた笑う。


「…すまない。お前にこんなこと…」


「もう、さっきからそればっかですよ? 謝んなくていいですから。それよりさ、ちょっと疲れたでしょ?」


そう言われれば、身体が酷く重たい。

それに頭も…


「俺、翔真さんが眠るまでここにいますから、ちょっと休んで下さい」


雅也の骨ばった手が、俺の髪を優しく撫でる。


その心地よさに誘われるように、俺の瞼はどんどん重みを増していき…


「大丈夫、俺が着いてるから…」


すぐ側にいる筈の雅也の声が遠くに聞こえ、暖かい物が俺の唇を掠めた瞬間、俺は全てを遮断するように意識を眠りへと落とした。


次に目が覚めた時も、俺が俺でいられるように…


そう願いながら…

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る