「着きましたよ」


二木の声に、それまで俯かせていた顔を車窓に向けた。


そこは閑静な住宅街で、中でも一際大きな家の前で、どっしりとした門構えの横には”桜木”の表札がある。


一度だけ自転車で通り過ぎたことがある。


もしかしたら翔真さんにバッタリ会えるかもしれない、そんな淡い期待を胸に抱いて…


俺は先に車を降りると、翔真さん側のドアを開けた。


「降りれます?」


そう言って手を差し出せば、


「あぁ、うん…」


小さく頷いて、翔真さんが俺の手を取った。


覚えていない…、そう思っていた。


それなのに翔真さんは一度も立ち止まることなく、門を抜け、玄関へと続く階段を昇って行く。


俺は二木と顔を見合わせると、その後に続いて階段を上り、翔真さんがインターホンのボタンを押す後ろ姿を、少し離れた場所で見守っていた。


『どちら様…。今開けますね』


恐らく中でモニターを確認しているんだろう、驚いたような声。

そして電子ロックが解除される音がした。


ロックが解除された門を開き、翔真さんがその奥へと足を踏み入れる。


ゆっくりと、足元を確かめる世に、一歩一歩足を進める翔真さん。


実家だもんね、覚えてるよね…って、俺も、そして二木もそう思って疑わなかった。


暫く進むと、漸く見えて来た玄関から、エプロン姿の女性が、こちらに向かって小走りで走って来るのが見えた。


そして翔真さんの前で立ち止まると、皺をたっぷりと蓄えた顔を綻ばせた。


「お帰りなさいませ。お元気そうで…」


すぐ傍にいる俺達に目をくれることもなく、女性は翔真さんの手を握った。


翔真さんの家には、お手伝いさんがいる、と噂で聞いたことがあるけど、きっとこの人がそうなんだろう…


それなのに翔真さんの口から零れた言葉は、


「ただいま、お母さん。お母さんこそ、元気にしてた?」


瞬間、俺は天を仰いだ。


やっぱり何も覚えちゃいなかったんだ。


その証拠に、女性の顔からはそれまで浮かんでいた笑顔はすっかり消え失せ、代わりに眉間に寄せた深い皺に戸惑いの色が浮かんでいる。


「な、何を仰ってるんですか? やですよ、年寄りを揶揄って…」


おどけた口調だけど、その声はやっぱり困惑を隠し切れていなくて、


「あ、あの…」


俺は思わず女性に向かって声をかけた。


「あの、俺、相原雅也って言います。コイツは二木和人。俺達、実は翔真さんの高校の後輩で…」

「そう、でしたか…」

「あの、実は…」


そこまで言って、俺は途端に口籠ってしまう。



どう説明したらいい?



すっかり言葉に詰まってしまった俺は、二木に助けを求めた。



どう説明したらいい?



そんな俺の気持ちを察したのか、二木が小さく息を吐いた。


「実は、翔真さんのことで、ちょっとお知らせしたいことがありまして…。翔真さんのご両親は…?」


「は、はあ…、ご在宅ですが…」


怪訝そうな顔で、女性が玄関の方を振り返った。


「会わせて頂くことって、出来ないですか?」

「ちょ、ちょっとここでお待ち下さい。確認して参りますので…」


それだけを言い残して、女性は玄関に向かってまた草履の踵を鳴らした。


「とりあえず第一関門突破、ってとこだね?」


二木の顔に、一瞬安堵の色が浮かんだ。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る