「怖いんだ…。怖くて怖くて、仕方がないんだ…」


落ち着きを取り戻した翔真さんが、俺の胸に顔を埋めたまま、ポツリポツリ言う。


きっと自分が自分でなくなって行く恐怖と、翔真さんは闘っているんだ。


守ってやりたい…

でも俺に何が出来る?


ただこうして抱き締めることしか出来ない俺に、何が出来るんだろう?


「大丈夫だから。俺が付いているから」


言葉では何とでも言える。


でも実際は…


それでも今は…、今だけはそれが無責任な言葉だと分かっていても、言わずにはいられなかった。


「今日は中止にします? その調子じゃ余計に混乱させるだけだし…」


二木が振り返る。

その顔は、いつになく険しい。


俺も二木の意見には賛成だった。


これ以上、翔真さんを混乱させるのは、翔真さんにとっても”いいこと”ではない、そう思ったから。


でも翔真さんは…


「二…木…?」


完全に冷静さを取り戻したのか、翔真さんが俺の胸の中で呟く。


「俺は一体何を…?」


ゆっくり俺の背中に回した腕を解き、窓の外に視線を向けた。


「ここは高校?」


後部座席の窓を開け、窓の外に顔を出す。


その様子に、俺と二木は顔を見合わせた。


この状況を、どう説明したらいい?


きっと今の翔真さんは、至って”普通”の状態、なんだと思う。


だとしたら、さっきまで自分があれ程取り乱していたなんて、思ってもいないだろうし…


窓の外に出していた顔を戻し、翔真さんが俺を覗き込む。


「あの…実は…」

「ドライブ、ですよ」


言いかけた俺の言葉を遮るように、二木が言う。


「翔真さんが言ったんですよ? 仕事ばっかりで、たまには息抜きしたい、って言ったの。ね、相原さん?」

「えっ、あ…うん」


機転を利かせてくれたんだ、とは思っていても、突然フラれて、一瞬慌てた俺の声は、自分でも驚く程ひっくり返っていた。


「そうだったな、俺が誘ったんだよな…」


二木の機転を利かせた言葉に、暫く考え込んでから、翔真さんが漸く口を開いた。


”分からない”ってことを逆手にとるのは、正直気が引けた。


でも、今は”分からない”ことを利用するしかななくて…。


少しでも場を和まそうとおどけてみせる二木を他所に、俺は一人熱くなった目頭を、こっそりと抑えた。


「懐かしいな…」


そう言った翔真さんが思いを馳せているのは、きっとこの景色じゃない。


あの人…大田先輩だ。


顔なんて、見なくても分かる。

早くこの場から立ち去りたい。


去ってしまったあの人を思い出して、悲しい目をする翔真さんを、これ以上見ていたくない。


だから、二木が「帰ります?」と言った時、俺はそれまで車窓に向けていた視線を、漸く車内に戻した。


それなのに、翔真さんは車が走り出した瞬間、「実家に寄ってくれ」と言った。


もういいんじゃないか…

今日はもうこのまま帰りたい…


そんな俺の思いとは裏腹に、車は今来た道を引き返していく。


俺は、一度は離れてしまった翔真さんの手をもう一度握ると、そっと肩を抱き寄せた。


それは翔真さんを安心させるためなんかじゃない。


もしかしたら、俺自身が俺の肩に頭を預けてくる翔真さんの手を離したくないと、そう思ったからなのかもしれない。

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