第8章 節

翔真さんの顔が真っ直ぐ見られなかった。


違うな…

不安そうに俺を覗き込む翔真さんの顔を見るのが、辛かったんだ。


まさか翔真さんが…

俺があれ程憧れた、翔真さんが“認知症”だって?


詳しい検査をしてみないと、ハッキリとした診断は出来ない…井上先生はそう言った。


でも、簡単なチェックでも、かなりの確率でソレであることは間違いない、とも…


頭の中がグチャグチャで、翔真さんの手を引いて、二木の車に乗り込むのがやっとだった。


車が動き出すと同時に、ウトウトし始めた翔真さんの頭を肩に乗せ、車窓の景色に目を向けた。


「井上さん、何だって?」


二木とミラー越しに目が合う。


「ま、その顔見りゃ、大体想像は付きますけどね?」


なら聞くなよ…


俺はため息を一つ吐き出して、ミラーに映る二木から視線を逸らした。


「でもさぁ、真面目な話…。井上さんの診断が正しかった、として、アンタどうすんの?」


俺もソレを考えていなかった訳じゃない。


偶然とは言え、関わってしまった以上、このままにしておくつもりもない。


「やっぱりちゃんとご両親に話した方が良いでしょうね…。我々が面倒を見るのも、おかしな話ですから…」


二木の言うことは、尤もだった。


認知症だと、仮にでも診断を下された今、最早この人は、俺の知っている“桜木翔真”であって“桜木翔真”ではないんだから…。


途切れがちだった会話が完全に止まった時、車窓を流れる景色が、見覚えのある風景へと変わった。


「二木、そこで停めてくれる?」


運転席と助手席の間から身を乗り出し、前方を指さす。


その先に見えるのは、俺達の青春の象徴とも言える建物。


「懐かしいですね…」


二木がポツリ言う。


二木も、そして俺も、久しくこの街には帰って来てなかったから、胸に込み上げてくる懐かしさは一入だ。


俺は肩に頭を預けて眠る翔真さんを揺り起こした。


「見て? 懐かしいでしょ?」


この風景を、翔真さんだってきっと懐かしく思う筈…


そう思って、俺は未だに鮮明に残る翔真さんの姿を、嬉嬉として話して聞かせた。


覚えてる、そう思っていたんだ。


でも、現実はそうじゃなかった。


俺がどんなに思い出を話して聞かせても、翔真さんの顔に笑顔が浮かぶことは一向にない。


ダメか…


「覚えてないか…」


俺はシートに深く身体を埋め、ため息を一つ落とした。


「…ごめん」


隣で翔真さんがポツリ呟く。


そしてそれまで握っていた手が、そっと解かれた。


項垂れた肩が揺れている。


泣いてるんだ…そう思った。


でも違ったんだ。


「うぁぁぁっーーーーーーっ!!!!」


突然激しく頭を掻き毟り、悲鳴にも似た叫びを上げる翔真さんを、腕に抱きとめた。


「ごめん、ごめんね、翔真さん! 俺が混乱させるようなこと言ったから…。ごめん…」


腕の中で翔真さんがフーフーと呼吸を繰り返すのを、俺はただ抱き締めることしか出来なかった。


苦しいのは…

辛いのは翔真さん自身なのに…


なのに俺は…

ごめん、翔真さん…


俺の胸に顔を埋めて泣く翔真さんの背中に回した手で、そっと小刻みに震える背中を摩ってやる。


すると荒かった呼吸が、少しずつ落ち着き始め、いつの間にか俺の背中に回した手で、まるで何かに縋るようにしがみ付いて来た。


良かった…


俺は運転席から事の成り行きを見守っていた二木に視線を向けると、小さく頷いて見せた。


もう大丈夫だ…、って…

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