第4章 ga
1
自分がおかしい…
それは薄々気付いていた。
時折飛ぶ記憶。
自分では理解出来ない言動の数々。
そう、まるで俺が俺じゃなくなるみたいな…
始めはそんな感覚だった。
でもそれは日を追うごとに増えて行き、ついには一日丸っと記憶が抜け落ちることも…
結果俺は、会社を辞めた。
いや、違うな…
“辞めた”と言う言い方には、少々語弊があるかもしれない。
同僚の話によれば、取引先との商談の際に、俺がとった不可解な行動が、会社に多大な損害をもたらした結果、俺は会社から三行半を突き付けられたそうだ。
もっとも、俺にその記憶はない。
失意のどん底にいた俺は、街を一人彷徨い歩いた…と、そこまでは自分でも記憶している。
でも…
今のこの現状は…一体?
部屋を見回してみても、明らかに俺の記憶の片隅にある自分の部屋ではない。
それに、だ…
この隣にいる男は…誰だ…?
分からない…
考えれば考える程、自分の置かれた現状が分からなくなる。
俺は身じろぎ一つ出来ない狭いベッドの中で、首だけを隣で眠る見覚えのない男に向けた。
その時だった。
その男の瞼がパチッと音を立てて開いた。
そして俺と目が合うと、フッとその顔を綻ばせた。
あっ…その顔は…
「智樹…くん…?」
それは不意に俺の口を付いて出た、懐かしい名前だった。
俺の発した言葉が間違っていたのか、目の前の笑顔が、次第に悲しげに歪んで行く。
そして俺の頬に手が伸びて来たかと思うと、ゆっくりと口が動き始めた。
「俺は”雅也”だよ? 翔真さん、あなたの後輩の”相原雅也”」
雅也…?
俺の後輩…?
それに今俺のことを”翔真さん”と…?
この男は俺のことを知っているのか?
分からない…!
この男のことも…
そして自分のことも、何もかも…
疑問ばかりが頭の中を駆け巡り、窮屈なベッドの中、背中を丸め、俺は頭を抱え込んだ。
「ちょっと、どうしたの? どこか痛いの?」
慌てた様子で俺の身体を揺する手を、俺は乱暴に払い除けた。
「翔真さん、あんた一体どうしちゃったの?」
それは俺の台詞だ…
「分からないんだ、何も…」
自分が誰で、どこから来たのかすらも…
「ね、と、とにかくさ、ちょっと落ち着いて…。あっ、そうだ、腹、減ってない? 飯でもしない? 俺、用意してくっからさ、ちょっと待ってて?」
”雅也”がベッドから抜け出し、部屋を出て行く。
その背中を、俺は僅かに霞んだ視界の中で見送る。
あれ?
アイツ、誰だっけ…?
一瞬で頭の中に靄(もや)がかかったような…
そんな感覚だった。
俺は、今さっきの出来事すら、忘れてしまったんだ。
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