第19話 泳ぐもの


 Kさんというお爺さんは、日本海沿いの港町に住んでいた。


 今から六十年ほど前のことだ。

 当時、まだ子どもだったKさんは、毎日のように素潜りでサザエやウニを捕っては焼いて食べていたそうだ。

 しかし、Kさんは、ある時を境に、海に潜ることをやめてしまったらしい。


「海を抜き身の脇差しが泳いでいた」

 Kさんは神妙な顔で言った。


 その日、Kさんが潜ったのは、地元の人たちから、『弁天岩』と呼ばれていた岩場の突端からだった。弁天岩は、いくつかの岩が集まった岩礁で、一番大きな岩の上には、その名の通り、弁天様を祀った祠があったそうだ。

「別に誰もそこで泳ぐなとは言ってなかった」

 Kさんは、やましいことなんて何もしていない、と訴えるように呟いた。


「緑色に濁った海水の中を、ギラギラと銀色に輝く脇差しが、しゅーっと泳いでいたんだ。魚みたいに身体をうねらせて泳ぐんじゃなく、魚雷のように、とにかくまっすぐに進んでいた」

 Kさんは、それを目の錯覚かもしれないとしばらく眺めていたのだという。

 しかし、それはどこからどう見ても脇差しだった。

 柄に鍔、そして、刀身。

 刀よりはずいぶん短く見えたので、「あれは脇差しだ」と、そう思ったそうだ。

 脇差しは、Kさんが見ていることに気づいたようで、不意にその進行方向を変え、Kさんのほうに向かって突進してきたそうだ。

 Kさんは、あわてて岩場に逃げた。

 最初は不思議なものへの興味があったが、迫ってくるそれを見て、急に怖くなったそうだ。

 ごつごつした岩に手をかけ、身を海面から上げようとした瞬間、足首に鋭い痛みが走った。

 Kさんは、危うくまた海に落ちかけたが、何とか腕の力で岩によじ登り、海面から上がったそうだ。

 足には、刃物で切ったような切り傷ができていた。

 浅い傷ではあったが、塩水が沁みて随分と痛かったそうだ。


「ほれ、この傷がその時の傷だよ」

 そういうと、Kさんはズボンのすそをめくって見せてくれた。

 皮一枚で済んで良かった。

 Kさんはそう思ったのだそうだ。


 それ以来、怖くてKさんは素潜りができなくなってしまったらしい。

「次は、腹を刺されるかもしれんしな」


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