第20話 ほう
──そぎゃんことしとったら、『ほう』が来ぅけんの──。
Tさんは、幼い頃、何か悪さをするたびに、祖母からこのような叱られ方をしたのだという。
Tさんの祖母は、『ほう』が来る、とはよく口にしていたが、『ほう』が具体的にどのようなものなのかについては、ひとことも語らなかったそうだ。
Tさんが、まだ小学校四年生だった頃の話だ。
Tさんの近所の家の庭の一角に、入り口のない、竹藪に覆われた四畳半ほどの空間があったのだという。
中には荒神さんという神様がいらっしゃるそうで、絶対に入ってはいけないし、むやみにその藪の中を覗いてもいけない、といわれていた。
だが、遊びたい盛りの小学生だ。
罰が当たるなどと言われても、入りたくなるし、見たくなるのは当然のことだった。
Tさんは、ある日、藪の隙間を掻き分けて、中に入ってみたのだそうだ。
中にあったのは、苔むした墓石のようなものだった。
風雨にさらされて、灰白色になった標縄が巻き付けられていた。
Tさんは、正直、拍子抜けしたそうだ。
風が吹いて、さらさらと竹藪が鳴った。
無性にむなしくなったので、Tさんは、その場を去ったのだそうだ。
その夜のこと。
Tさんは、何故か夜中に目が覚めた。
こんな時間に目が覚めたのは初めてだったそうだ。
不思議と目が冴えていて、再度眠るのは難しそうな状態だったという。
「……ぉぉぉう」
不意に、何かの鳴き声のようなものが微かに聞こえた。
ずいぶんと野太い声だったらしい。
「ぉぉぉう」
窓の方から聞こえるようだった。
Tさんが窓の方を見ると、ガラス窓に奇妙な何かがへばりついていた。
月明りでシルエットしか見えなかったが、毛むくじゃらの赤ん坊くらいの頭に、蛸の足がくっついたようなものが、ガラス窓に張り付いていた。
ただ、その目は夜行性の動物のように光っていた。
全体的に金色のような色合いをした眼に、瞳が横につぶれたような形をしていて、まるでヤギの眼のようだったという。
「ぉぉぉおおう」
それがひときわ大きな鳴いた。
その生き物が激しく身体を揺らしていた。
ガラス窓ががたがたと音を立てた。
Tさんは、あいつが入ってこようとしているのだ、と思ったそうだ。
何なのかわからないけれど、とにかく恐ろしくて仕方がなかったTさんは、布団を被って、息を殺してその奇妙な生き物がどこかに行くのを待ったという。
そうしているうち、いつの間にか彼女は眠ってしまったようで、朝になっていたそうだ。
それで、おばあさんは、その生き物のことは、なんとおっしゃったんですか? とTさんに尋ねると、
「この話は、祖母にはしませんでした」
Tさんは、首を振った。
「入っちゃいけないと言われたところに入ってしまったので、怒られるのが嫌だったというのもありますし、何故か当時は、アレについて誰かに話したら、もっと怖いことになるような、そんな気がしていたので、誰にも話せませんでした」
小さくため息をつくTさん。
「アレが祖母の言っていた『ほう』だったのか、また別の何か野生の動物なのか、それはわかりません。そもそも、藪の中に入ってしまったからアレが来たのかもわかりませんし。結局、それからずっと何事もなくて、今こうしてお話しているわけなんですけれどね」
少しおどけた表情でTさんは続けた。
「今にして思えば、怒られても良いから、あのとき話して聞いておけば良かったですね。もしかしたら、私を怖がらせたくて祖母が勝手に作った想像上の生き物だったかもしれないですし。もう祖母は亡くなってしまったので、真相は藪の中、なんですけどね」
結局、『ほう』が何なのかはわからない。
「報」だとか、「封」だとか、「奉」といった漢字を当ててみたりするが、それに意味があるのかはわからない。
単純に「ほう」と鳴く何かだから、そう命名されただけなのかもしれない。
何か土着の伝承だったのかもしれないし、UMAのような未知の怪物的なモノだったのかもしれない。
Tさんが言うように、彼女の祖母が想像した妖怪のようなものだったのかもしれない。
結局、それが何なのかはわからなかったが、話してくれたTさんに、和風ハンバーグ定食を奢った。
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