第17話 浜辺で

 ウィンドサーフィンが趣味だったOさんの話。


 その日、Oさんは朝の四時からサーフィンを始めたのだという。

 何故そんな早朝に、と質問すると、サーファーの間では、早朝にサーフィンを楽しむのはごく普通のことだと答えてくれた。早朝が最も波の状態もよく、遊泳をする人も少ないからなのだそうだ。


「まだ暗かったけど、一応、足元とかは見えるくらいには、うっすらと明るい状態だったかな」

 Oさんが浜辺に着くと、先客がいたのだという。

「浜から二、三メートルくらいかなあ。だいたい水の深さが三十センチくらいある場所にさ、なんか女の子が立ってんの。黄色いビキニの女の子。なんでこんな朝早くからこんなとこに? って思って、ボードを一旦置いて、彼女に近づいたのよ」

 女の子は、全く動く気配がなかったのだという。

「結構可愛い子でさぁ、年齢は二十歳くらいかな。ショートカットでわりと小柄な感じで。髪は茶色に染めてて、化粧はちょっと濃いめだったかな。いかにもギャルっぽい雰囲気だった」

 彼女は、Oさんが近づくと、はじめて彼の存在に気づいたようで、顔を上げた。

「でぇ、俺は彼女に、どしたのー? って声掛けたワケ」

 Oさんが声をかけると、彼女は蚊の鳴くような小さな声で、何かを呟いたのだという。

「聞こえないよー」

 Oさんは彼女の声が聞こえる距離に近づこうと海の中に入っていった。

 すると、彼女が急にOさんの腕を掴んできて、小さくこういったそうだ。


「一緒に」


 Oさんは、何故かそのとき、もしやこれは逆ナンでは!? と思ったそうだ。

 実はOさんがサーフィンを始めたきっかけも、モテたいという気持ちからだったそうなのだが、いつの間にかサーフィンそのものが面白くなって、趣味として楽しんでいたらしい。

「……いや今にして思えば、そんな時間に女の子が独りで海にいるなんて、かなり異常なことだとは思うんだけど、まあ、ちょっと可愛いかったから……」

 女の子は、ぐいぐいと自分のほうにOさんを引っ張ろうとしたそうだ。

 これはいける、と思ったOさんは、

「とりあえずさぁ、海から出てお話しよ?」

 と、逆に彼女の手のほうを引っ張って、浜辺に戻ろうとした。

 スポンという軽い衝撃があって、そのままOさんは浜辺に尻もちをついた。

「えっ」

 女は先ほどと同じ場所に立っていた。

 手には何かを握っている感触はある。

 手元を見ると、Oさんは、女の子の手首から先だけを握っていたのだという。

 腐乱した断面から、黒っぽい汁が垂れていた。

「あ、あ、え?」

 Oさんは叫んで、つかんでいた彼女の手を投げ捨てた。

 女の子の方を見ると、彼女は、いつの間にか、ふやけて赤黒く膨らんだ身体になっていた。髪の毛もところどころ抜け落ち、水着も着ていない状態になっていた。急に異常な臭いが鼻を突いてきて、吐き気が込み上げた。

 腐乱した女の子と目が合った。

 Oさんは絶叫し、記憶はそこでぷっつりと途絶えたのだという。


 気が付いた時には、浜辺を通りかかった人に揺さぶられていたそうだ。そんなに長い間気を失っていたわけではなかったらしい。

「スケベ心だして、陸のほうに戻って良かったわ……。あの女に誘われるまま一緒に海に入って行ってたら、どうなっていたことか」

 ひと通り話したところで、Oさんは内ポケットからタバコを取り出し、火を点けた。

「後で聞いても、特に溺死体が上がったとかそんな話もなかったし、そういう事故があったとかいう話も聞かないし。そういう夢を見たんじゃないかってサーフィン仲間には言われたけど」

 色々と思い出したようで、Oさんは眉間に皺を寄せる。

「でも、あのリアルさは、絶対に夢じゃない。あの吐きそうになる異常な臭いも、あの腐った手の感触も……。あんなん誰だって気を失うわって話だよ」

 Oさんは深く煙を吐いた。

「最後に目が合った時が、一番怖かったよ。唇の肉がなくて歯がむき出しの状態でもわかるんだぜ」

 

「あ、こいつ、今、笑った……って」

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