第15話 謝意


 山田さんが言うには、病院では、「奇跡」のようなことも時折起こるらしい。



 その日、ナースコールを受けたのは山田さんだった。

 行ってみると、患者のYさんが目をむいて喘いでいる。

 心電図のモニターに映しだされている心拍数が、どんどん下降していた。

 急いでドクターに連絡をする。

 ドクターはすぐにやってきた。しかし、Yさんの顔色は血の気が失せ、土気色だ。

 呼吸も止まっている様子だった。

 心拍数も下がり続けている。

「心臓マッサージを」

 ドクターの指示で、山田さん以下数名の看護師が動き出す。

 山田さんは、人工呼吸用の酸素バッグを押すように指示された。

 ドクターがYさんの胸を圧迫する。そのたびに、モニターに映る波形が揺らぐ。

 リズミカルに胸を押す。そのたびに、心拍が同じようにリズミカルに動く。

 正しい心拍を取り戻したように見えた。

 だが、ドクターが胸を圧迫するのをやめると、たちまち心拍の波形は直線になった。

 しばらく圧迫が繰り返された。

 マッサージをしては、手を止める。再びマッサージを再開する。手を止める。

 繰り返し、繰り返し。

 ドクターの額には、汗がにじんでいた。

 山田さんも必死にドクターのリズムに合わせてバッグを押した。

 心臓マッサージをしていた時間はごくわずかだったはずだが、山田さんには、もう何時間もこうしているように感じられた。

 何度目かの心臓マッサージの後、ドクターは手を止めた。

「もう、やめよう」

 手を止め、時計を確認していた。

 ああ、ダメだったのか。なんとも言えない喪失感を覚えながら、山田さんも酸素吸入バッグを押す手を止めた。

 モニターに映る数字はゼロを示していた。まっすぐな直線が一本、悲しげに明滅していた。

 どっと疲労感が襲い掛かってきた。

 ドクターが様々なチェックをして、Yさんが完全に亡くなっていることを確認した。

「○月×日、十一時三十……」

 ドクターが沈痛な表情で時間を読み上げはじめた。

 すると。

 Yさんの口が突然動いた。

 心肺は完全に停止している。心電図のモニターも動いていない。

 絶対にしゃべることができる状態ではないはずのYさんの口から言葉が漏れたのだ。

「……ぉ世話ぃー、なぃー、ま……たぁー」

 その場にいた一同、ぎょっとした。

 ドクターがあわてて、Yさんの脈を図ったり、呼吸を確認する。

 しかし、Yさんの活動は完全に停止していた。

 Yさんは身じろぎひとつせず、静かに永遠の眠りについていた。

「最後の最後に、何か言葉を残したかったんだろう」

 その場にいた全員が、ドクターの一言に妙に納得したそうだ。


「たまにそういう、最後に力を振り絞る患者さん、います。でも、あれだけはっきり感謝されて、あれだけびっくりしたのは、その一回だけですね」

 そう話してくれた山田さんは、近々病院を変わるらしい。

 思い出を話せてよかった、と彼女は笑った。


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