ex 妥協

 時刻は夕方まで遡る。

 ユーリが帰宅した後の競技場での質疑応答を終えたアイリスは、ややフラフラになりながらもゆっくりと体を伸ばした。


 ……慣れない事をするのは本当に疲れる。

 これだけ注目を浴びるのも初めてだった訳で、普段の生活では感じられないような類いの新鮮な疲れがどっと来た。


 ……でも、多分これは悪くない疲れだ。

 そしてそれと対極の負荷をユーリが背負っている。


 色々と話をしている中でも、どうしても意識はそっちに向いた。


(大丈夫かな、ユーリ君は)


 大丈夫か大丈夫でないかで言えば、まず間違いなく大丈夫ではないと思う。

 ……きっと心のケアみたいなのが必要だ。

 少なくとも自分が逆の立場だったらそうして欲しいから。

 今までもそうしてもらってきたから。

 その辺は強くそう思う。


 ユーリの為に、やれる事をやりたい。

 ……だから。


「おうお疲れお疲れ。すげえ群がりようだったな」


 そう言って今回この場を任されていたブルーノ先生が労いの言葉を掛けてきた所で聞いてみる事にした。


「いやボクはそれ程でも……で、すみません。ちょっと先生に聞きたい事があるんですけど」


 自分の話を早々に切り上げて問いかける。


「ん? なんだ?」


「ユーリ君の事……なんですけど」


 些細な事でも分からない事は頭に入れておこうと思う。

 例えば……自分が席を外している間に、どういう会話が有ったのか、とか。

 とにかく知らないといけない。

 自分なんかでそれが務まるのかは分からないけれど。

 その資格があるのかは分からないけれど。

 ユーリには一杯支えて貰ったから、自分のユーリを支えたい。

 ……その為にも。


「さっき私が席外している時に……なにか話してましたよね? 良かったら教えてくれませんか?」


 踏み込まなくちゃいけない。

 そしてブルーノ先生は軽くため息を吐いてから言う。


「教えてくださいって……二人でコソコソやってたような話だぜ? そう簡単に話せねえだろ。プライバシーって奴だプライバシー」


「……ッ」


(……まあ、常識的に考えたらそう簡単に聞ける話じゃないよね)


 この先生は多分他の先生よりまともな感性を持っている。

 だからその辺のガードが、当たり前のように重い。

 ちゃんとプライバシーとかを尊重してくれている。

 まともであるが故に、中々難しい。


 だけどそれでも、悩むように暫く間を空けてからブルーノ先生は言う。


「……俺が話した事、アイツに言うなよ」


「良いんですか? 話しても」


「普通は良くない。少なくともアイツは話して欲しくないだろ。でもこういうのはケースバイケースだ。お前には言っといても良いかもしれねえ」


 そう言って一拍空けてからブルーノ先生は言う。 


「アイツ俺の話に納得してるっぽい反応してたのに、どうもうまくいってないみたいな感じだからな。ほっといたらどっかで爆発するかもしれない。だったらもうちょっと別の感じにケアしてやらねえと駄目でしょって事で……それは仲の良い友人にでも託した方がいいのかもしれねえって訳だ。それこそ今のアイツを心配して話聞き出しに来るような奴にな」


「……ありがとうございます」


「あ、マジで言うなよ。嫌だぜ俺、軽く関わった生徒にいきなり嫌われんの」


「その辺は大丈夫です。なんか自然にそれっぽくやるんで」


「すげーふわふわしているけど本当に大丈夫なのかよ……まあいいけど」


 で、そこからブルーノ先生は自分が席を外している間の事を軽く話してくれた。

 元々短い時間での話だ。

 とても簡潔に、その時の説明は終わった。

 そしてそれを聞いてアイリスは言う。


「必要無いから評価されなくても良い。優秀でなくてもいいっていうのはなんか、凄い合理的ではあると思うんですけど……そんな簡単に割り切れる話じゃなくないですか?」


「……まあ、結果割り切れてなかったんだろ今回は」


 だけど、とブルーノ先生は続ける。


「伝えた事は間違ってなかったと思う。実際どうにもならない事で悩み続けるよりは割り切って、妥協して、都合の良い解釈をして。そうやってうまく自分の中で折り合いを付けてさ。コンプレックス抱えながらでもうまい事自分を肯定して騙し騙しやっていける落とし所を探して行かねえと」


「そういう物……ですかね」


「そういう物なんだよ。世の中にはどうしても超えられない壁がある。だけどそう簡単に諦める事も出来ない。そうなったら無理矢理でもなんとか納得できる着地点を探していかねえとうまく生きていけねえから。その手伝いをすんのも大人の仕事でもある」


「……」


 ……実際、聞いている内にその考えは理解できてくる。

 理解できるし、そもそもそうしているのが今の自分だから。


 本当は両親から凄いと言われるような魔術師になりたかった。


 でもどう頑張っても自分がそうなる事は叶わない。

 覚えた事。

 生み出した事。

 それら全てを詰め込んでも魔術師としての自分は精々が下の中……否、そう思いたいだけで下の下だろう。

 下の下の下だ。


 その自分が今、魔術の研究者というような方向性で評価され始めている。

 それは最初に臨んでいた事と比べれば、自分なりになんとか落とし所を見付けた結果なのでは無いだろうか。


 最もそれすらも、ユーリが居なければどうにもならなかったのだけど。

 ……とにかく。


 ……うまく落としどころを見付けた方が良いというのは、その通りだと思う。

 無理な物は無理だと割り切って、そういう方向に舵を切った方が良い。

 実際……ユーリ・レイザークに魔術の才能は無いのだから。

 そこに承認欲求を求め続けても、きっと満たされる事は無い。


 でもそれはあくまで本人が舵を切れたらの話。

 ブルーノ先生が言っている事も、それが出来たらいいなという半ば理想論の話。


 それができないから、ユーリは今苦しんでいる。

 だが、だとしても……結局どうすればいいのか。


 ……そう簡単に答えが出るような話ではないと思う。


「アイツはまだ幸せな方だと思うけどな。評価されたい事のすぐ近くに自分のやりたい事が有って。そっちをやる為の能力はその手にもうあるんだから。そもそもやりてえ事がちゃんとあるだけで良いっていうか……ほんと、比較的自分を肯定する為の材料がすぐ近くにある訳で。今回そういうのを押してみた訳だが……まあそう簡単にうまくいかねえよな。難しいわ思春期のガキは」


 と、ブルーノ先生も少し考えるような素振りを見せた後、軽くため息を吐いてから言う。


「……アイツ、こういう事で頭抱えている場合じゃねえってのに」


 他にも何か問題があるとしか聞こえない、聞き捨てならない言葉を。

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