5 醜悪な空間

 翌朝、此処には昨日と変わらない自分が居る。


 結局あれからやれた事なんてのは、今自分がやれる事の反復練習。

 ずっとずっとずっとずっと。昔から馬鹿みたいに繰り返してきた事だけ。


 必死こいて10000を10001に出来るかもしれない特訓をやっただけだ。


 結果それでも何かを積み上げられたら良いのだろうけど、何かをやる毎に確実に1ミリでも前に進めるかといえば、人間はそんなに簡単な作りをしている訳では無くて。

 そして1ミリ進んだ所で簡単に現実を変えられる訳でもなくて。


 結論だけを言えば、やれるだけの事をやって何の成果も得られなかった訳だ。


 ……それでも。


「……なんとかしねえと」


 まだ諦めてはいない。

 まあただ単に現実逃避をしているだけなのかもしれないけれど。



     ◇



「あ、おはよう、ユーリ君」


 支度をしていつもの約束の時間に部屋を出ると、ほぼ同時のタイミングでアイリスも部屋から出てきた。


「ああ、おはよう」


「昨日は良く眠れたかい?」


「残念ながら良く眠るだけの余裕がねえんだよ。まあ最低限取った」


「知ってる。そんな事だろうと思ったよ。お疲れ様」


「おう。で、お前は――」


 聞き返そうとしたけど、その答えはもう分かっている。


「聞かなくても分かるな。お疲れ」


「うん」


 アイリスの目の下にあるクマが、昨日あの後のアイリスの行動を教えてくれる。

 ……立ち止まらないでくれた。

 なんとか足掻いてくれたんだ。


「じゃあ行こうか。お互い頑張ろう、ユーリ君」


「ああ。終わったら祝勝会だ」


 そんな言葉を掛け合って、俺達は学園へと足取りを向ける。


 ……アイリスは特訓の成果を聞かなかった。

 ……アイリスにやれるだけの事をやった結果を聞けなかった。


 このタイミングで踏み込んだ会話ができる程、俺達は心も体も強くない。

 強くはなれなかった。



     ◇



 本日は祝日である。

 休日のドルドット魔術学園は一部生徒を除き授業が無く、故に追試会場である第二魔術競技場には当事者を除けば、用も無いのに足を運ぶような暇人でもない限り足を運ぶ学生はいない。


 だけどこの日、競技場には嫌な顔が勢揃いだった。


「お、待ってたぞお二人さん」


「態々休みに皆で応援に来たんだ。かっこいい所見せてくれよ」


 38人。

 クラスメイト全員が、態々休みの日に出向いて気持ち悪い笑みを浮かべて俺達を待ち構えていた。


「そういやユーリ。お前のスキル、なんの努力も無しに人様の努力を劣化させてパクる力らしいじゃねえか。どうだ? 薄味にはなってると思うが甘い汁は啜れたか?」


「……」


「アイリスさんもそろそろ夢から覚めた? 意味の分からない妄想ばかり書いてないで現実見ないと駄目だよー」


「……」


 当然、応援なんてするつもりなんて全く無いのだろう。

 そんな気持ちがある訳が無い。

 お前らがそういう奴らなら、俺達はまだ学生寮に居る。

 お前らと切磋琢磨前へと進もうとしている。


 でもそうはならなかった。


「あれ? 返事がありませんね」


「緊張しているのかしら」


「まあ気軽に行こうぜ。気の持ちようがどうであれ結果は変わらねえんだから」


 そんな風に、ケタケタと笑う声が響き渡る。

 寒気がする。

 頭が痛い。

 気持ち悪い。

 不快で不快で仕方がない。


 とにかく、できる事ならアイリスの目と耳を塞いでやりたい。


 ……ああ、そうだ。

 俺みたいな無能が罵られるのは。馬鹿にされるのはこの際もういい。

 良くないけど……いいんだよ。

 これまで浴びてきた暴言の半分以上はただ言葉の圧の強い正論なんだから。

 今言われたスキルの事だって、事実そういう力なんだから。

 何も……何も間違っていない。


 だけどアイリスは駄目だ。

 お前らよりずっと才能があって。

 お前らよりずっと努力していて。

 お前らなんかよりずっと立派な奴で。


 そんな奴が馬鹿にされるのだけは、絶対に駄目だ。


 見返してやりたい。

 見返してやりたい。

 見返してやりたい。


 こいつらにアイリスは凄いんだって所を見せつけてやりたい。


 でも……どうすればいい。


「……くそ、シカトかよ。つまんねえ」


 俺達がただ精一杯沈黙を貫いていると、クラスメイトの一人がそう言って大きなため息を吐いて、不機嫌そうに拳を鳴らす。

 その音を聞いて、自然と肩が震えた。


「お、やっとまともな反応見せたなユーリ。でもまあ安心しろよ。ただ指を鳴らしただけだ。寮に居た頃みたいに魔術の特訓に付き合って貰おうって訳じゃねえ。怪我して追試に落ちた理由にされても困るからな」


 そう言って笑い出し、伝播し、全員が笑い出して。

 そんな吐き気がするような笑い声が一通り病んだ後、クラスメイトの一人が言う。


「さあそろそろ時間だろ。さっさと行けよ。ハゲが待ってるぜ」


 ……言われなくても。


「……」


「……」


 結局、その場は一切言葉を発さず。

 頑張って沈黙を貫き通して、俺達はハゲの元へと向かう。


「……大丈夫かい?」


「大丈夫」


 アイリスが居てくれなければ危なかった。


「お前こそ大丈夫か?」


「うん、平気」


「……そっか」


 全然平気な顔はしていなかったけど。

 どう見たって取り繕った表情をしているけれど。


 きっと、お互いに。

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