異聞 哀愁セレナード

Serenade of Sorrow

※単体でも、『前日譚 高峯アキラの憂鬱』(https://kakuyomu.jp/works/1177354054917608731/episodes/1177354054917660601)①②③から一連の物語としてでもお読みいただけます。


本編『エレガント・セレナード』の大幅なネタバレを含みます。



        1

 「ラヴェルの〈道化師の朝の歌〉。それと〈亡き王女のためのパヴァーヌ〉を」


 『弾きたい曲ある?』その問いに、高校三年生の高峯アキラはほぼノータイムで答えた。


 夏のコンクールで全国優勝を果たしたアキラは、受賞者コンサートへの参加が決定している。そのコンサートでの演奏曲を決めるため、ピアノ教師の間野まのと話し合いを始めたところだった。

 



 アキラは七歳の時、神成ピアノ教室でピアノを始めた。その後2回の転勤を経て、この間野ピアノ教室へ行き着いた。


 間野ピアノ教室は突然転がり込んできた生徒を受け入れ、開催間近のコンクールへ向けた指導を嫌な顔ひとつせずにしてくれた。アキラはそのことに深く感謝している。




 その間野は、アキラの答えを聞いて、疑い深い視線を向けていた。


 「〈道化師の朝の歌〉はわかるけど、なんで〈亡き王女のためのパヴァーヌ〉? 同じラヴェルなら、せっかくだし『夜のガスパール』に挑戦してみてもいいんじゃない? アキラくんはラヴェルにこだわりがあるみたいだし…」


 「すみません、先生。どうしてもこの二曲が弾きたいんです」


 熱意を込めて、冷静さも忘れずに。アキラは真剣な眼差しで間野を見つめる。


 「ラヴェルの別の曲でもだめなんです。お願いします」


 アキラは深深と頭を下げた。


 「ちょ、ちょっと!わかった。わかったから」 間野は慌てた声で言った。「何があなたをそこまで駆り立てているか知らないけど、その二曲にしましょう」


 「ありがとうございます」


 頭を上げたアキラはとびっきりの笑顔で、心からの感謝を伝えた。


 「ああ、またこの顔にやり込められてしまったわ…」


        2

 数ヶ月ぶりに浴びるスポットライトが、なんだか懐かしい。


 礼をする前とした後の一瞬で、ざっと観客席を見渡した。


 アキラの視力は両目2.0だ。しかし、会場の人数が多すぎる。残念ながらの姿は発見できなかった。


 両腕を鍵盤にのせる。とほぼ同時に、〈亡き王女のためのパヴァーヌ〉の第一音を鳴らした。



 彼……、ショウと出会った日のこと。初対面の自分に、底抜けに明るい笑顔を見せてくれた。殻にこもっていたアキラは輝きに目を細めながらも、その温かさに胸を打たれた。


 ショウと再び出会った日のこと。アキラのことを全く覚えていないようだった。予想はしていたが、少しも落胆しなかったといえば嘘になる。


 ついにステージで連弾を果たした日のこと。ショウは「もっと弾いていたかった」と言った。その言葉を聞いて、アキラは人生で初めて『悲しい』以外の涙の意味を理解した。




 ショウと出会って、ピアノに出会った。


 ショウのために、ピアノを弾き続けた。『ショウのため』。アキラは、それがピアノを弾く理由だと信じて疑わなかった。


 ショウと再会してからは、ピアノが好きだという気持ちに、素直に向き合えるようになった。ピアノを弾く理由なんて『好きだから』。それだけで良かったんだ。




 十年前のことは、まだ伝えていない。今日まで堪えたのだ。


 今日が本当の再会の日になることを願って。


 彼にすべての感謝を伝えられる日になることを願って。


 (出会ってくれて、ありがとう)


        3

 全プログラムが終わるのを控え室で待つ。そして、全プログラムが終了した。


 アキラは居ても立ってもいられず、通路に出た。


 その時、ショウの声が聞こえた。


 「外山…」


 久々に聞く声に、鼓動が高まる。


 (外山さんも来てくれていたのか…)と、アキラは声がする方を見た。



 背伸びした外山が、ショウに抱きついていた。



 ショウも外山の背中に腕を回している。


 いとおしむような、優しい抱擁だった。


 「好きだったの…ずっと」


 「うん…何よりも大事にする」


 アキラは素早く通路の陰に身を隠し、耳だけでそのやり取りを聞いた。


 「じゃあ、また後で連絡する」


 外山は帰ったようだ。


 ショウの足音が近づいてくる。


 「アキラ? なんでこんなところに立っているの?」


 ショウは微笑んで誤魔化しているようだが、焦っているのが見え見えだった。外山とのワンシーンを見られたかもしれないと思っているのだろう。

 

 「誰かと話してるみたいだったから、出ていくタイミングを見失ってたんだよ」


 「聞こえてたかもしれないけど、外山がアキラによろしくって」


 「伝言ありがとう。話の相手と内容までは聞こえてなかった」


 ショウは露骨にほっとした様子だ。


 ショウとは異なり、アキラは完璧なポーカーフェイスを使えるはずだった。しかし自分が今どんな表情をしているか、自信が無い。


 「素晴らしい演奏だった。“道化師”が終わったあと、思わず立ち上がって拍手したよ」


 ショウは無邪気に言った。


 「ありがとう」


 「それにしても、すごい選曲だったね。プログラムを見た時、外山も僕も驚いたよ」


 ショウは晴れやかな表情で、いかにアキラの演奏が素晴らしかったかを力説する。


 「でも、流石というかなんというか…あれは、アキラだからできる演奏だよね。技巧的な部分以外の魅力を存分に感じられて、かえって良かった」


 アキラの喉はカラカラに乾いている。


 「アキラのこだわりが感じられる選曲だったね」


 「ボクのこだわり? どんな?」


 アキラは一縷いちるの望みにかけて、その問いを発した。しかしショウの答えはあまりに残酷だった。


 「え? こだわりが無いとああいう選曲にならないんじゃない? どういう理由があって選曲したのか、僕が聞きたいくらいだよ。まさか先生に勧められたわけじゃないよね?」


 何かを言わなければと思う。なのに上手く言葉が出ない。こんな経験は初めてだった。


 「僕、来週には京都に引っ越すんだ。最後にこんな演奏を聞けて感動した」


 「最後…? 」


 「? だって、これからは僕は京都、アキラは東京。別々の進路だよね? 」


 ショウは首を傾げた。


 「アキラともお別れか。一年、あっという間だった。寂しいな」


 「ボクの、演奏を聴いて、なにか、思い出さなかった?」


 「なんのこと? なにかって何? 言ってくれないと、わからないよ」


 もうここから居なくなりたい。一人にさせてくれ。


 そう叫ぶ人格を奥に押し込めて、殺して、アキラは柔らかく、ふわりと微笑んで言った。


 「なぞなぞだよ。絶対に解けない、意味の無いなぞなぞ」


        4

 ハッと目が覚める。


 ベッドの上だった。


 覚醒しきっていない脳が、すべて夢だったのだと認識するまで、そう長くはかからなかった。

 

 (縁起でもない…)


 そう考えてから、アキラは不思議に思った。


 不安を掻き立てられるような、とても不快な夢を見た。それは確かなのだが、詳しい内容が思い出せない。思い出そうとするほど、砂で出来た城のようにホロホロと崩れていく。


 (まあいいか…所詮しょせん夢だ)


 今日は受賞者コンサート当日だ。顔を洗って、朝食を食べて、準備をしよう。


 今日が本当の再会の日になることを願って。



(異聞『哀愁セレナード』終)

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