0章
前日譚 高峯アキラの憂鬱
①高峯アキラの憂鬱
※アキラの過去と、アキラがこれまでに出たいくつかのコンクールにフューチャーするシリーズです。
本編『エレガント・セレナード』の大幅なネタバレを含みます。
1
「コンクールに出てみない?」
アキラは七歳の時に神成ピアノ教室でピアノを始め、その後、父の転勤に伴って宮園ピアノ教室へ通うこととなった。
宮園ピアノ教室は指導力に定評があり、その高いコンクール実績は特に有名だった。
ピアノが上手くなりたい、その一心でアキラは宮園ピアノ教室を選んだが、コンクールについては正直考えたこともなかった。
「少し考えさせてください」
よく知りもしないのに断るのは失礼だと思い、アキラは保留することを選んだ。
「目標に向けて練習することが更に上達へ繋がるし、色んな人の演奏を聴いたり、審査されることで、自分の音楽を見直す機会にもなる。コンクールはね、競うためだけにあるんじゃないの」
上達に繋がる――その言葉に、アキラの心は多少動かされた。
「アキラくんはセンスがあるし、すごく頑張り屋さんだから、いい結果も出るんじゃないかなって。無理強いはしないけど、一応提案ね」
2
宮園ピアノ教室では、毎週土曜日、生徒限定でソルフェージュが無料で行われる。
生徒が代わる番にメロディや和声を初見で弾き、他の生徒はそれを聴音して五線譜に書き取り、分析する。
小さい頃からこの教室にいた子ほど聴音が得意な傾向にあり、一般に“絶対音感”と呼べるような能力の持ち主も多数いる。
「アーキーラーくーん!」
元気な声の主、
「わっ! もう…すぐ肩にぶら下がろうとするのやめてよ」
「アキラくんが一番、飛びつくのに丁度いいの。なぜ肩に登る? そこにアキラ岳があるからだ」
小柄な道歌は得意げに、“そこにエベレストがあるからだ”のイントネーションで、よくわからない宣言をした。
道歌は幼稚園の頃からここの生徒で、アキラよりひとつ年下ながらも、アキラの苦手な和声聴音でいつも満点だった。
一方アキラは和音の種類や転回形は即答できたが、聴き取りが完璧ではなかった。だから道歌のことは尊敬している。この元気さも自分に分けて欲しいぐらいだ、とアキラは思った。
「ねえアキラくん。コンクールに出るんだってね? 」
「まだわからないよ。出ないかも」
「えー!!なんで!!」
道歌は目を見開いて、大袈裟に驚いて見せた。
「アキラくんなら、絶対にいい線行くのに。あ!わかった。ステージで、一人っきりで見られて弾くのが怖いんでしょ!」
あながち間違いでも無いため、アキラは否定できなかった。そう、アキラは発表会にすら苦手意識がある、なかなかの引っ込み思案なのだ。
あがり症でこそないものの、大勢の視線を集めるスポットライトの下で演奏することが、どうにも不安だった。
「道歌ちゃんは昔からコンクールに出てるんだよね」
大きな規模のコンクールの全国大会で賞をもらったと聞いている。
「アキラくん、私と一緒にコンクールに出ようよ」
「道歌ちゃんと一緒に? ああ、道歌ちゃん、今年もコンクールに出るんだ。頑張ってね」
「違うの! そういう意味じゃなくて、“一緒に”! 連弾部門に出ようよ!」
「連弾…?」
アキラがぴくりと反応したのを好意的に解釈したらしい道歌は、興奮して語り出した。
「コンクールの時に見たの! 双子とか、兄弟とか、お友達とか、2人で息を合わせて、すごく楽しそうなの! やってみたい!」
「心に決めた人がいるから」
「へ?」
アキラのひと言に、道歌はポカーンと口を開けて静止した。
「なに? アキラくん、結婚したい人がいるの? だから道歌とは連弾できないってこと? ひどーい意味わかんない」
「け、結婚…? どうしてそうなるの?」
「『心に決めた人がいる』ってセリフは、そういう意味で使うんだよ」
「知らなかった。心に決めただけで、結婚したいって意味になるの? どうして?」
「アキラくんはなんでも理屈で考えすぎ! 国語苦手なんじゃない? しかも天然? じゃあつまり、連弾するって決めた人がいるから、先に道歌とはできないってこと?」
「うん。そういうこと。ごめんね」
「だめ!」
「ええ…」
「それなら、連弾に慣れておいた方がいいよ!一人で弾くのとは全然ちがうんだから。その人と連弾する時、リードしてあげればいいじゃない」
アキラが道歌の勢いに圧されるのは日常茶飯事だ。特にこの日の道歌は、いつも以上にぐいぐいと迫ってきた。
「はいはーい、ソルフェージュ始めるよ。今日はアキラくんと道歌ちゃんだけだね」
「先生! 道歌、アキラくんと連弾でコンクールに出たい!」
「え、連弾?」
宮園は困惑した様子でアキラの方を見た。
「…出ます。道歌ちゃんと、コンクールに出ます」
コンクールに参加するからには絶対に結果を出そう、そして連弾のいろはをしっかり学んでやろう、とアキラは決心した。
3
連弾部門では、きょうだいや双子が上位入賞することが少なくない。呼吸を合わせやすいだけでなく、合わせ練習の時間を取りやすいという理由もあるのだろう、とアキラは推測した。
アキラと道歌が合わせ練習をできるのは、本番直前を除けば週二回程度。
個人練習で極力仕上げ、合わせ練習では呼吸と曲想を合わせることに注力した。
初めての連弾に手探り状態だった2人は、ICレコーダーに自分のパートだけでなく相手のパートも録音して何度も聴いた。手の動きや主旋律の移動を把握するため、相手のパートも弾けるようにした。レッスンをビデオカメラで撮影して、呼吸や体をリズムに乗せるタイミングを覚えた。
2人が衝突することは無く、この連弾を高めるための努力を最後まで尽くした。
第50回 ジュニア音楽コンクール
全国大会審査結果
連弾小6以下の部
【略】
《銀賞》 高峯アキラ(小5) / 藤友道歌(小4)
第51回 ジュニア音楽コンクール
全国大会審査結果
連弾小6以下の部
《金賞》高峯アキラ(小6) / 藤友道歌(小5)
連弾初挑戦のコンクールで銀賞、すなわち全国2位。周囲は祝福ムードに包まれた。
しかし表彰式終了後、当の二人の第一声はそれぞれ、「アキラくん。次は金賞」 「もちろん」というものだった。
翌年、二人は金賞を受賞した。
「アキラくん、来年はもっとレベルの高いコンクールに出ない?」
「道歌ちゃん」
「もっと難しい曲が弾きたいな」
「道歌ちゃん。ごめんね」
「わかってる。ごめんなさい」
4
やっぱりダメだったか。
アキラくんには言ってないけど、私は来年、もうこの教室にはいないし。
どっちにしろ、無理なんだけどね。
アキラくん。
自分では気がついていないみたいだけど、君は本当にピアノが大好きなんだよ。
ピアノが好きで、ピアノに愛されているの。
時にはピアノと遊んでいるみたいに、時にはピアノを抱きしめているみたいに、弾いてるんだよ。
どうして気がつかないんだろう?
“心に決めた人”のせい?
その気持ちに気がついた時、きっと君はもっとすごいピアニストになるんだ。
あこがれ。
泣いちゃうくらい、大好き。
(次回『高峯アキラの動揺』)
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