②高峯アキラの動揺
本編『エレガント・セレナード』の大幅なネタバレを含みます。
*
『第一位。4番、高峯アキラさん!』
この瞬間、高峯アキラの心は決まった。
1
アキラはこの前年にも1位を受賞していた。ソロ部門初出場での快挙だ。
しかし、どうにも踏ん切りがつかない。それで、「もう一度入賞できたら」 と先延ばしにしていたのだった。
コンクールで2度目の1位をとったのが冬。そして、今は春。すでに次のコンクールへ向けた準備が始まっている。結局、ここまで来るのに随分と時間がかかってしまった。
電話が繋がらない、なんてことが万が一にでも無いよう、祈る。
彼女の電話番号も住所も、アキラは知らない。だから、これだけが頼みの綱だ。
呼出音が鳴っている時間が、永遠のように感じられる。
「はい、
「高峯アキラです。こんにちは。ボクのことわかりますか? 」
「……レイチャン? うそっ、レイチャン!?」
「そうです。神成先生、お久しぶりです。ボクのこと、覚えていてくれたんですね」
「もちろん。君の活躍はよく耳に入るんだもの。この前のコンクールも、1位おめでとう」
「ありがとうございます」
「レイチャンから電話がもらえるなんて、嬉しいなあ。7年ぶりだものね。すっかり声変わりしちゃってさ…あ、もうレイチャンって呼ばれるの嫌だよね」
「ボクは構いませんよ。神成先生のその呼び方、とても懐かしいです」
「うーん。やっぱり私に違和感があるから、なるべくアキラくんって呼ぶね」
「神成先生、今も男の子をちゃんづけの渾名で呼んでるんですか?」
早く本題を切り出せばいいものの、関係の無い話題をつい引き伸ばしてしまう。らしくない、非効率的な行動だった。
「そうだよ。みんな可愛いから、つい。で、レイチャン、何か用があったのかな? もちろん無くても大歓迎だけどね」
アキラはドキリとした。
「…あ、しまった!アキラくんね」
「あはは…本当に、気にしないでください」
神成の相変わらずの快活さに、余分な力が抜けていく。
「先生。サキちゃんは今も教室にいますか?」
「……なんとなく。レイチャンが7年ぶりに電話してきてまで聞きたいことが、その話題じゃなかったらいいなって思ってたの。そっか。レイチャンは、今でもあの時の約束に…」
「神成先生?」
不穏な流れを感じとり、アキラの鼓動は大きく波打ち始めた。
「サキチャンはね、ピアノ…やめちゃったの」
やめた?
神成の言葉を脳内で
やめた…ピアノを、やめた?
「去年、突然やめるって連絡が来て…いえ、兆候はあったの。詳しくはわからないけど、ピアノに関して何かコンプレックスを抱えているみたいだった」
「引っ越したわけではないんですね?」
少しでも気を緩めれば暴れ出しそうな胸中とは裏腹に、表面上のアキラは冷静だった。
「うん。今も市内の中学生のはずだよ。県内の進学校を目指して、勉強も頑張り始めたみたい」
「その高校の名前を教えてください」
アキラは念の為、その高校名を脳に刻み込んでおいた。
「神成先生、突然連絡してすみませんでした。ありがとうございました」
「また連絡してくれたら嬉しいな。近くに来たら、是非寄っていってね」
「はい。その時はお邪魔させていただきます」
「レイチャン、どんな風に成長しているのかな…身長はどれくらい?」
「170くらいだと思います」
「じゃあ、サキチャンと同じくらいの身長だね」
さも当然のように発せられた言葉に、引っ掛かりを覚える。高身長な女性に成長したということだろうか。
「レイチャンもかっこよくなってるんだろうな。2人とも立派な男の子に成長しちゃった。女の子みたいだった2人が懐かしいね」
今度こそ動揺を悟らせないのは無理だな…と、アキラはやはり冷静に考えていた。
2
中学生として参加する、最後のコンクールの全国大会。
控え室で、アキラは一人
(だめだ。このままだと、入賞すら危ういかもしれない)
あの電話のあとから、宙ぶらりんの精神状態が続いていた。
なんのためにコンクールに出ているのか?
どうしてピアノを弾いているのか?
(ボクは、なんのために…)
「アキラくん…?」
アキラの思考を打ち破ったのは、少し震えた声だった。
目を開くと、紺色のドレスに身を包んだ同い年くらいの女の子が立っていた。
「アキラくんだよね…? 私のこと、わかる?」
「…道歌ちゃん?」
目の前に立っていたのは、3年前まで連弾のパートナーとして音楽を共にした
あの後、中学受験の勉強に専念するためにピアノを休むこととなり、道歌は宮園ピアノ教室から姿を消した。合格後は一家で学校の近くに引っ越したのだと、風の噂に聞いていた。
ショートカットだった髪は背中まで伸び、お転婆な雰囲気はすっかり影を潜めている。
「ピアノ、続けていたんだね」
「当たり前だよ。だって、まだ……全然アキラくんには……追いつけてない…」
「え、何?」
「なんでもない」
道歌は黙り込んでしまった。
本番前に動揺させたり気を遣わせるのは悪い、とアキラが立ち上がろうとした時、道歌の手がアキラの腕を掴んだ。
「アキラくん。“心に決めた人”とは、会えたの?」
アキラは驚いた。つい今まで考えていたことを、ここで問われるのか。
「会えてない」
「いつ会えるの?」
「わからない…。わからないんだ」
「どうしてそんなに辛そうなの?」
「苦しくて寂しいから」
「どうして寂しいの?」
「ピアノをやめたって、聞いたんだ」
道歌の眉がピクリと動いた。
「どうして」
「それも、わからないんだ」
「アキラくん、その子に振られちゃったんだね」
「道歌ちゃん、言い方…それに、勘違いされてそうだから一応言っておくけど、その子は男の子だからね」
「ええ!?」
苦笑したアキラから発せられた言葉に、道歌は放心したように固まってしまった。
「嘘でしょ。私、バカみたいじゃない…」
「どうしたの?」
道歌は邪念を払うように首をぶんぶんと振って、アキラへ真剣な眼差しを向けた。
「アキラくんまでピアノ、やめちゃうんじゃないかと思って。怖いよ」
「ボクがピアノをやめる? ああ、考えたこともなかった。そういう道も、あるのか…」
「だめ」
いつかのように、道歌は無邪気な否定を口にした。
あの時の、白い歯が見える満面の笑みとは全く違う。口角を上げるだけの切ない笑顔。大人びた道歌の表情に、アキラは息を呑んだ。
「アキラくんがピアノをやめるなんて、絶対に許さない。ピアノが無い生活なんて考えられないんでしょう?」
「でも、ボクは、何を原動力に…」
「原動力が必要なの? ふうん。アキラくん、3年も経ったのにまだ気がついてなかったんだね」
「どういうこと?」
「アキラくんはピアノが大好きなんだってこと」
道歌は、アキラの手を慈しむように取った。
「感性は高いのに、自分のことには鈍感…変なの。絶対に、後悔しないでね」
視線が注がれている手に、まるで力が入らない。呆然と道歌の表情を見つめるしかなかった。
「それなら、アキラくんが、その子を連れ戻してあげればいいじゃない。これからも、その子のために弾けばいいの」
アキラと道歌の視線が重なる。
道歌は照れたように目線を逸らして、手を離した。
『f級 エントリーナンバー9から12番の方。
道歌は立ち上がりざまにもう一度アキラの目を見て、不敵に微笑んだ。
「じゃあね。私も負けないから」
『負けない』という言葉の目的語が、アキラだけではない気がした。
尋ねようとしたが、道歌は振り返ることなく去って行った。
*
『f級の金賞を発表致します。f級金賞は…15番、高峯アキラさん!あわせて都知事賞の受賞です。おめでとうございます』
(次回『高峯アキラの暴走』)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます