第4章冷泉六花の真実

4-1 破壊された結界

「ここが例の現場か」

「ここが例の現場だ」

 僕の言葉を、川端は無感動に繰り返した。


 というわけで、天城原学園である。世にある学校としては比較的珍しく、天城原学園の敷地は住宅街のど真ん中に建っている。それなりに地価が高そうで高校生が騒いだら近所迷惑になりそうな場所だ。


 僕と川端はそんな天城原学園の敷地の北の端、校舎の裏手に来ていた。ここは職員や来客用の駐車場になっているエリアで、人や車の出入りが雑多だ。誰かが侵入するとしたら絶対にここを選ぶだろう。


 ビクトリアとの戦闘からさらに一週間後、僕はようやく学校に復帰した。「交通事故で追った怪我が思ったより酷いことが検査で分かりまして」などと適当なことを言っておいたので、特に誰に怪しまれなかった。


「誰もお前に興味がないだけじゃないのか?」

 と川端は失礼なことを言っていたが。

 これから仕事を頼む相手に言うことじゃないだろうに。


 とはいえ、僕はこうして学校に戻ってきたので、兼ねてよりの約束通り、結界を破壊された現場の検分を行うことにしたのだった。


 結界が破壊されたのは、職員用駐車場の出入り口の付近だった。付近、ということから察せられるように、出入り口そのものの位置ではない。少し横へずれたところだ。塀を乗り越えたあたりに破壊の痕跡がある。


 あるのだが……。


「直っているな?」

「直ってるな……」

 川端はまた繰り返した。だが今度は困惑の色がある。


「おかしいな。あのクソ無能ゴミクズ警備会社、うだうだと日程調整を先延ばしにして一向に仕事をしなかったのだが」

「口悪っ」

「会長殿のご意向に沿わない組織に存在価値はない」


 言い切っちゃったよ。こいつやっぱりヤバい奴なのでは? 中世の独裁国家でもここまで強烈なシンパ臣下、滅多にいないだろう……。

 まぁいいか……なんにせよ、結界に空いた穴が修復されているのは事実のようだ。


 僕は魔力に対する探知レベルを上げてよく観察する。結界は標準的なもので魔力の属性は混沌としている。これは複数人の魔術使いが作成に関わったためだろう。この感じだと水を除く五大属性の魔力を持つ魔術使いが結界を作っている。


 いや……「結界は標準的」といったがどうやら違いそうだ。しっかり凝視すると結界の魔力にかなり大きなムラがある。これはあまり腕がよくない業者だな。こういう結界は魔力の薄いところを簡単に突破されるし全体に力がかかれば一気に崩壊しかねない。


「どうだ?」

「ふむ……やっぱり、結界を破った犯人は意図的に破ろうとしたわけではなさそうだな」

「雑に突っ切った、と言っていたな。この前は」


「そうだ。この結界は魔力のムラが酷い低レベルなものだ。こういう結界を破るなら魔力の薄いところを突くのが定石。だが穴は全然関係ないところに空いている。穴自体も結界に探知されないように最小限だけ開けようとか丁寧に開けようと考えられた形跡がない。邪魔なものを適当にぶち破っただけという感じだ」


「それが犯人にどう繋がるかは不明だがな……で、問題がもうひとつか」

「あぁ」

 僕らは揃って腕組みした。


「なぜ結界に空いた穴が塞がっている?」

「さてと……」


 僕は改めて結界を観察した。結界に空いた穴には上から分厚い魔力で蓋がされている。直し方はかなり粗雑だが結界が稚拙だったこともあってこの部分だけ見ればきちんと強化になっているようだ。


「前からこんな感じか?」

「僕は魔力の探知を精密にできるわけではないが……以前お前と会ったタイミングでは、こんな蓋はなかったはずだ」


 では、犯人が犯行の露見を防ぐために直したというわけではなさそうだ。そもそも適当に結界を突っ切る犯人がそんなことしないか。


「そもそも……この手の結界修復はどれくらい難しいものなのだ?」

 川端が結界に近づき手を触れた。魔力を持つ彼は結界の壁に接触できる。彼が手を伸ばすと、僅かに結界が揺らいで表面が波打つ。


 川端の手から始まった波は結界全体に広がっていく。だが、修復された部分で波が止まってしまう。やはり、そこだけ異質な魔力で覆われているようだ。


「結界の機能を損なわずに直すのは結構手間だ。場合によっては一から貼りなおしたほうが早いこともある」

「ふん……じゃあ業者がうだうだ言っていたことは間違いじゃなかったのか。てっきり、不要な工事で費用を吹っ掛ける気かと思ったぞ」


「うちの生徒会は業者とのやり取りに口を出す権限まであるのか?」

「事務方の職員に聞いただけだ。情報提供してくれる支持者は多いほうがいいからな」

 怖っ。どこに生徒会のスパイがいるかわかったもんじゃないな。


 うちの学校、思ったよりディストピアチックだったのか。ヒトラーユーゲントじゃないんだから。


「だが、それほど手間な魔術的処理をできる人間はこの学校には限られているだろう」

「あぁ。まず僕だろ」

「お前、魔術のことになると突然我が強いな」

 川端には言われたくなかった。それと、僕のセリフには続きがある。


「……あとは、上京華」

「そんなところだろう。うちは魔術カリキュラムもあるが本格的というほどでもない。魔術大学への進学者も例がないはずだ。ほかの学年にお前や上京に匹敵する魔術師がいるとも思えん。いたら会長殿がご存じのはずだ」


 川端の謎の会長推しはさておき、言っていることは正しいはずだ。

 いや……僕もつい最近まで上京の存在を知らなかったし、生徒会長の情報網はともかく僕自身の情報網の信頼性は眉に唾をつけておくべきか……?


 まぁいい。確かめる方法ならある。

 僕はブレザーのポケットからカードを取り出した。魔術サンプル採取用の透明なプラスチックのカードだ。この前、川端が僕の入院先に持ってきたものと同じ。


「"第五基礎ベーシック教範魔術・フィフス"」

 基礎教範魔術の五つ目は魔術サンプルの採取だ。別に詠唱するまでもない簡単なものだが今回はちょっと丁寧にやることにした。


 詠唱と同時に、僕の魔力を受けたカードがチカチカと光る。結界を直している魔力と呼応して、魔力の成分をカードへと吸収していく。

 魔力を集めたカードが白く曇る。まるで内側が冷やされ結露したように。


「……調べるまでもないな」

「どういうことだ?」

「この魔力、氷属性だ」

 僕の言葉に川端が目を見開く。


「特殊属性か! だがこの学校に特殊属性の魔力を持つ者は……」

「二人しかいない。僕か、上京か」

 川端は小さく唸り、手で顎を撫でた。


「ではこの修復は上京の手によるものか。しかし一体どういう理由で?」

「さあな。本人に聞くしかないんじゃないか?」

「本人?」

 僕は後ろを振り返った。川端も一緒に振り替える。


「出て来いよ、上京」

 僕は校舎のそばにある植え込みに向かって声をかけた。だが……。


「…………?」

「…………誰もいないぞ。完全に上京が出てくる流れだったが」

「こっちよ」

 後ろから上京の声がした。川端と揃って振り返りなおすと、確かにそこに上京華が立っていた。冷たい顔が少し呆れを浮かべている。


「この程度の魔力隠蔽を見破れないなんて、魔術師を名乗ってるわりに情けな」

「ややこしいことをせずに素直に出てこい」

 上京の勝ち誇ったようなセリフを、川端が真上から正論で潰した。上京は話の腰を折られて露骨に嫌そうな顔をする。そのさまが滑稽で僕は少し噴き出した。


「なに?」

「なんでも」

 上京の厳しい視線の矛先が僕へ向く。僕は肩をすくめてやり過ごした。


「で、何をしに来た。まさか今更自分の結界修復を誇りに来たわけではあるまい」

「まさかね。ちょっと様子見に来ただけよ。あなたたちが私の応急処置を弄って台無しにしないか心配で」


 上京は川端に、というよりは僕に向かっていった。彼女、やっぱり僕に対して謎の敵意があるよな……理由はさっぱりわからないが。


「やはりこの修復はお前の手によるものか。ふん、最初は断られたとはいえ、労を割いてもらった礼はせねばなるまい」

 一方、川端は彼女の言葉の棘に無頓着なようで、呑気さもある声色で答えた。彼女まで歩み寄りながら右手でブレザーのポケットを探る。


 川端がポケットから引っ張り出したこぶしを上京へ突き出す。

「飴ちゃんをやろう」

「馬鹿にしてんの!?」


 上京がキレた。が、これは仕方がない。

 川端は怪訝そうな顔をして首を傾げる。


「む、イチゴ味は好みではなかったか」

「味の問題じゃないわよ! イチゴは嫌いだけども!」

 一応味の好みは明言しておくのか……。


「なら個数か? 安心しろ。生徒会室にはいくらでもある」

「違うに決まってるでしょ! 高校生にもなって飴の個数で癇癪起こしてたらただの狂人よ!」

 これは上京が正論だった。


「ふむ、そうか……」

 川端は回れ右をして、少ししょげて帰ってきた。

 なんで真面目に落ち込んでるんだこいつ……。


「妹はこれで喜んだのだが……うまくいかないものだな」

「不器用か?」

 しかも背後に重たい家庭環境がありそうなタイプだった。「喜んだ」の過去形が気になりすぎる。


 いや、いまは#SSsに無関係なくせに設定過多な男のことを考えている場合ではない。

 上京も同じ考えのようで、川端のことをふんと小さく鼻で笑い飛ばす。


「そこの怪人飴玉片腕男はどうでもいいのよ」

「おいおい。片腕は酷いだろ。人の身体的特徴を馬鹿にするのはよくない」

「なら飴玉のほうに抗議してくれ。腕はいいから」

 急激に弱々しくなった川端の文句は無視した。


「僕に用だろう? あれだけ大勝したくせにまだ気になるのか?」

「……あの魔術を使った勝ちは勝ちじゃないの。私の中ではね」

「じゃあ僕の勝ちってことでいいのか?」

 上京が舌打ちした。


「改めて決着つけましょう。お互い、損はしないでしょう?」

「そうだな。僕もやられっぱなしは癪だと思ってたところだ」


 僕は川端のほうをちらりと見た。#SSsのことは部外者にできるだけ知られたくないが……彼はもう僕らに興味を失っているようだった。背を向けて老犬のようにとぼとぼと去っていく。

 ……まぁ、少なくともこれで彼に#SSsのことを聞かれずに済む。


 上京は川端の背中を見送りながら、腰のベルトへ手をかけた。杖の柄を握る。


「どうするの? 私は今からでも構わない」

「いや、ここではまずいだろ、どう考えても」

「じゃあ場所を変える?」

 勢い込む上京を僕は手で制する。


「場所と時間はこちらから指定させてもらいたい。ほら、前回はそっちから吹っ掛けてきただろ?」

「……そうね。今回はあなたに決めさせてあげる」

「じゃあ……今晩の十一時四十五分、この前藤堂と戦っていた例の公園でどうだ?」


「いいけど……時間設定が随分細かいのね。何か企んでるのかしら?」

「まぁね」


 僕らは少し離れた距離で対峙した。押し黙って互いを見る。

 上京のほうが先に動いた。僕に背を向け、門から敷地の外へ出ていく。


「……楽しみにしてるわ」

「こっちこそ」


 僕は遠ざかる上京を尻目にスマホを取り出した。藤堂へ電話をかける。

「僕だ。頼みたいことがある」

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