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「いててて……」

 僕はずきずきと痛む体を引きずって、バーカウンターの席に座った。注文する前にビールジョッキがサーブされる。


「これは?」

「あちらのお客様から」

 低く落ち着いた声でバーテンが応じた。初老の彼が示す先には換金窓口があって、受付さんが控えめに手を振っていた。


「ファンができましたね」

「……そりゃどうも」


 僕は痛む腕を動かしてジョッキを引き寄せた。並々と注がれているのは炭酸性の茶色い液体だった。見た目は黒ビールっぽいがアルコールの匂いはしない。ジョッキを両手で抱えて一口飲んでみると、軽くツンと鼻をつく刺激臭が広がった。とはいえ、抵抗を感じるほどではない。


「んっ……これは、キイロアサガオの?」

「さすが。お詳しいんですね」

「一応、魔術師なので……」


 この飲み物のメインは炎症を抑え傷の回復を早める作用のある薬草の抽出液だろう。僕も興味本位で試したことがあるけど基本的に凄まじく湿布臭くて苦くお世辞にもおいしいといえない飲み物だったはずだ。


 だがこれは苦みと匂いがよく抑えられていて飲みやすい。コーラのような甘みの強い飲み物と混ぜてあるせいかな? それだけじゃなさそうだけど、僕は魔術的な飲食物にまで詳しいわけじゃないからな……。でも、そんな僕でも味の違いが分かるほどだ。地下闘技場でバーテンをするような人の技術は違うな……。


「よう、お疲れ」

 ジョニーが僕の右隣に座ってきた。バーテンがビールの瓶を出してくる。彼は瓶の口に刺してあったライムを中に落とすとビールを一気にあおった。


「ふぅ。まさか一回で勝っちまうとはな」

「あぁ……自分でもビックリだ。今回はダメかと……ん?」

 ポケットが小さく震える。上着に入っていたスマホだ。引っ張り出して画面を見ると通知が来ている。


「これは……?」

「ほう、お前の懸賞金上がったぞ」

「懸賞金が?」


 ジョニーが自分で見ていたスマホの画面を差し出してきた。僕のソーサラーとしてのプロフィール画面だ。いつの間にか撮影されている顔写真の横にでかでかと数字が描かれている。数字の背後で上向きの赤い矢印が点滅する。上昇をアピールしているのか。


「懸賞金……二十五万か」

「俺超えてんじゃねぇか。この評価間違ってんじゃねぇの?」

「間違っちゃないわよ。ジョニー」


 隣の席にドカッと大きな物体が現れた。ビクトリアだった。突然の登場に僕はぎょっとして仰け反る。


「……もう動けるのか?」

「あの程度の攻撃じゃあね。数秒ダウンする程度には堪えたけど。アタシにもビール頂戴」

「さすがにタフだな……」


 ビクトリアはぼやくように答えつつ、バーテンからジョッキを受け取った。僕が両手で抱えているものと同じサイズのはずだが、ビクトリアの手にかかると小ぶりなコップにしか見えない。中身を一気にすべて飲み干してしまうと、ビクトリアは背もたれに体重をかけて体を伸ばした。


「久しぶりに見たと思ったら面白いの連れてきたじゃない、ジョニー」

「だろ? これが#SSsの醍醐味ってやつだよ」

「知り合いなのか? 二人とも」

 僕の言葉に、ジョニーとビクトリアが同時に「まあね」と答えた。


「ここのバンクが開いたときからの#SSsメンバーだからな、俺たちは」

「もう十年になるかしらねぇ。ジョニーは未だに懸賞金上がらないけど」

「いいだろ別に。俺は俺のやり方で#SSs盛り上げてんだ」

「はいはい」


 ビクトリアは新しいジョッキを受け取ってまた一気にあおった。ザルのようにビールが流し込まれていく。


「ところでボーイ」

「うん?」

「話したそうにしてる子がいるけど?」


 親指で後ろを指すビクトリアにつられて僕は振り返った。カウンターから少し離れたところでもじもじと藤堂が立っている。

 やれやれ……いままで図々しかった奴が急に遠慮がちになるとやりにくくてしょうがない。


「たまと喧嘩でもしたの?」

「いや、そうではないけど……って、藤堂も知っているのか?」

「当然でしょ。ここらソーサラーは最低でも一回はアタシと戦うんだから」


「そりゃそうか」

 僕はため息をついた。どうしたもんかな。


「たま! こっち来て一緒に飲みましょうよ! 奢るよ!」

 お互いに躊躇う僕らを見かねたのか、ビクトリアが声をあげた。藤堂は何度かその場で足踏みし、結局従うことにしたのか僕らのところに歩いてきた。


 ビクトリアが腰を浮かし、席をひとつ横へずれた。隣に藤堂がおずおずと座る。


「わっ、汗でじっとりしてる」

「ビクトリアに気を遣ってもらっての第一声がそれかよ!」

 そうだろうけども! 戦ったばかりだからな!


 思わずツッコミを入れてしまった。僕と藤堂の間に微妙な沈黙が流れる。だが、その沈黙を両サイドから響く爆笑がかき消した。ジョニーとビクトリアが大口を開けて笑う。


「ったく! 最近のガキはこれだから!」

「はいはいそうね! マスター! おしぼり! 椅子拭いてあげる! ははっ!」


 二人の笑い声に僕らの緊張も解ける。堪えていたものを思わず漏らすように藤堂が小さく噴き出した。僕も笑う。


「先輩……」

 僕は藤堂の言葉を手を振ることで遮った。


「#SSsに誘ったことを後悔しているなら、それはお門違いだぞ、藤堂」

「え?」

 藤堂が背の高い椅子へよじ登るように座る。マスターがジョッキに入ったオレンジジュースを出した。


「むしろ感謝しているくらいだ。おかげで夢を諦めないで済む」

「でも、お姉さんは」

「それは……」


 僕はジョッキを持ち上げてドリンクを飲んだ。藤堂も真似するようにオレンジジュースを飲む。


「それは、何とかする。……なんとかしないとな。でも、遅かれ早かれ、#SSsがあろうがなかろうかいずれこうなることはわかっていたはずだ。見て見ぬふりしていたけど……姉さんが学費を稼いで僕が夢を目指すなんて生活、いつか破綻するに決まっていたんだ。だから藤堂は関係ない」


「そうだといいんですけど」

「なに? ボーイお姉さんと喧嘩したの? じゃあアタシたち女性陣に任せなさいよ!」

 不意に、ビクトリアが割り込んでいた。藤堂の肩を抱いてバンバン叩く。


「ビクトリアは性別ビクトリアなんだろ」

「失礼ね。だからいいんじゃない。女心は任せない。そっちの胡散臭い独身カウボーイより役立つわよ」

「なんか不必要に流れ弾飛んできたな?」


「おい! 誰か俺とやる奴はいないのか!」

 ビクトリアがいなくなって空白地帯となったリングでは、再び野次馬たちの戦闘が始まっていた。彼らの#SSsのソーサラーなのか。


「たま、行ってきなさいよ。小遣い稼ぎに。いまならボーイが応援してくれるわよ」

「そうですね。じゃ、先輩。応援よろしく!」


 藤堂は立ち上がってリングへと駆けていった。僕らはそんな背中を見送る。


「……なぁ、ジョニー」

「なんだ?」

「こっち来る前に言いかけていただろ。家族の反対がどうとか」


「あぁ。そうだな」

 ジョニーはビールをあおって言った。


「ジョニーはどうやって解決した?」

「俺は、そうだな……十年続けたら諦めたな」


「十年か……そんなに時間はかけられないぞ」

「大事なのは、その夢が命も人生も全部賭けるくらいで、そのためなら野垂れ死んでもいいと思ってるんだってことをわからせることだな。時間をかけるのが一番楽だが」


「まーた適当なこと言って」

 ビクトリアは三杯目のジョッキを片手にため息をつく。


「弟に野垂れ死にされる身にもなりなさいよ」

「そういうお前も人のこと言えねぇだろ」


「……さてと」

 喧々諤々と言い合いを始めたジョニーとビクトリアを置いて、僕は席から立ちあがった。痛む体を引きずりつつ換金カウンターへ向かう。


 カウンターでは既に受付さんが待ち構えていた。そわそわと体を揺らし、僕と目があうと遠慮がちに手を振ってくれる。


「換金を……あっ、飲み物ありがとう」

「は、はい」

 受付さんはすぐに札束の乗ったトレーを出してくれた。僕はお礼を言って受け取る。


 これが万札の大きさ、厚み……。

 いやぁ、頑張ったな、僕。なんだかんだ言っても、この瞬間は自分を褒め称えたい。


「枚数の確認を。念のために」

「えぇ……いち、に、さん……」

 痛みで動きにくい指を使いつつ、お札の枚数をカウントしていく。だが……。


「はち、きゅう、じゅう?」

 十枚目まで来たところで怪しくなってきた。僕の引き出すはずの懸賞金はジョニーの分の二十万円のはずだ。なのに、半数数えたところで残りのお札が明らかに少ない。


「じゅういち、じゅうに、じゅうさん……十四」

 十四枚しかない。僕は窓口に身を乗り出して受付さんに言う。


「足りないです。十四万円しかない」

「……あってるよ? 十四万円でしょう?」

 僕らは二人して首を傾げた。


「いや、ジョニーは懸賞金二十万円だから、間違ってるはずじゃ……」

「こっちのデータには引き出せる金額は十四万円だって」

「あっ、先輩危ない!」


 藤堂の声が割り込んできた。何事かと振り返ろうとした瞬間、すぐ右隣に男の巨体が叩きつけられた。受付の金網が大きな音を立てて揺れる。

 なるほど。強盗防止ではなくこのための金網かぁ。

 じゃねぇよ。


「殺す気か!」

 受付へ叩きつけられた男はそのまま地面へ落ちて伸びた。魔術領域を使って虎モードになった藤堂がリングからひと飛びで僕のそばへ着地する。


「すいません。やりすぎました」

「ったく……」

 藤堂は頭を掻き、てへっと舌を出した。まったく反省の色が見られない。

 まぁ……いつも通りの藤堂に戻ったからよしとするか。別にぶつかったわけでもないし。


「そうだ藤堂。俺の稼いだ懸賞金なんかおかしいんだけど」

「ん? どういうこと?」

「あ、あなたが藤堂?」


 受付さんが心当たりでもあるかのように言った。彼女はパソコンのディスプレイを掴んでまわし、こちらへ向ける。

 ディスプレイには僕の顔写真とともに数字が羅列されていた。日付などを見るに、僕が稼いだり引き出したりした懸賞金の履歴らしい。


「六万円、藤堂って人に入ってる。紹介料」

「紹介料?」

 僕と藤堂の声がハモった。受付さんが「紹介料」と繰り返す。


「#SSsに新規のソーサラーを勧誘すると、その新規が稼いだ懸賞金の三割が紹介した人に振り込まれる。半年の間」

「長いな!」


「最近ソーサラーが少ないから、キャンペーン?」

 そういうのって普通、運営側の持ち出しなんじゃないだろうか。案外自転車操業だったりするのか?


「ってことはつまり、先輩の稼いだ二十万の三割、六万円が私の懐に入るわけですね。数字もちゃんと合います。ラッキー」

「藤堂」

「はい?」


 僕はキョトンとする藤堂に向かっていった。


「……返せ」

「やですよ」

「なんだとてめぇ!」


「わー先輩が暴力振るう!」

 僕のパンチを軽やかにかわして藤堂が逃げた。僕は体が痛いのも忘れて彼女を全力で追った。


「大金だぞ六万! 人が汗水垂らして稼いだ懸賞金持ってきやがって! とんだ搾取だ! 労働者の敵だ! このブルジョワめ!」

「知りませんー! 文句は運営に言ってください!」


「なにやってんだあいつら……?」

「元気そうならいいんじゃない?」

 ジョニーとビクトリアの呑気な言葉を背景に、僕はしばらく藤堂と追いかけっこを演じる羽目になった。


 そのせいか知らないけど、翌日体に激痛が走りまた三日も学校を休む羽目になるのだった。

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