3-5 VSビクトリア

「いいわボーイ。クールな決め台詞ね。考えてきたの?」

「いや、さっき思いついただけ……」


 お互いに距離をとる。僕は両手の指輪を確認した。オーケー、装着する指にも間違いはなし。いつでもすべて使う準備は整っている。


 あとは、どれをどの順番で切るかだ。いまは昼過ぎ。「切り札」を使うことができない時間帯だ。この十個の指輪だけでやりくりしなければいけない。


 しかも、ジョニーのときと違っていまの僕には勝ち筋も計画もない。

 さて、本当にどうしたものか……。


「試合開始!」

 ゴングが鳴った。まずは様子見。ビクトリアは……動かないな。


「誘っているのか?」

「ボーイが相手だからね。先攻は譲ってあげましょう」

「…………」


 ビクトリアはリングの中央で仁王立ちし、胸を大きく反らせた。鉄板のような胸板がスポットライトに照らされて輝く。


 ……魔力の強化抜きにしても、普通の攻撃が通じる気がしないな。

 ならば、変化球っ!


「"偽造のイミテーション・藍玉アクアマリン"!!」

 右薬指の指輪が青い宝石へ変わる。部屋全体に魔力を発散させ、そこにある水分を一気に集約させる。


 そう、部屋中にあるアルコール、観客たちの手にするジョッキの中身をっ!


「あっおい! 俺のビール!」

 ジョニーの声が聞こえた気がするけど無視した。いつの間にか注文してやがったな。


「奢りだビクトリア! たっぷり喰らいな!」

 手元に集めたアルコールをビクトリアの顔面めがけて放つ。ビクトリアは何かアクションを起こす……かと思ったが、仁王立ちのままアルコールを受けた!?


「ん~気が利くじゃない? 勝利の美酒を先にくれるなんて」

「敗北のやけ酒になるぞ!」


 僕は飛び散ったアルコールを再び手元に集める。だが今度は丸めてぶつけるためじゃない。長細く剣の形にして振るうためだ。


「こういうこともできる」

「いいわね。かかってきなボーイ!」


 僕はマットを蹴って駆けた。腕を上げて応じようとするビクトリアの胴めがけて横に振るう。手ごたえあり! が……。


「っ! おいおい……」

 水分の剣はビクトリアの腹筋に止められそこから全く動かなかった。本気で切断するつもりこそなかったが、皮膚一枚すら切れないとは……。


「ちぃっ!」

 剣を振るい、二撃三撃と喰らわせる。だが、攻撃しているはずのこちらの手首がバラバラになりそうな衝撃が走った。硬すぎる!


「それで終わりかい?」

「おぉっ……!?」


 剣を鷲掴みにされ、体ごと持ち上げられた。足が宙に浮いてバタつく。慌てて剣を解除するが、体が落下するときに拳が飛んできた。失態を確信する。

 が、もう遅い。


「せりゃぁっ!」

 ビクトリアの気合の入った一発が真正面から命中する。何とか右腕でガードするが、衝撃は腕を突き抜けて胴体を打ち抜いた。


「げほっ!」

 こいつ、攻撃にも魔力を乗せて……。


 リングの上を転がる。僕の体はロープに引っかかって止まった。もろに攻撃を受けたせいで右腕が痛い……というか、一周回って感覚がない気すらする。


「せ、先輩!」

「……え?」


 聞き覚えのある声と呼び方が耳に刺さった。視線を素早く周囲の野次馬に走らせると……目が合った。ロープ際で蹲る僕のすぐ近くに、藤堂が。


「あっ……」

「なんっ……」


 何でここにいるんだと言いそうになったが、すんでのところでそんな場合ではないことを思い出した。下手するとビクトリアの追撃を食らいかねない状況だった。僕はとりあえず横へ転がって逃げ、ビクトリアから距離をとって立った。


 意外にも、ビクトリアは最初の場所から動いていなかった。どっしりと構えて僕を見下ろしている。

 追撃のチャンスなのに……なぜ動かない?


 僕は立ち上がって体勢を整える。右腕がじんじんと痺れるように痛む。ちょっと時間が経って感覚が返ってきたようだ。とはいえしばらく動かすのは難しそうだ。魔術を使う分には問題ないだろうが……。


「もうフィニッシュかボーイ? もっと楽しませて頂戴!」

「言われなくてもっ」

 ビクトリアは精密に魔力を操作して自分を強化する。ならば……。


「"偽造のイミテーション・紅玉ルビー"!」

 左親指の指輪が赤く輝く。手のひらで炎が燃え上がる。腕を真っ直ぐ突き出して火球をビクトリアへぶん投げた。


「こんなものが効くとでもっ」

 ビクトリアが腕を振り上げる。炎を打ち砕くつもりだろう。おそらく魔力は腕に集中している。


 狙い通りだ。


 ビクトリアの太い腕が振り下ろされ、火球の中心を捉えた。炎の球は手刀で真っ二つにされ、虚空に消えていく……ことはなかった。


「自分の体を濡らしているものが何なのか忘れたのか?」

「っ!」


 ビクトリアが目を見開いた。だが気づくのが遅かった。振り抜かれた腕にぶつかった炎は四散し、火の粉がビクトリアの体に飛ぶ。アルコールまみれになった体に。


「魔力で体の一部を強化してるなら、全身を同時に攻撃すればいい」

「ぐっ! おぉぉぉっ!」


 炎は一瞬で全身へ燃え広がった。ビクトリアはマットへ崩れ落ち、体を転がして消火を試みる。

 そうはさせるか。


 僕は野次馬を見渡した。誰か一人くらい……いた!

「そこの! ビール瓶寄越せ!」

「え? あっ、はい」


 突然の要求に、野次馬の一人は唯々諾々と従った。小ぶりなビール瓶をこちらに手渡してくる。中身はまだ十分ある。僕は痛む右手で瓶を握り、右手から魔力を流し込んだ。瓶の口から中身を吐き出させる。

 アクアマリンの残り時間はあと僅か。ここで使い切ってしまおう。


 酒瓶の中身がアーチを描いてビクトリアに迫る。僕は左手からさらに炎を打ち出し、弧を描くアルコールにぶつけて炎上させる。即席のナパームだ。燃え上がる液体が雨のようにビクトリアへ降り注ぐ。


「うわ、えっぐ」

「意外と無茶苦茶やるよな、あいつ」

 外から藤堂とジョニーが呟く声が聞こえた。ビクトリアはもうマットの上で動かない。


 ……やったか?

 ビール瓶を転がしてリングアウトさせ、じりじりとビクトリアに近づいた。ピクリとも動かないが……。


「…………少し、甘く見てたようね」

「っ!」


 殺気!

 気づいたときにはもう、僕の体は宙に浮いていた。ビクトリアがマットを腕でぶん殴った衝撃で跳ね上げられたらしい。僕は考えるよりも先に右手に魔力を込める。


「"偽造のイミテーション・金剛石ダイアモンド"!!」

 目の前に魔術の障壁が現れる。ほぼ同時に、突進してきたビクトリアが激突した。ガードには成功。だが、空中にいて踏ん張りの利かない僕は魔力の盾と一緒に後方へ吹き飛ばされる。


 僕の体はリングのロープを易々と飛び越える。時の流れがスローモーションだ。眼下に藤堂が僕を見上げて大口を開ける姿が映った。なんて顔しているんだこいつは。


 不意に、速度が上がった。というか時間が飛んだ。リングを飛び越えたばかりだったはずの僕の体は、次の瞬間には部屋の壁に叩きつけられていた。そのまま二メートルほどの高さを落ちて今度は床に叩きつけられる。ピンボールかよ。


「ぐ、つぅぅ……」


 全身が痛い。ジョニーに魔術弾をボコスカ撃たれたときの痛みと違って、全身がひとつのパーツになって痛みを感じているような気がする。痛みにもこんなに多様性があるのか。別に知りたくはなかったな。


 観客の歓声が遠くに聞こえる。アナウンスが何かを言っているようだが、はっきりと頭に入ってこない。立てるか? いや、ここで立たないとやられ損だぞ、僕。


 僕は意識を前方、ビクトリアの方へ向けた。さっき僕がそうしたように今度こそ追撃が来るかもしれない。……だが、来ない。ぼやけた視界の中、ビクトリアがリングの上でポーズを決めているのが見えた。


 舐めてるのか……? 違う、さっきの火炎放射を食らって僕を侮るのはやめたはずだ。もしこの一撃に気をよくしてまた油断し始めたのなら、ただの間抜けだ。そんな人間がプロの格闘家としてやっていけるとは思えない。


 じゃあ、ちゃんと意図があって追撃しないのか? 例えば、キャラ作りとか……いや、ビクトリアに「追撃しない」なんてキャラがあるようには見えない。もっと別の事情があるような。


 ダメだ。頭がクラクラする。まともに考えられない。脳みそから記憶が零れ出してとりとめもなく浮かんでくる。


「それで……死んだらどうするのよ」

 姉さん。姉さんの言う通りなのかな……。このままだと早晩死にかねない……。


「頭がいい人はエロいって相場が決まってるじゃないですか!」

 いま出てくるんじゃねぇ藤堂。しかもなんでそのセリフのチョイスなんだ。この場面で。


「天城原学園の警備結界だ。見ての通り、破壊されている」

 川端か。悪い。退院したら結界の様子見るって言ったけど、あれもうちょっと後になりそうだ。


「あぁ。元プロレスラーだが、年齢と故障で引退し、そのあとに#SSsに引き抜かれた話だ」

 ジョニー、お前まで。走馬灯に最近知り合った奴ばかり出てきたら、僕がこの前まで友達いなかった寂しい男みたいじゃないか……。事実か?


 うん?

 ……そうか。もしかしたら……。

 でかしたジョニー。


「おっと! 立った! チャレンジャーまだ立った!」

 突然アナウンスが鮮明になった。意識が戻ってきたようだ。視界も良好になる。リングの中心に立つビクトリアが意外そうな顔で僕を見る。


「……少しは骨があるようね。ボーイ」

「……骨が折れてないのが奇跡だよ……"偽造のイミテーション・柘榴石ガーネット"」


 血液に魔力を流して回復する。もう少し取っておきたかったが、ここでぶっ倒れてしまっては意味がない。


 僕は両手を開いて指輪を確認する。意識が朦朧としていた時間は想像よりも長かったらしく、アクアマリンとルビーの制限時間は過ぎてしまっていた。ダイアモンドはまだ生きているが、あてにできるほど時間が残っているわけではない。


 十個の指輪のうち、もう四つを切ってしまったわけだ。いや、それ以前に体力が限界だ。

 次の攻撃がラストチャンスになるだろう。この攻撃が通らなければ負けが決まる。

 僕の推理が当たっていてほしい。


「"偽造のイミテーション・電気石トルマリン"」

 左手人差し指の指輪が変化する。ただの鉄くずから紫と緑のグラデーションを帯びた宝石へ。


 同時に、左腕が電気を帯びる。

 トルマリンは電気石の異名通り、電気を司る宝石だ。


 雰囲気の変化を察してビクトリアが身構える。僕は左腕を床へ叩きつけるように振り下ろした。電流が磁界を生み、僕の体をふわりと持ち上げる。そのままジャンプでリングのロープを飛び越えた。帯電した拳をマットへ叩きつける!


 拳がぶつかった瞬間、雷鳴が響いた。高圧電流がマットを駆け抜け、ビクトリアを襲う。

 だが、ビクトリアは腰を低く落とした構えで電流を受け止めた。わずかに体が痙攣するが、びくりともしない。魔力を脚に集中させて耐えたか。


「ちょぉ~とびっくりしたけど、残念。アタシはそういう飛び道具が効くほどやわじゃない」

「それは、どうかな……?」


 ビクトリアの眉が上がる。怪訝な顔。だがその表情はすぐに、驚愕へと変わる。

 ビクトリアの脚ががっくりと崩れ落ちた。


「なっ……」

 ビクトリア自身も何が起きているかわかっていないようだった。僕は重い体を半ば引きずりながら彼女に近づく。


「僕の予想が正しければ、ビクトリア。お前の引退理由は脚の怪我だ。だから戦いでも脚を使ったアクションを起こさなかった。いや起こせなかったんだ」


 ビクトリアが歯噛みする。ビンゴのようだ。

 思えば最初からおかしかった。最初の戦いでビクトリアが相手の攻撃を上半身の動きだけでかわしたのが。


 普通格闘技の要は脚にある。攻めるにせよかわすにせよ脚の動きが全ての基本になる。フットワークが軽ければ攻めやすくよけやすい。それはどんな格闘技にも言えるはず。脚をどっしり地面についたまま動かさない武道なんてない。


 だがビクトリアの戦闘スタイルは脚を全く使わないという格闘技の基本から逸脱したものだった。初心者ならともかく元プロだったビクトリアがそんな戦闘スタイルをとる理由はひとつしかない。出来ないからだ。脚を怪我していて。


 おそらく、日常生活はともかく激しい運動には耐えられない状態なのだろう。だから魔力が常に脚にも流れていた。精密な魔力操作を行うビクトリアがあえて魔力を必要な部位以外にも流していたのは脚を補助するためだった。


「電流は体の内側へと浸透する攻撃だ。鎧通しみたいにね。いくら魔力で防御を固めても怪我をした部分への攻撃はこたえるはず。予想が当たって助かったよ」

「得意げに早口で説明してくれちゃって……だが、アタシはまだ負けてないよ!」


「だろうな。だからいまからトドメを刺す。"偽造のイミテーション・黒玉髄オニキス"」

 回復した右手に魔力を集める。小指の指輪が真っ黒に変色した。ブラックオニキス。墨を落としたように真っ黒な宝石。象徴するのは、当然闇だ。


 左手に電流、右手に闇。二つの魔力を拳に集める。グローブのように魔力を肥大させ、がつんがつんとビクトリアの目の前でぶつけあった。


「殴り合いだっ!!」

「はっ、アタシに肉弾戦挑むとはいい度胸じゃない、ボーイ。いや……石見高人ぉっ!」


 ビクトリアは膝をついたまま、それでも拳を構えて応戦する。丸太のような右腕から素早いストレートが飛び、僕の右の拳とかち合う……瞬間、僕は右手の魔術を解除した。


 魔力のグローブとぶつかるはずだったビクトリアのこぶしはすかっと宙を切った。ビクトリアの姿勢が崩れる。


「元プロレスラーと殴り合いなんてやってられるかっ!」

「このっ……!」


 僕は脚を使って体を捻った。横へ捌いた体のすぐそばをビクトリアが倒れていく。背中ががら空きだった。左手の電流グローブを瞬時に剣の形に変形させ、広い背中へ突き立てる。


「ぐっ!」

 魔力を腕へ集中させていたビクトリアは防御が間に合わない。電気の剣に貫かれた巨体が跳ね上がり、マットへ沈む。


 ……今度こそ、動かない。

 いかに強固な肉体でも、魔力の補助がなければ人体の域を出ないか。


「勝負あったっ! 大番狂わせの勝者はチャレンジャー石見高人!」


 アナウンスと同時に僕も崩れ落ちた。体が限界だった。最初からこう動こうと決めていたから出来た体捌きだったけど、ビクトリアがちょっとでも予想外の動きをしていたら危なかった……。


 マットの上に大の字に伸びる。僕の顔を藤堂が覗き込んできた。


「先輩」

「おぉ……」


「なんかずるくないですか? 勝ち方」

「頭を使ったと言ってくれよ……」

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